◎恐話百鬼夜行 第四夜

051 2004/07/25

◆フタ
会社の同僚(女性)が体験した話。
これはOLとして働きながら、ひとり暮らしをしていた数年前の夏の夜の話です。

私が当時住んでいた1DKは、トイレと浴槽が一緒になったユニットバスでした。ある夜、沸いた頃を見計らって、お風呂に入ろうと浴槽のフタを開くと、人の頭のような影が見えました。頭部の上半分が浴槽の真ん中にポッコリと浮き、鼻の付け根から下は沈んでいました。それは女の人でした。見開いた両目は正面の浴槽の壁を見つめ、長い髪が海藻のように揺れて広がり、浮力でふわりと持ちあげられた白く細い両腕が、黒髪の間に見え隠れしてました。どんな姿勢をとっても、狭い浴槽にこんなふうに入れるはずがありません。人間でないことは、あきらかでした。突然の出来事に、私はフタを手にしたまま、裸で立ちつくしてしまいました。女の人は、呆然とする私に気づいたようでした。目だけを動かして私を見すえると、ニタっと笑った口元は、お湯の中、黒く長い髪の合間で、真っ赤に開きました。
(あっ、だめだっ!)
次の瞬間、私は浴槽にフタをしました。フタの下からゴボゴボという音に混ざって笑い声が聞こえてきました。と同時に、閉じたフタを下から引っ掻くような音が・・・。
私は洗面器やブラシやシャンプーやら、そのあたりにあるものを、わざと大きな音を立てながら手当たり次第にフタの上へ乗せ、慌てて浴室を飛び出ました。浴室の扉の向こうでは、フタの下から聞こえる引っ掻く音が掌で叩く音に変わっていました。

私は脱いだばかりのTシャツとGパンを身につけ、部屋を飛び出るとタクシーを拾い、一番近くに住む女友達のところへ逃げ込んだのです。

数時間後……深夜十二時を回っていたと思います。
カギもかけず、また何も持たず飛び出たこともあり、友人に付き添ってもらい部屋へ戻りました。友人は、今回のような話を笑い飛ばすタイプで、好奇心旺盛な彼女が、浴室の扉を開けてくれる事になりました。浴室は、とても静かでした。フタの上に載せたいろんなものは全部、床に落ちていました。お湯の中からの笑い声も、フタを叩く音もしていません。友人が浴槽のフタを開きました。しかし、湯気が立つだけで、女の人どころか髪の毛の一本もありません。お湯もキレイなものでした。
それでも気味が悪いので、友人に頼んで、お湯を落としてもらいました。

その時、まったく別のところで嫌なものを見つけたのです。私の身体は固まりました。
洋式便器の、閉じたフタと便座の間から、長い髪がゾロリとはみ出ているのです。
友人も、それに気付きました。

剛胆な友人は、私が止めるのも聞かず、便器のフタを開きました。その中には、女の人の顔だけが上を向いて入っていました。まるでお面のようなその女の人は、目だけを動かすと、竦んでいる友人を見、次に私を見ました。私と視線が合った途端、女の人はまた口をパックリと開き、今度はハッキリと聞こえる甲高い声で笑い始めました。

「きゃははははっ、きゃははははははっ!」

笑い声に合わせて女の人の顔が、ゼンマイ仕掛けのように小刻みに震え、はみ出た黒髪がゾゾゾゾと便器の中へ引き込まれました。顔を引きつらせた友人は、叩きつけるように便器のフタを閉じました。そして、そのまま片手でフタを押さえ、もう片方の手で水洗のレバーを捻りました。耳障りな笑い声が、水の流れる音と、ムリヤリ呑み込もうとする吸引音にかき消されました。

そのあとは、無我夢中だったせいか、よく覚えていません。
気がつくと、簡単な着替えと貴重品だけを持って、私と友人は、友人の部屋の前にいました。部屋に入った友人は、まず最初に自室のトイレと浴槽のフタを開き、
「絶対に閉じないでね」と言いました。

翌日の早朝、嫌がる友人に頼み込んでもう一度付き添ってもらい自分の部屋へ戻りました。しかし、そこにはもう何もありませんでした。

それでも私はアパートを引き払い、実家に帰ることにしました。
通勤時間が長くなるなんてこと、言ってられません。

今でも、お風呂に入る時は、母か妹が入っているタイミングを見計らって、入るようにしています。トイレのフタは、家族に了解をもらって、ずっとはずしままにしてあります。

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