◎if・・・

017 2004/04/07

 今日は少し、昔の話をしましょう。

 あれはまだ春、桜の花びらが舞い散る季節の頃の話です。
 私はまだ高校生。その時、少し体が弱く、とある病院で療養をしていました。

 19時40分から19時55分。月曜から金曜まで。病棟と病棟を繋ぐ渡り廊下の場所。
 この時間帯に、いつもご家族を見舞いに来ている綺麗な女性が歩いていました。私は何となくおおよそ27歳〜32歳くらいかなと思いました。肌の色が白く背が高かった事がやけに今でも印象に残っています。

 何回かすれ違ううちに、目が合えば会釈し回数を重ねる毎に会釈から世間話に、そしてお互いを軽く自己紹介をする仲となっていきました。15分間だけの会話。19時55分になると小児病棟に入る私の友人達がその廊下へと遊びに。友人達の声が聞こえ始めるとその彼女は、「また明日」と言い残し、病院の玄関へ一人で寂しく向かって行きました。

 私はその頃、ある友人間のイザコザ早く終わらせようと躍起になっていました。どちらも、とても大切な友人。当たり前だけど、いがみ合い罵る姿は見ていてとても心が痛かったんです。確か…些細な事が原因だったと思います。今思い出そうとしても思い出せないから、きっと対した事ではないと思います。まぁワキ毛の左…いや間違え、若気の至りです。

 その彼女とはそれから、4ヶ月、会う事が続きました。まぁ会うと言っても世間話から先にあまり進まない、ただの井戸端会議みたいなものだけど。それでも、介護も見舞いも時間的余裕がなくて大変な事、入院しているのは祖父である事、会いに来るのはいつも面会時間ぎりぎりで申し訳ないと思っている事、その祖父の病気は決して治るもではない事、自分も医療関係の仕事をしている事。祖父に会う度に本当の病状を話せなくてやるせない事、など少しずつだけど話してくれるようになりました。

 私は療養している期間が長かったため、病院の正面玄関から出て行く人(つまり普通に退院)と病院の裏口からそっと出て行く人(…ご想像にお任せします)を見送る機会が多いんですが、そのため彼女の話を聞いていると悲しみが痛い程感じました。
 でも私は彼女に気持ちを和らげる言葉をその時、口に出す事ができず、ただ頷く事しか出来ませんした。何故なら彼女はきっと、同情や慰めの言葉を欲しかったのではなく、自分の今の気持ちを言葉にすると言う作業で、心の整理をしたかったんだと思ったからです。だから私は聞き役に徹しました。
 そう言えば、唯一私の学生時代の中で、シリアスな時間を持てたのはこの時と親友を亡くした時くらいだったかも。

 真剣な話をしない時は、下らない馬鹿話や、外では今何が流行っているのかなどを話しました。自分の周りに大人的な会話をする人もいなく(もちろん自分も)、テレビもあまり見れなかったため外の世界の情報も少なく、聞くもの全てが新鮮でした。だから食い入るように聞きました。

 笑顔が綺麗な人でした。自然の流れと思春期特有の流れで、私は彼女に恋心を抱くようになりました。最近は見る事が少なくなったけど「綺麗なお姉さんは好きですか?」と言うCMがあったのを皆さん覚えているでしょうか?松島奈々子を見る少年。私はああいう状態でした。
 もちろん告白するつもりもなく(と言うよりも勇気がなく)ただただ話し込む事で彼女と時間をひとつひとつ紡いでいくのが精一杯。しかしそれだけでとても幸せを感じる事ができました。
 しかしそんな楽しい時間は長く続きませんでした。彼女の祖父が退院する事が決まったからです。完治はしていないけど、自宅で余生を過ごしたいとの希望から退院が決まったみたいです。そして私に告げられたさよならの日は5日後でした。
 私はなんだかとてもとても悲しくなって、その日は早く話を切り上げて自分の部屋に帰ってしまいました。きっと今ならそんな事をせずにもっともっと話し込んだろうに…。感情表現が幼かったのです。

 彼女は次の日、職場の名前と職場の電話番号をくれました(その頃携帯なんて一般人がもつには高嶺の花)。私はなんだか本当に嬉しくて飛び跳ねて体一杯で嬉しかった事を伝えました。必ずかけるよ!まっててね!!と目をきらきらさせながら。彼女は頷きながら微笑みを返してくれました。別れは近いのに何故か幸せだった。

 そして別れの日。その日は土曜日。20時30分に玄関に来てと前の日に告げられていました。もちろん私は「うん!」と一言。
 しかし人生はなんて無常かな。そういう時に限って見計らったようにごたごたが勃発したんです。友人間のイザコザが激化しました。私は行かなきゃ行かなきゃと思いながら汗と泪を心の中に零しながら、一生懸命に早く止めようと仲裁をしていました。終わったのは20時30分。そこから正面玄関までおおよそ5分。

 私は走った。今までにないと言うぐらいの勢いで走った。がむしゃらに。気持ちはきっと光を超えていただろう。ただ、走った。あの人に会いたいがために。

 結果は…たたずむ私が一人だけでした。5分のすれ違い。

 風は涼しかった。月は欠けていた。風に舞う桜吹雪だけが私の心の涙と頬に流れ落ちる涙をぬぐってくれた。

 そして私は思う。
 もしも私が入院していなければ。
 もしも貴女の祖父が入院していなければ。
 もしも私が女性だったら。
 もしも貴女が男性だったら。
 もしも私が友達の仲裁を行っていなければ。
 もしも貴女が今日ではなく明日がさよならの日だったら。
 全てはきっと違う結果になっていたんだね。素敵な偶然の重なりで僕ら出会ったんだね。
 会えない事はきっと悲しいことだけど、この悲しみを乗り越えて大人になるんだね。
 と。

 私は、この時のifが今の私を作り上げてくれたと思います。そして今も、ifの連続の日々を送っています。会社でも相棒の前でも。迷ってぶつかって大きくなって小さくなって転んで滑って飛んで浮かんで、

 そして桜の舞散る姿を見ては、一年に一度、彼女を思い出しては胸を痛める。
 けっして引き摺っている様なそんな痛みではなく、なんだか人生にとってとても大きな意味を持った痛みが走るだけ。

 今日も、沢山のifの波に飲み込まれながら私は生きる。
 ありがとう、もう名前も住んでいる場所も分からないお姉さん。貴女のお陰で大切な何かを学ぶ事ができたよ。

 桜吹雪を見ながら今日はこんな雑文を書いてみました。なんだか少しだけいろんな事が、初心に帰れそうな、そんな素敵な気持ちになれました。

 ご清聴ありがとうございました。ペコリ(o_ _)o))

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