◎恐話百鬼夜行 第十五夜
064 2004/08/29
◆向こう岸に立つ女
去年の夏、千葉県の銚子に転勤した友人Yを訪ねて行った時の事です。
Yのアパートは利根川沿いの比較的静かな場所にありました。
部屋の窓からは河口付近の広々とした河の風景を見ることができ、昔から大きい河の近くに住んでみたいと思っていた私にとって、なんとも羨ましい限りの環境でした。
夕刻になり、思い出話や雑談も尽き、私はぼんやりと窓の外を眺めた。
そういえば向こう岸は茨城県なんだなあ、と思いながら見ていると、あちら側の川岸に誰かが立っているのに気がつきました。
よく見えないのですが、かろうじて女の人であることだけは分かります。
私が窓際を離れるまでの一時間くらいの間、彼女はずっと同じ場所に立っていました。
その時は、さほど気にならなかったのですが・・・・
私は東京での私用の為、Yの家に4、5日泊めてもらう事にしました。
翌朝、少し遅い時間に起きた私は換気も兼ねて窓を全開にし、河の景色を眺めました。
するとまた、あの女の人が川岸に立っているのです。
次の日も、そのまた次の日も彼女はそこに居ました。よほど河を眺めるのが好きらしい。
私もその気持ちが分かるので、なんとなく彼女のことが気になりはじめたのです。
いったいどんな人なんだろうかと興味が湧いてきました。
私は、どうにかして彼女を近くで見れないものかと思案しました。
しかし向こう岸へ渡るには、近くに歩いて渡れるような橋もありません。
あるのは銚子大橋という、車でしか渡ることの出来ない橋のみです。わざわざ遠回りして見に行くのは流石に気が引けたので、仕方なくそれは諦めることにしました。
その日、仕事から帰ったYとビールを飲みながら、それとなく彼女の事を話してみると
「へえ、俺ぜんぜんそんなの気づかなかったよ。で、かわいいコなのか?」
Yも興味深々な様子です。
「さあね。遠すぎるから、そんなのわかんないよ。もしかして今もいるかもしれないし
見てみたら?」
言って私はYと一緒に窓際へ移動し、向こう岸を眺めました。
すると案の定、彼女はいつもの場所に立っていたのです。
「なるほどなあ、確かによく見えないよな。」
そう言うとYは押入れから双眼鏡を持ち出して来ました。
釣り好きの彼は、いつもこれで河の様子を部屋から確認しているみたいでした。
「どれ、貸してみて。」
私はYから半ば無理矢理に双眼鏡を借り、対岸を見てみました。
それでもまだ遠いせいか、はっきりとは見えないのですが、彼女は茶色のワンピースを着た
若い女性であることが確認できたのです。
次にYが双眼鏡を覗きました。
ここでいつもなら辛辣なコメントのひとつでも吐きそうな彼が、珍しく黙っています。
私はYの様子が少しおかしいのに気付きました。
妙なことに彼は、その場に固まってしまったかのように身動きひとつしないのです。
心配になり、私が声をかけようとしたその時、Yがポツリとつぶやきました。
「なあ、あれ、あの人、こっちに向かって歩いてきてる。」
私は最初、彼の言っている意味がよく把握できずにいました。
そしてYの隣に移動し、向こう岸を凝視すると・・・・
確かに歩いているのです。水面の上を。
私は瞬時に彼女が異形の者であることを悟りました。
「やべえ、こっち見てるよ。ここに来る気だよ。」
「貸せ!」
私はYから双眼鏡をひったくって覗くと、彼女はもう河の中央ほどまで移動して来ていました。今までよく見えなかった部分も、今なら鮮明にわかります。
その顔は水でふやけた水死体のように真っ白で、ぱんぱんに膨れ上がっていました。
私達はパニックにおちいり、一目散に部屋から逃げ出しました。
彼女に憑き殺されそうな気がしたからです。
結局その日は部屋に戻れず、隣町のビジネスホテルに一泊しました。
その後Yはアパートを引き払い、別の町へ引っ越してしまったようです。
私が気にするあまり、対岸にいた彼女を呼び寄せてしまったのでしょうか。