◎語学力

103 2005/02/06

 最近、巷では「語学力の低下が大問題だぁ〜」と叫ばれている。

 それもそこかしで。ほら、街に出て耳を傾けてたもれア・モレ、ミ・アモーレ♪まーよい、迷わーされて海馬ー、キッスは目の上のたんこぶ〜ア・モーレ〜♪>中森明菜、密かに好き(特に「愛撫」最高w)wけど歌詞がなんか違う(苦笑)

 で、それを「ゆとり教育」が悪いだの「学校が悪い」だの「ペ・ヨンジュンが好き」だの「チャン・ツィイーがかわいい」だのと色々な諸説が流れているが如月は、そう思えない。だからと言ってゲームばかりしているからだとか、漫画ばかり見ているからだとか、肉ばかり食べているからだとか…それも、ちと違う気がする。

 じゃーなんだと。答えは簡単である。それは言霊の極意を伝承する古き良き時代の大人の血が絶えた事。如月はそう思わざるを得ない所まで来ていていると確信している。

 遥か昔、日本がまだ米作りをしようかやめようかあみだくじで決めようとしていた時代では、たった一つの言葉で相手を退けるだけの力が合ったと思う。

 例えば言葉が悪いが「あっち」。
 昔の日本人はこの言葉を忌み嫌っていた。まぁ勿論現代でもそれはあんまり変り無い。しかしよく使う。現代では「お父さんの洗濯物を洗う時はあっちでやって!」とか「あっちに宝の財宝が眠っているぞ!」とか。この言葉だけで日本人は簡単に動いてしまう。
 なんか「あっち」って全然悪い言葉では無い気がするがそれは言霊の呪力が弱まったと解釈しておこう。そうしようそうしよう、おお!そうしませう(汗)

 まぁつまり、言霊と書いたけど、簡単に言っちゃえば言葉の重みや使い回しの楽しさを教えられる大人が減ったのではないかと思う訳でありんす。

 本離れもきっとそういう言葉への過疎化が加速化している事に通じ、敬語や丁寧語や謙譲語が曖昧になりつつある事がそういう現状のなせる技なのかもしれない。
 かく言う如月も本離れが著しくあり、人の事をどうこう言う前に己を何とかしなければと言う危機は沢山抱えているんだけど…。

 少し前、A君(簡易日記に出没中(苦笑))と言う人物と日本語はむっずかすぃ〜ねぇ〜と言う話しをした事がある。しかし言葉をより言葉らしく美しく魅せられるのは日本語の他にはないだろうと言う話で決着を付けた事がある。もちろん如月が勝手に(苦笑)。ただA君は「いや、きっとフランス語とかだって綺麗に言葉を魅せられる」と言っていたが却下したのは秘密だ。
 だって知らないんだもん、フランス語。>こらこらそれでいいのか己は(苦笑)

 ある外国では日本語が悪魔の言葉と言われてしまう程難しいと小耳に挟んだ事があった。たしかに「てにおは」や「助動詞動詞形容詞形容動詞連体詞助詞うっしっし」とやたらと難しい言葉の理が数限りなくあるから仕方が無いかもしれない。
 さらに普通の言葉の使い方の他に、洒落や駄洒落、都都逸や俳句短歌川柳詩と言ったこれまた難しい用途も合ったり、訛りなどもお顔を見せ出した時はそりゃぁもう日本人の如月でさえ匙を投げたくなる時もある。その上、起承転結なんて言うまるで「北斗の拳」に出て来る秘孔っぽい名前を見せられた日にゃそりゃぁもう夜も寝れなくなったりならなかったり。

 それをやはり小さい頃からこんこんと頭に叩き込んでいかなければ使えないのは当たり前なのだ(あえて「当り前田のクラッカー」と書かない所が読者に優しいではないか>をい)。
 そして世代交代していく中でそういう大切な言葉の継承を警鐘として促しながらきちっりと伝えられない大人も増えてきた訳だな。

 兎に角、最近の言葉の乱れ(いつそんな話しをしたのかは目を瞑ってくれい)や語学力の低下は他人事の様でいて他人事ではないというわけだっちゃわいや。

 だから本を読もうと声を大にして言いたいのだけど本を読んでいない如月の言葉じゃ説得力も減ったくりもないので今は言わない様にしておくべ。

 よし!今日は何と無く考察的に雑文が纏まったなw良かったぁと自画自賛してみる。まぁたまには良いじゃないか。普段はダメダメ人間でダメ雑文書いてると自覚ありすでごわす。

 でわww

 ん?今日はいつにも増して文章が変?当り前なり。これが語学力低下の極みと言う訳さ。諸君!こんな文章書かない様にしっかり語学力は身に着けたもれ、ア・モレ、ミ・アモーレw

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