◎貴方を想うとき 1万HITお題雑文

091 2004/11/14



 ◆maro_1202様よりお題提供
 :題  名「貴方を想うとき」
 :書き出し「紅葉、川に流れて」
 :途  中「明日は雨が降るらしい」
 :締  め「酔いもせず、一睡もせず、ただ夜が明けていく」


 紅葉、川に流れてそろそろ出陣の時刻は迫った。
 「我等、西城への道は未だ厳しく死者も多くなってきた。しかし今ここで我等出兵が
  身を引いてしまっては何時まで経ってもこの戦争は終わらない!!!」

 時は唐の玄宗皇帝の時代。しばしば異民族と現地の民族との間で戦闘が繰り返された。今となってはとても詰まらない戦争で、領地を拡大または保護を繰り返す戦争の中で農民達は鍬や熊手を刀と盾に持ち替え無駄な死を繰り返していった。

 「明々後日の明朝、あの異民族の巣食う西城へ攻め込むぞ!我等の勝利は最早目前だ!
  気を引き締め今はとにかく前進あるのみだ!!!」
 「お〜!!!!!!!!!」

 農民達はやっと戦争から解放される日が近いと思い、張り上げる声も大きく強くなった。
 その中に中国の三十六歌仙の一人である王翰(おうかん)もいた。彼は漢詩に優れ、戦争が終わる度に宮廷に呼ばれ、戦争で体験した事を漢詩にしたり、または他の、漢詩を綴る人間と漢詩の善し悪しを競い合ったりなどをしていた。

 王翰は人だかりの中で馬を操りながら出兵長(その軍を率いる長)を探し出しこう尋ねた。
 「出兵長。もうすぐ戦いは終わるんですよね?帰れるんですよね?西城を落とせば…。」
 出兵長は溜め息を吐きながら、
 「たぶんな。しかし異民族はまだまだいる…正直この戦いは終わろうとも戦争自体は
  無くならないだろう…すまんな王翰。宮廷に残した妻子が気になるよな…すまん…。」

 この時、王翰は、実はこの戦いは負け戦になる事を予感していた。西城への道程は険しくそしてまだ西城へ着いてもいない。病気や山賊に襲われ食料も尽き、兵も出発してからもう半分以下。この状況で要塞堅固と謳っている西城を簡単に攻め滅ぼせる訳が無い事を知っていたからだ。しかし宮廷の命令は絶対で、例え犬死同然だとしても前へ前へ進むしかできないのだ。

 トボトボと力なく歩く兵士。誰もが暗雲を顔に纏って行進する。しばらく歩いているとドサッ、ドサッと何かが落ちる音が後方から聞こえてきた。そちらに目をやると、飢えと渇きで力尽きた兵士が何人か倒れていた。時刻は夕刻を終わろうとしている。

 「出兵長!そろそろ休憩をとりましょう!」
 ある若い兵士がそう叫んだ。普段ならそんな意見が飛び出そうものなら打ち首獄門の末、市中引き摺り回しの刑だが、出兵長も含め全員、疲労していた。無理も無い。負け戦と解ってては覇気を持つ者もいないし、場を和ませようとする者もいない。ただただ歩くだけでは疲れなんて溜まっていくだけだ。若い兵士の叫びは誰もが思っている叫びだった。
 それでも歩くしかなった出兵たちは砂漠の先を見詰めた。するとどうだろうか、遥か彼方ではあるが林が見える。林があると言う事は水も食料になる木の実もあるかもしれない。俄かに彼等は活気付き、最後の力を振り絞ってその林へ走り出した。

 走る事しばしば。なんとかオアシスまで辿り着いた。そこには水もあり木の実もありさらに洞窟もあった。雨風を凌げる宿代わりになるかもしれないと兵達は軽く下見をしに行く。するとどうだろう。そこには明らかに先発隊たちがいた形跡があった。つまり食料・水・酒があったのだ。彼等は今まで食べられなかった分をたらふく食べ出した。久し振りの豪勢な食事。彼等の喜びは果てしなく強く強く笑顔となって表れた。

 食事中、オアシスを守るために巡回していた守りの兵から大きな声で報告が入った。
 「出兵長!!西城まで後僅かみたいです!どうやら西城に向かう道の中で一番緩やかで
  早く着けそうな道がありました!先発隊もこの道を通って行ったと思われます。」
 「そうかでかしたぞ!先発隊はここを通ったのか。よし我等も後から来る隊の為に…」
 そこで出兵長の言葉が詰まった。無理も無い。今までこの順路が先発隊より伝わってこなかったと言う事は。西城に行く部隊が全滅だったからだ。つまりこの部隊も同じ運命に…。

 遠くでは雨の匂いがが微かに感じ始めていた。明日は雨が降るらしい。一回咳払いそして出兵長は話しを続けた。

 「本来なら3日後に西城入りなのだがこのまま行けば今日にでも付けてしまう。
  しかし兵士達の疲労ぶりを見ると今日ゆっくり休んで明日の雨を味方に付け攻撃
  した方が良いだろう。今日はゆっくり休め。そして明日の明朝西城を落とそうぞ!」
 「うおぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
 またもや歓喜の叫びである。まるでそれは、刑期を終え娑婆に出られる、そんな喜びの様な叫びだった。

 場所は洞窟である。雨は予想よりも早く強く強く降りだしていた。
 日は傾き兵士達は少しずつ活気を取り戻していった。
 ある者は酔いながら踊り、またある者は琵琶を掻き鳴らし、まるでそこは極楽浄土の様な賑わいだった。もちろんそれは迫り来る避けようの無い、負け戦を覚悟しているからこその狂宴なのかもしれない。王翰も今はそれを努めて忘れ酒を飲み歌い、仲間と語り合った。

 ある者が王翰に一つ漢詩を作って欲しいと頼んできた。
 それを聞き仲間たちは俺も聞きたい俺も聞きたいと王翰を中心に人垣ができた。王翰は照れくさかった。宮廷で大勢の人間の前で漢詩を朗々と読み上げていたのに。多分今までは、ただ芸術を聞かせるだけと言うある種、割り切れていたからできていたのかもしれない。しかし今回は違う。王翰の回りの人間は、希望や憂いなど自分達にとって胸に刻んでいたいそんな漢詩を待っているんだ。お偉方の酔狂の為の漢詩でなく、命を共にした仲間からの熱い気持ちの篭もった漢詩を。

 しばらく王翰はごつごつとした岩肌を見詰め、そして静かに漢詩を詠み始めた。

「涼州詩」
  葡萄美酒夜光杯
  欲飲琵琶馬上催
  酔臥沙場君莫笑
  古来征戦幾人回
【漢詩の読みや意味などは最後に載せてあります。この漢詩は実際にある漢詩です。】

 皆、静かに聞き入り暫くの間、口を開く者はいなかった。それは悲しい漢詩だからではなく自分達の為にこの漢詩を読み精一杯の心の持て成しを受け、その素晴らしい心意気の余韻を感じていたからだ。

 ただ静かに泣いた。そうしてそれから半刻が過ぎようとする頃、出兵長は口を開いた。
 「夜も更けた。明日は最後の戦いだ。今日はもう寝よう。王翰、漢詩をありがとう。」

 そして兵達は自分の寝床に帰っていった。
 洞窟の中で焚いた焚き火は静かにパチパチと音を立て王翰に拍手を送っている様だった。
 王翰は一人、夜光杯に残っている葡萄酒を飲みながら明日の戦を考えていた。

 その後、王翰の軍がどうなったかは誰も知らない。
 この話しがどこから流れて来たのか誰も知らない。
 この話しの真偽は闇の中で、つまり誰も解らない。
 ただ風の噂によれば、改めて王翰はあの漢詩を口ずさみ酒を飲んでいたと言う。
 酔いもせず、一睡もせず、ただ夜が明けていく時間の流れを王翰は感じながら。




◆涼州詩(りょうしゅうし) 作者:王翰(おうかん)/687〜726
【漢詩】
  葡萄美酒夜光杯
  欲飲琵琶馬上催
  酔臥沙場君莫笑
  古来征戦幾人回
【読み方】
一行目 葡萄(ぶどう)の美酒(びしゅ) 夜光(やこう)の杯(はい)
二行目 飲(の)まんと欲(ほっ)すれば 琵琶(びわ) 馬上(ばじょう)に催(もよお)す
三行目 酔(よ)うて 沙場(さじよう)に臥(ふ)すとも 君(きみ)笑(わら)うこと莫(なか)れ
四行目 古来(こらい) 征戦幾人(せいせんいくにん)か 回(かえ)る
【語釈】
葡萄  :漢の武帝の時、西域から伝えられた葡萄酒。
夜光杯 :ギリシャ製のガラスのコップ。「夜間にも光を放す杯」というので名を付けた。
沙場  :戦場。西域は砂漠の地が多く戦場となった。
君   :誰と特定せずに、世の人をさす。
征戦  :戦争に出かけること。
幾人  :何人か。数は解らないけど、何人か。
回る  :帰るの意味。ここでは帰らないと思いながら読んだ方が自然かも。
【通解】
甘い葡萄酒を夜光杯にうけて飲もうとしていると、誰かが馬上で琵琶をかきならし始めた。みんなの気持ちは飲めや騒げという訳であろう。でも酔い潰れて砂の上に寝てしまっても、笑ってくれるな。昔から西城へ出征した人で、無事に帰った者は少ない。大多数が討ち死にや病死してしまうのだ。だが明日の命はどうなるか解らないから、今は大いに飲むがよい。

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