◎詩 Vol.2 影響

086 2004/10/27

 私の詩が独特なのは、二人の詩人の影響からだった。

 前回は、私が詩に目覚めた経緯を書いたと思う。今回は師匠であるLVR氏とNGR氏からどんな影響を受けたのか?及び詩仙庵で扱っている詩のカテゴリの説明を、書いていこうと思っている。もし興味がない場合は申し訳ないが次の普通の雑文が掲載されるまで待っていて欲しい。この不定期連載雑文は私にとって、過去帳であり遺書でありこれからの成長を願って書いている雑文なので。

 読者が知っているように、私の詩のカテゴリには「自己内面詩」「恋愛詩」「感覚詩」で構成されている。この構成こそが、影響を受けて生まれた代物であり、高校卒業以来、彼等との唯一の繋がりでもあると私は思っている。

 では、自己内面詩の由来とその影響の効用を書いてみようと思う。

 自己内面詩の私なりの定義として、恋愛詩は属さない(例え愛や恋と言う文字が入っていてもそこには愛や恋を恋愛感で取り込むのでなく、…なんて言えば良いのだろうか。物事として捕らえ使っているだけに過ぎない。こんな感じだろうか)。自分の内面との葛藤、または(おこがましいが)誰かに何かを伝える詩などを扱う。これが自己内面詩の定義である。

 そしてこのカテゴリに大いに影響を受けたのがLVR氏からだった。前も書いたがLVR氏の詩には一切恋愛詩が出てこない。常に言葉を探求し、他の人間では表す事ができない物事への解釈と思考を扱う方だった。
 私の詩に「○○が○○なりに○○する時〜」などの題名をよく目にすると思うがそれは明らかに彼の影響からだった。
 LVR氏の言葉の使い方は独特で、「滴る欲望」や「破で生きろ」(「破」国語辞書参照)など一瞬何を言いたいのか解らないけれどよくよく一つ一つの単語を調べたり繰り返し読んで解るような詩を扱っていた。きっとその神秘的な言い回しや深い使い方に私は心打たれたんだと思う。

 さらに私の詩に禁忌(タブー)があるのは知っている(詩のページの中にある)と思うが、そのうちの「壱」と「参」は間違いなくLVR氏の影響である。まぁ私の感覚と彼の禁忌が似ていたから私なりの禁忌として表している、ただ、それは真似か?と言ったら少し違う。実際のところ、LVR氏は私が卒業する数ヶ月前から英語混じりの詩を書いているし。

 兎に角、今言えるのは、私が詩を書き始めてから今まで、私の詩の土台はLVR氏の影響が骨組みになっていると言う事である。

 次に、恋愛詩の由来とその影響の効用書いてみようと思う。

 恋愛詩の定義として、裏表(まぁ嫉妬・悔恨・恨み・優しさ・記憶・未来への願望など)隠さず常に恋愛において感じた事や吐露したい事などを扱う。詳しく言わなくても恋愛詩を書いている読者なら言わずもがなかもしれないな。これが恋愛詩の定義ある。

 そしてこのカテゴリに大いに影響を受けたのがNGR氏からだった。NGR氏はLVR氏と正反対で、恋愛詩を中心に創作されている詩人である。NGR氏の紡ぎ出す詩は、微妙な心の揺れと傷と、そして癒しに満たされている。しかし時として荒々しく男心を描いたり、おちゃらけてみたりと決して飽きさせない言葉運び。常に同じような表現にならない様、工夫を怠らない。語彙はかなり持っている方だと思う。
 私はある時、聞いて見た。何故そんなに言葉を知っているのか?と。するとNGR氏は、にこりと笑ってこう言った。「暇な時間って必ずあるでしょ?そんな時、国語辞書をね、読むんだよ。結構面白いもんだよ。筋書きもオチもないけど新発見はあるしね。」私は、なるほど!と思いそれ以来実行している。ただ不覚にも直ぐに睡魔がきて、未だ最後のページまで行けないのだが(苦笑)10年も経っていると言うのに…。

 そんなNGR氏から、言葉を取得し選び想いを乗せるその作業の大切さを教えて頂いた。とくにLVR氏と違い、かなりいろんな話しをしてくれる方だった。LVR氏は読んで感じてみろ的な方で、NGR氏は禅問答に近くても納得の行くまで話してくれる。

 もちろん書き方が素晴らしいだけで私は二人を師匠とは思わなかっただろう。
 彼等が普通の詩人だったら見向きもしなかっただろう。
 彼等は詩に対して命を削りながら、詩に魂を込めながら、詩と死に向き合っていたからこそ私の心が奮え、詩作への道に入り込んだと言う事である。ここらへんの詳しい事は何時か話そうと思う。でも今じゃない様な気がしているので一端封印する。

 そして最後に感覚詩。これが生まれた背景はただのひねくれな気がする。自己内面詩にしろ恋愛詩にしろ、二人の影響があって生まれたもの。それでは幾ら自分らしく作り続けようとも、どこかオリジナリティーに程遠いような気がしていた。そこを悩み悩んである時、一行詩を作ってみた。もちろん、真剣に。しかし言葉を多く使ってしまう私にとって伝えたい事を一行でとはかなり無理難題であった。
 だからさらに悩んだ。私らしい詩とはどういう物だと。どうすればそれが作れるのかと。悩みながら知っている言葉を一行書いて「。」を付けてみた。そしてそのまま言葉の羅列の一行達をどんどん書き連ねていった。そして完成したのが「五変化生行」。これ以前に「感じる前の以前」と言う詩があるが、これは感覚詩のさわりと考えてほしい。きちんと感覚詩と認識したのが「五変化生行」である。なんとなくだが言葉全体が纏まり、意味とか理由とかそんな物をかなぐり捨てて、感覚に訴えかけている気がする。そう思えたとき、これがきっと私の本当のオリジナルな詩なのではないかと思えた。

 こうして3つのカテゴリを支柱にし、今の如月八雲の詩が確立していったのだと思っている。ゆえに、常に思うのが、LVR氏とNGR氏の両名が居なかったら私は本当に詩なんて書かなかったし、まず間違いなく詩仙庵と言う庵が生まれてこなかったと何度も言っている由縁である。
 だから、お礼のページに二人の師匠へのメッセージが載っている。

 さてこのまま行くと、順風満帆で詩作に励んできたような感じになってしまうな。それはそれで良いと思うがそううまく行かないのがこの世界。前回書き途中で切り上げてた、「詩作への意欲をそぐ様なショッキングなこと」を書いていこうと思う。
 もちろん不定期で。いつUPされるか解らないのがこの雑文の特徴である(苦笑)。

 次回「詩 Vol.3 奈落」を書こうと思います。

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