◎独白

104 2005/02/10

―「今日、僕の誕生日である。そしてこのHPの誕生日でもある。」
 これが初めて書いた雑文の書き出しだった。
―「やっとこさ入力チェック・リンクチェック・更新作業も終わって一息つけた。。。」
 これが初めて記した日記の書き出しだった。
―「◎霧の中の老兵」
 これが初めて公開した最初の詩の題名だった。
 これらが詩仙庵最初の産声。詩仙庵の繁栄を願い、創作に邁進できる喜びの産声。

 …気付けば産声を上げてから1年経っていた。一年…それは些細な事なのかもしれない。時が流れただけの事なのかもしれない。実は全く特別視すべき事ではないのかもしれない。小さな島国の小さな民族の小さな人間の小さな叫びが飛び出たに過ぎないのかもしれない。


 思い起こせば詩仙庵のお陰で色々な事を学んでこれた。運営面でも創作の面でも。
 時に笑い、時に泣き、時に怒り、時に情けなくて、閉鎖しようと詩仙庵全てのファイルを何回ゴミ箱に投げようとしていた事か。……でも今ではそれは、良い思い出に変わってる。
 そうして感じてきた全ての事が一つ一つ如月八雲の血となり肉となり知恵となり、そして詩仙庵と言う小さな寂れた庵に活気を灯す大切な礎に構築されていった。

 詩仙庵が産声を上げて直ぐ、沢山の人が立ち寄ってくれた。住み込んでくれる人もいた。逆に旅立った人もいた。戻って来た人もいた。そしてまた新たな人が立ち寄ってくれた。
 人の流れが、私の心に様々な感情や想いを届け、同時に沢山の人に支えてもらってきた。

 『深く感謝』


 思い起こせば一昨年の10月からちまちまと作り始め、去年の2月になんとか公開日まで漕ぎ着ける事が出来たのは、ある意味、奇跡に近かった。

 それ以前に詩に出会っていなければ、この詩仙庵は今日ここに存在はしていないだろう。
 そして繋がりのある人、繋がりがあった人に、出会う事が許されなかったと思う。
 そしてこれから先、まだ見ぬ新たな人とも出会えなかったと思う。

 不思議な流れ。0と1の記号の羅列が、文字を見せ、色を見せ、形を見せる。そして人の流れを作る。その中で私は時にぶつかり時に包まれ、決して一人では知り得ない大切な事を与えてもらってきた。恵まれた環境に巡り逢えたのは本当に幸せで。

 『だからこそ、深く感謝』


 沢山の偶然があった。沢山の想いが交差した。
――詩を10年近く書いていた事と草名が如月八雲であった事。
――詩を創り出す前から、素敵な師匠達に出会えた事。
――川崎の会社に入社し、その会社がネット使いたい放題だった事。
――2件の詩の投稿サイトに巡り逢え、そこに投稿し、感想を頂けた事。
――自宅の賃貸マンションにネット環境が揃えられ、電話線を使わないで出来た事。
――古い友人にパソコンを売ってもらえ、その中にサイト作成のソフトが入っていた事。
――そのソフトの使い方を手取り足取り教えてくれた人がいた事。
――立ち上げ日に必ず間に合わせなさいと尻を叩いた人がいた事。
――詩仙庵と言う名前が生まれ、その名前を気に入ったと言ってくれた人がいた事。
――詩仙庵と相互リンクをしてくれた人や、静かにリンクを貼ってくれた人がいた事。
――運営で躓けば親身に相談を乗ってくれた人がいた事。
――集まろうと声を掛ければ、集まって酒を酌み交わせる人がいた事。
――詩作において厳しく諭してくれた人や、優しく詩の感想をくれた人がいた事。
――如月の詩に作品を添えてくれた人や、如月の詩を添えさせてくれる人がいた事。
――掲示板に顔を出してくれた人や、詩の投稿用掲示板を使ってくれる人がいた事。
 全てが奇跡で全てが詩仙庵の軌跡。

 どれか一つでも欠けていたら、今の詩仙庵が存在する事は困難だったと思う。
 まだ一年、もう一年、今そう言う想いが胸を埋め尽くす。
 そしてこの一年を振り返り思う事は、「我武者羅に走ってきた」これに尽きると思う。

 右も左も解らない状態でただ走り続けた。電子世界の中を不器用ながら走り抜けてきた。きっと器用ではない私の事だからこれから先も、不器用に走り続けるしか出来ないと思う。それは例え詩仙庵が無くなったとしても、変わらないスタンス。

 そして、かなり臭い言い回しで大変恐縮する上に、月並みな言葉で本当に申し訳ないが、
「皆がいたから私はこうやってこの大切な日を迎えられて静かに喜びを伝える事が出来た」
 そこに想いが集約されるんだ。

 『だからどうしても改めて、深く、深く、感謝』


 ありがとう、本当に。今日まで詩仙庵を愛でてくれて。
 そうして私は今日もまた、当たり前の様に稚拙な詩を芸術の域に達するまで奮闘し続け、捻りの少ない雑文で読み手と一緒に笑い泣き怒り、水で片栗粉を溶いた様にまったりしてる日記を書き上げていこうと思ってる。自然体で自然体で。でも時には弾けて。

 そして下を見るな上を見ろ。そう胸に刻みながら沢山学び沢山遊び成長していきたい。
 だから(いい加減お馴染みのフレーズで使い回しっぽいけど)、
――「これからも、まだまだ幼い、詩仙庵と如月八雲を末永くよろしくお願いする。」
 赤裸々にそう願う。赤裸々にそう呟く。赤裸々に、ここに記す。

 今日、私が産声を上げた。
 今日、詩仙庵が産声をあげた。
 偶然と軌跡と必然に彩られた運命の華咲いた今日と言う日に。

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