◎生死を詠う事なかれ

009 2004/03/17

 今回の雑文は「自殺について」。

 宗教的観念や倫理的観念・道徳的観念からすれば自殺はきっと御法度だよね。まぁ私も自殺肯定派では決してない。が、自殺したいと相談されれば、するなとは軽々しく言えず、最後の最後までその手段はとっておけとしか言いようがない。何故なら私だって何度となく、自殺を考えた事があり、それが確かに最後の手段であると認識しているから。

 今回どうしてこのような事を書いているかというと、某サイトで死を扱った物を読んだから。そしてその物を読んで「ん?おいおい。」と思ったから。あ、勘違いしないで。確かに疑問は持ったけど、それに対して何か突っ込みを入れようとか、槍玉に挙げてこき下ろそうなんて気持ちはさらさらないから。そこんとこよろしく。さらに言うと、片一方の面からしか言っておりません。反対意見が有るのをわかった上で、今日は独断で書いてます。

 あ、話がそれたね。戻そう。で、自殺願望が強い時は、孤独だよね。誰かに相談すれば「生きなきゃ」とか「生きてればそのうち良い事があるさ」とか「死ぬ事は自由で楽なのかもしれない、つまり自殺はただの逃げる為の甘え」だと何度も言われるし。しかし実はそういう言葉が心に響くのは、自殺の原因になっているものが解決の方向に向かっている時だったり、本当は自殺なんてしなくていいかも?と思っている時にしか届かない。何故なら「確かに孤独の決断をすることしか頭にない」のだから。

 安易に自殺をほのめかす輩は置いといて、本当に自殺したいと思う奴は、周りが見えないもの。ある人が言うには、自殺したいと思っている時は「生きたい」と「死にたい」の思考がぐるぐる頭の中で駆け巡って(しかも死にたいと言う思いが強い状態で)、他人の優しさや叱咤激励なんて聞こえやしない。と。確かにそうだ。もう八方塞で死…これしか見えない状態で生きると言う緊張の糸が切れた時に、自殺と言うメカニズムは発動するんだと私は思う。
 だから私は、死にたいと真剣に悩んでいる奴の前で、決して生きろと意気揚々と言いまくるのは止めた方が良いのではないか、それは自殺したい奴にとってはどんどん首を絞めていく素敵でむかつく応援にしか聞こえないのでは?と思う。だから簡単に生きなさいと言わず、何故死にたいのか、そして今そいつに必要な事はなんなのかを考えて欲しい。

 一時期でもその原因となってるものから遠ざけるのもよし(これを逃げだ甘えだと絶叫する奴ほど自殺してしまえ。もうそうするしか方法がないから「遠ざける」と言う方法をとるのだ)、一緒に悩み苦しみ命の交換をするのもよし(お前が死ぬから俺も死ぬと言う恩着せがましい事ではないよ。うまく説明を今はできないけどね)、ただそばで話しを聞くに徹するのもよしなんだ。自殺したい奴は決して死にたい事を望んでいる生き物ではない。心から生きたいと願いながら、死ぬ選択をするかいなかの瀬戸際で悩み苦しみ、生きているんだ。

 どうかどうか努々応援のやり方を自分の自己満足ために行う、そんな悲しい気持ちの履き違えをしないで欲しい。死にたいのは応援しているあんたじゃなく、応援されているそいつなのだから。

 ところで私はあるサイトのあるページにひどく心打たれた。人の思考は十人十色で、もしかしたらこんなのぜんぜん意味わかんねぇとか、だから何?としか思わないかもしれない。
 でもきっと、ここで今書いてある雑文よりも何百倍も素晴らしいと思う。よかったら目を通して頂きたい。

 サイト名:素晴らしき日々 作者:藤原さん
 ページ名:009 97/08/26 逃げろ。逃げさせろ。

 今回、やたらと独断で重くて申し訳ない。しかもかなり幼稚で起承転結がない…いずれは「死」や「自殺」に付いて書いておきたかった。ただそれは共感を欲しい訳じゃなく、自分がそうなった時、または自分の大切な人達がそういう状態の時、自分のスタンスやポリシーをきちんと持って対応できるように、ある意味覚え書きで遣わせていただきました。そしてもう一度心の整理ができたら再度書かせてください。今度は自分の感情を優先せずに、きちっと、静かな心で書きますゆえ。

 そして今回の雑文を読んで不快に思った方・いつもお馬鹿な文章で楽しんでくれている方(そういう人がいるかいないかは置いといてねw)申し訳ない。ごくたまに、ごくたまに如月は少ない脳味噌でこういう真面目な事も考えているのです。

 けど勘違いしないと思いますが如月は今、自殺したい訳ではありませんので悪しからず。

今回だけ「詩仙庵から〜〜〜」は休載させていただきます。

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