◎果実の真実

020 2004/04/21

 何気ない言葉の中には実は強大で巨大な意味が隠れている事がある。

 今日はそんな変わった話しをしよう。くだらないと呟かないでもらいたい。この話しはあなたの生活環境に強く強く、そりゃぁもう強く脅かしかねない事実があるのかもしれないのだ。例え読み終わって「なぁーんだ全然問題ないじゃん」と思えたら、そっと心の中で呟くだけにしてもらいたい。でないと私の雑文生命が脅かされるから(くすんくすん)。

 今私の目の前に一つのミカンが転がっている。決して八百屋さんからくすねて来た訳でも、人の家のビニールハウスから奪って来た訳でもない。人からもらったのだ。あんたは肉食生活だからたまには果実でも取りなさいと言われて。>そう言われる生活自体がヤバイのだがなぁ。

 さてそのミカンが今日の主役である。
 ところであなたは普通、八百屋でミカンを買う時に(またはスーパーでもどこでもいいんだけど)、定員になんて言うだろうか?
 きっと普通に「みかん下さい」と言うだろう。まぁそれが当たり前なんだが。しかししかししかし考えてみてくれ。
 その恐ろしいまでのアバウトな言い方を。「ミカン下さい」ですよ、たった6文字。何をそんなに言いまくってるんだこいつは、と言うような目で見る事なかれ。

 良く考えれば解る事じゃないか。ミカンをあなたは食べているのではないのだ。なら何を食べているのだとなると思うが、じつのところ、きちんとした言い方をすればミカンの「実」を食べているのだ。そう実だ。当たり前と笑ってはいけない。大事なことだ。

 つまりミカンを下さいと言う事は、ミカンの実は当たり前でそれに繋がっている葉も枝も幹も根も含まれるはずである。これはすごい事である。八百屋さん(またはスーパー)は「みかんを下さい」と言われれば、木を丸まるお客さんに渡さなければいけないのである。
 もし政府が「正しい日本語化政策」を打ち出したのなら、あっという間に刑法に引っかかって罰則を課せられるのだ。「みかんはおいしw」とCMを流せばAC(公共広告機構)からクレームが来るんだ。そしてそれを流した八百屋さん(またはスーパー)は罰せられて、営業停止を食らってしまうではないか。
 ほら、恐ろしいだろう??

「ミカン下さい」と言ったらすべてを受け取らなければいけない。一度言ったらあとには引けないのも政策の一つだ。言い直しがきかないのだ。怖いだろう?え?ぜんぜん?

 よし、もっと現実味溢れる危機的状況を説明してあげよう。

 秀雄(仮名)はお正月に実家に帰ってこたつの中でぬくぬくと暖まりながら隠し芸大会を見ていた。夕食は既に済み、しかし心持ち口が寂しくなった秀雄は母親に言う。
「ねぇミカンない?ミカン。何だか食べたいよぉ。」
母親は一瞬顔が強張る。
「ごめんねぇ、今切らしちゃってさ。それにみかんの実って言わなきゃだめじゃないの。」
 しかしその時、秀雄の父親が
「今帰ってきたで〜。今日はミカンが安かったから買ってきたw」
 なんとまぁ微笑ましい家庭の一コマなんだろう。しかし母親は青ざめた!
「あんた!もしかしてまた『ミカン下さい』なんて言ったんじゃないだろうね?!
 家にミカンなんてもう入らないわよ!!」
「うっ、、、言っちゃった。。。」と父親。
 そうこの父親はまだ政策に慣れていなく、ついミカンを下さいと言ってしまう困ったちゃんなのだ。
「家に今、ミカンの木が何本転がっているか知ってるの?!!!もう足の踏み場もないじゃない!!」
 秀雄の家には既に450本を超えるミカンの木が転がっているのだ。
隣近所もお裾分けと言いながら「ミカンいる?」と言いながら「いる」と答えれば、ミカン一式を渡しに来るのだ。そうやってナナシの家は今、ミカンの木だらけだ。寝る時はミカンの幹を枕に。布団はミカンの葉を体にかけて。主食はもちろんミカン。もうこうなってしまっては大変だ。
 そして玄関の外には新しいみかんの木が転がっていた…。
 そして秀雄の家はミカンによって一家離散へと向かっていくのだ…。

 どうだ?大変な事だろう?だから今度、八百屋さん(またはスーパー)で買う時は一声、「ミカンの実を下さい」と言ったほうがいいのかもしれない。
 しかし言っても意味は通じないと思うけど(汗)

 しかしミカン一つで恐怖を覚えるなんて私自身どうかしちゃっているのかもしれない。

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