◎百日百篇行とは


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   これは如月八雲の勝手な造語であり、如月八雲が勝手に考え出した行である。
   故に、これを誰かが行ったとしても何か変わる訳でもなければ褒められる事でも無い。
   ただただ如月八雲が昔から口にしてそれを実行しただけに過ぎず、如月の詩作において、
   一つの形であり、高みへと行きたいが為の我流で低俗な足掻きの結晶である。

   百日百篇行とは「ひゃくじつひゃっぺんぎょう」と読む。
   読んで字の如く百日で百篇の詩を作る。つまり一日一編を百日間かけて行う方法である。
   古来日本では、神社仏閣への百度参りや、刀を使った百人斬りなど、百と言う数が大変
   神格化されており、如月八雲も常々、百日間をかけて百編の詩を作れたら高みへ行く為の
   何かの欠片が掴めるのではないかと言う思いで始まった行である。

   この百日百篇行では、下記のような約束事(如月の詩作を交えて言えば禁忌)を設けた。
      壱 零時から二十三時五十九分を一日としその間に一編だけを創る事。
      弐 作り直し絶対になし。一編一編が最初で最後と念を込めて創る事。
      参 何があっても一日一編作り切る事(怪我や所用で困難だとしても)。
   以上がこの百日百篇行を続ける為の決まり事で、遣りきる為の必要最低限のものである。

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