◎ふう
005 2004/02/25
もう、8年から9年前になるかな、少し小汚く、けれどどこか優雅でなかなか人を寄せ付けない、そんな風変わりな女に会ったのは。そう言えば少し冷たい雨が続く冬の始まり掛けた頃だったと思う。
その女は固定の場所に現われず、いつも気が付いたらそこにいる。そんなどこを寝倉にしてるのかもわからない、少しミステリアスな女だった。もちろん年齢なんてわかりはしない。もしかしたら国籍さえも。
いつもその女は孤独で、誰かが話掛けようと近づけば1歩2歩と距離を置くように後ずさりをし、それでも近づく人がいる時は、鋭い目付きで見えない境界線を貼り、そのまま闇に消えていく。俺はいつもそんな場面に出くわしては気難しい女だと、少し呆れていた。もっと素直に甘えればもっと優しい日々を送れるのではないかと。
そう思い2ヶ月の時が過ぎた。相変わらず気付いたら現われ、勝手気ままにふらふらとその女は夜の冷気を身に纏う、まるで「私は夜と共に生き、夜と共に去る」と言いたげな風に。
その頃私は失恋をした。どうやっても失ってはいけない女だった。私は打ちひしがれて少しやけくそで自暴自棄な生活を送っていた。どうしても好きだった女が忘れられず、いつも二人で逢っていた逢い引きの場所に、性懲りもなく足を毎日運び傷心を抱え沈んでいた。まぁ今となっては良い思い出だ。
そこにいたんだ。いや、失恋の相手ではない。あの風変わりな女が、二人の思い出の場所に。私はつい孤独なその女を、孤独になった自分と重ねあわせて涙ぐんだ。そして今まで一度も声をかけなかった俺が自然とこんな言葉を口にした。「お前も一人かい?俺は今、一人になってしまったよ。おいで、良かったら友達になろう。」と。不思議だった。私はその女を疎ましく、絶対に声なんてかけないと思っていただけに。
結果は多分駄目だろうと踏んでいた。今までだれも彼女のテリトリーに入れた者はなし。さらに俺が声をかけたぐらいじゃ無理だろうと。何せ始めて声をかけたのだから。きっと寂しさに耐えられず、少し血迷ったのかもしれない。
ところがだ。その女は一瞬ためらったものの、スッ、スッ、と私のそばに歩いて来るではないか。。。かなりびっくりしてしまった。しかもそばにくるだけではなく、寄り添ってきた。たぶん俺が憐れに見えたのだろう。けれどその時はそれでも良かった。誰でもいい、一人になりたくなったんだ。
それからあの逢引の場所はその女と俺のための新たな逢い引き場となった。ただ、その女は身を預け安心して眠りにつく事はあったし、あの女が現れていないときは、一声名前を呼ぶだけで、どこからともなく現れるまでの間柄になったのに、一切自分の事を明かさないのだ。過去もすべて。私はいつまでも「女」と呼ぶには少し気が引けてきたので勝手に名前をつけてやった。「ふう」と。風変わりなとか、風のように現れて、去っていくところから、風を連想して、音読みにしたのだ(まぁここまで言わなくても解るか、すまん)。
ふうは本当に何も喋らない代わりに私に楽しみをくれた。毎晩飽きるほどの抱き合いを提供してくれたし、どんなに雑に扱っても怒らずどんな無理な体勢でも、どんなにアクロバティックな動きをさせても文句一つ言わずにやって見せた。昔の純日本女性にも通じているような純情な女だった。私は心から悲しみを忘れられた。
しかし不思議な事が二つ。
一つ目は不思議な事と言うよりも、不思議な癖だった。首が痒いのか襟が気になるのか、たまに犬のように首をプルプルと震わせるのだ。何かの発作とかそう言うものではなくただ、襟足が気になる感じらしい。もちろんなぜそんな事をするの?痒いのか?と問いただしてはみたものの、無しのつぶてだった。しかし妙にその癖が愛しいのだ。だからわざとその癖がでるようによく首回りをわしゃわしゃしてやった。いつ見ても本当にかわいかった。
二つ目は食事だ。俺がどんなに食べ物を差し出しても絶対に食べない。どんなに高級な料理だろうが、どんなに俺がうまそうに食べてもだ。そしてお皿に綺麗に盛り付けてもひっくり返して、すぐにどこかに行ってしまうのだ、まるで「あなたと付き合ってるのは食事目当てじゃないのよ。安く見ないで頂戴」と誇示じているかのように。
そんなある日、どんなに名前を呼んでも叫んでも探し回ってもふうは現れなかった。。。私は諦めが悪くそれから何日も逢い引き場に足を運んだ。まるで昔、失恋をしてたあの頃のように。
そんな2ヵ月後の事だった。ある知人から、「ふうって女が4人の子供を一人で産んだらしいぞ」と情報が伝わってきた。勘違いするなよ、抱き合ってはいたが、そういう最後の行為はしていない。決してな。
さらに情報は続く、「相手の男は子供たちが生まれる1ヶ月前に車に轢かれたそうな」と。私は一瞬だけそう一瞬だけ安堵した。生きていてくれたんだ。そうかふうは、生きていたんだ。。。と。しかしすぐに愛する夫が死んでしまった事に、安堵した自分が許せなかった。だからこそすぐにでも逢いに行き助けてやりたいと思った。だが、その頃の私は寮生活をしていたし経済的にお世辞にも豊かとは言えなかった。だから私は何もせずに、子供たちと幸せになれるように祈る事しかできずにいた。
しかしそれから1週間後の事だ。知人が新たに情報を提供してくれた。「子供たちは他人の家族の子になったらしい」と。養子縁組にでも出してしまったのだろう。でも私はそれを責めたりはしない。きっと生活が苦しくわが子を、みすみす死なせたくなかったのであろう、きっと。そして「子供たちがいなくなった晩は、いつ終わるともなく、ふうの泣き声だけが夜のしじまに響いていた。そして泣き声が聞こえなくなったと思ったら、すでにふうの姿も消えたそうだ。それから誰もふうを見てはいない。」と丁寧にも教えてくれた。ありがとう、知人。
私は感謝している。ひと時だけであったが女性の一面と優しい時間と母の強さと悲しみを教えてくれた事を。きっと今でもふうはどこかで、誰かの悲しみと自分の悲しみを背負って生きているのかもしれない。
私はそれ以来、同じ様な癖を持つ猫を見た事がない。
そして私はそれ以来、猫を飼った事がない。
詩仙庵に来る猫は、どこかふうの面影に似ていました。