◎詩 Vol.3 奈落

109 2005/02/27

 私が詩を続けようと決心できたのは、挫折と改心を経験したからである。

 前回は、詩と生き方の師匠であるLVR氏とNGR氏から受けた影響による現在の私の、詩の書き方と分類別毎の説明を書いたと思う。今回は、わずか数編で、詩を己の中で自由に作れると勘違いした私の心に鉄槌が下され、なぜLVR氏とNGR氏が私の師匠なのかを、書いていこうと思う。
 もし興味がない場合は申し訳ないが次の普通の雑文が掲載されるまで待っていて欲しい。この不定期連載雑文は私にとって、過去帳であり遺書でありこれからの成長を願いながら、書いている雑文なのである。

 それは詩を6編作った時の事。
 たまたまLVR氏とNGR氏が私の所に遊びに来ていたので二人にどうしても詩の評価をしてもらいたく詩を書き溜めるノートを見せた事がことの始まりだった。

 その頃、私は何を勘違いしてたのか、たった6作品作っただけで「私は詩を書ける人間」だと有頂天になり、さらに「言葉が私の配下」だと慢心していた。つまり1を知って10を知ったかぶりする的なかなり勘違いなんちゃって詩人気取りをしていたわけだ。
 まぁ当時、何をしても器用にこなしていた(そう勝手に思い込んでいた)私だから、言葉の配置や思いを伝えるなんて簡単に出来る作業だろうと、思い込んでいたのだ。
 今思えばなんて情けなくなんて哀れで、出来るならその当時に私を今の私が会いに行き、鉄槌を下したい気持ちにさせる、すごく抹消したくなるそんな私だったのだ。

 そういう慢心さをLVR氏は前々から薄々感づいていたからこそ、Vol.1でLVR氏が、「しかしお前みたいな言葉を大切に扱えない奴に詩を書いて欲しくない。」と言う発言を、私に伝えたのかもしれない。師匠よ、あなたは間違っていなかった。

 慢心なままの私は鼻息荒く、さぁ見てくれ褒めてくれと言わんばかりに胸を張り、感想を待った。ああ、こんな事を書いて良いのだろうか…。しかしこの時の私があったからこそ、今の私がいる訳で、その後の鉄槌がなければきっと私は今以上に意味のない詩を書き続けていたに違いない。

 最初に批評したのはNGR氏であった。NGR氏は、「うん、かなり個性的な詩風だね。おもしろいよ。うん。他では見られない詩だね」と優しく言ってくれた。今思い返せば充分お世辞だと解る。何故ならば、今の私がその時の詩を見ても、何処を褒めたら良いのか全然まったく解らないからだ。

 しかし慢心してる当時の私は、おおそうか!私の詩はそんなに個性的でおもしろいのか、とさらに鼻を高くしてしまった。この時ほど満足して幸福な気分を味わえた事はなく、でもそれがこの先一生味わえない至福の瞬間だとその時の私は理解することすら出来なかった。

 私は私の詩に対してNGR氏の批評で確かな手応えを感じた(無論、大いなる勘違い)。
 そして次に、いよいよLVR氏の批評を聞く番になった。胸は高鳴っていた。何故ならば私が詩を書くと言う事を導き、詩の門を示し、詩を作る楽しみを教えてくれたからだ。
 ただNGR氏から最高のお褒めを頂いた直後だった為、きっとLVR氏もすごく、褒めてくれるだろうと勝手に期待し、そう想像していた。ところが…。

「なぁ。…詩を書いたんだよな?どう読んでも俺には…小説にしか読めないぞ?変な人物が
 出てるし、物語的だし、何よりも気持ちがない。お前は詩人じゃなくてさ、えっと……、
 そう!小説家になれ、小説家。その方がいい。お前に詩は似合わない。小説がいいよ。」LVR氏はそう言いながら苦笑いを零していた。

 如月の初期の詩に「◎霧の中の老兵」と言う詩がある。詩仙庵掲載最初の詩である。それを読めば、LVR氏の発言が如何に正しく間違っていないか納得出来るとはずだ。確かに、LVR氏の言う通り知らない人物が出てきたり、変わったシチュエーションが展開したり、気持ちを込めるよりも言葉をただ単に繋げる方が楽しかった。嗚呼穴があったら入りたい。

 私は初めてその時、言葉を扱う事の難しさを身を持って知った。
 私は初めてその時、己の稚拙な心構えを悔やんだ。
 私は初めてその時、詩と言う深い迷宮の扉の前に立てた。
 私は初めてその時、詩に対して畏れた。
 そして私は初めてその時、詩と言葉と二人の心意気を通し、挫折を味わった。
 たかだか言葉の集まり。そう軽んじていた部分をきっちりと見詰められ掴まれ殴られた。確実に私の汚い部分を指摘されたのだ。

 「気持ちがない」この一言が私の、もっとも詩にできてない部分だった。
 私がその時、深く沈んでいるとNGR氏が「例えそれでも『それが詩だ。誰に何と言われようとも詩だ』と思えれば、それが君の詩なんだよ。」と優しく諭してくれた。
 「もちろん詩に心が入っていないのはちょっと…だけどね」と最後に言っていたが。

 NGR氏の言葉を聞き、ダメ出しされたり貶されると簡単に飽きてやめてしまう性格の、如月の中で、何かが弾けた。ある意味、それは開き治りだったのかもしれない。それでも、何かが私の中で弾けこう思った。
 『絶対LVR氏に私の書いた詩を詩と認めさせたい。私の詩をLVR氏が詩と認める時、やっと尊敬するLVR氏とNGR氏の横に立てるのではないのか?それまで何がなんでも、自分の心を投影させた詩を作り続け、NGR氏からの批評の言葉をお世辞ではなく、本当の批評にまで持っていきたい』と。
 でもかなり不純かもしれない。しかし私は私の詩が如何に小手先で作られたかを改めて、実感した瞬間でもあった。そして私の身勝手な慢心が抜けた瞬間でもあった。

 私はLVR氏とNGR氏から、詩作とは大切で秘密で厳格な行為であって、詩と己を向き合わせる唯一の事故成長に繋がる大切な行為で、故に己と己が向き合う大切な時間。だと、教わった(これは如月が勝手にそう思っているだけなのだけど)。

 そうして、今もなお、LVR氏とNGR氏は私の中で越えれない遥か高みの存在であり、まだまだ私には学ぶべき事が多いと伝え続けてくれる存在なのである。だから私にとって、尊く気高い師匠達なのである。

 今一度、私は思う。LVR氏の鮮烈な批評がなければきっと今の私も今掲載している詩も日の目を見る事はなかっただろう。決して大袈裟に言っているのではない。ただただ素直にそう思うのだ。そして心から感謝の念でいっぱいである。

 さてとりあえず今回までは詩の創作のきっかけやら何やらを話してきたがこれからはもう少し突っ込んだ、創作中の話などを書いていこうと思う。そうそう、実はこの奈落の他に、もう一つ凹む話があるが、今回もかなりの量を書いたのでその話はいつか書こうと思う。
 もちろん不定期で。いつUPされるか解らないのがこの雑文の特徴である(苦笑)。

 次回「詩 Vol.4 停滞」を書こうと思う。

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