◎如月賛歌 2万HIT雑文
148 2005/06/29
◆野の牛様の創作雑文
:挿入文章A 「如月」「アメフラシ」「私の」「推理」
:挿入文章B 「@駄洒落を1回いれる。」
2005年05月17日22時0分。全てはこの日記から始まった。この日の日記の中で如月八雲は狂ったようにこう連呼している。
「私はクールだ」と・・・・。
しかし私はそれを認めることが出来ない。如月と知り合ってから1年あまり、この間に私は彼がクールさを示したところを一度たりとも見たことがない。例え郵政民営化や中国の反日デモを認めたとしても、如月八雲のクール発言だけは断じて認めることができない。
そう、私はここで高らかに宣言しよう。「如月八雲はクールではない」と!!!それは動かぬ事実、自然の摂理、世の中の誰もが認める普遍的価値なのだ。今回はいくつかの事例を挙げながらそれを証明していきたいと思う。
しかしまず「クール」とはどういうことか。英和辞書を引いてみた。
COOL:@涼しい、冷たい。A冷静な、落ち着いた。B冷淡な、そっけない。
Cずうずうしい、厚かましい。Dすばらしい、かっこいい。
う〜む。Cの意味はかなり意外だ。しかし如月自身がCの意味でクールという言葉を捉えてはいないだろうから、今は除外して考えたい。
その他の意味は大体に予想したとおりだ。冷たく、落ち着いていて、そっけない。しかしカッコイイ。これがクールな人間像である。この時点で如月八雲はクールではないと断言できるのだが、今は答えを急ぐことが最善ではない。
まずは彼の日記を見てみよう。2005年05月10日の日記の冒頭文はこうである。
「食らえ!邪王炎殺黒龍波〜〜〜!!!きゃぁ〜〜飛影、最高にかっこいいですね〜wいやんwってしょっぱなからこんな出だしでごめんなちん。」
・・・私はこの文章からいかなるクールさも見出すことが出来ない。邪王炎殺黒龍波や飛影を知らない読者のために解説すると、飛影というのは「幽遊白書」という、かつて少年ジャンプで連載されていた漫画の登場人物であり、邪王炎殺黒龍波というのは彼の手から黒い竜が放たれるという必殺技の名前である。彼は漫画の中では1・2を争うほどのクールな人間(妖怪?)として描かれている。そのかっこよさに憧れる若者も少なくはないだろう。
しかしだ、真にクールな人間は、他のクールな人間に憧れを持ってはいけない。それが漫画のキャラクターだとしたらなおのことである。必要なのは自分こそが最もクールだという自信と気概であり、もし目の前に自分よりクールだと思われる人間が現れたとしても、腕組をしながら相手を見下すほどの余裕を持つのが理想である。間違っても漫画のキャラクターに「最高にかっこいいですね〜wいやんw」などと言ってはいけない。「ごめんなちん」などは論外である。
次は、彼の雑文をのぞいてみよう。「雑々草稿」→「分類別」より「社会の中心で怒りを叫ぶ」シリーズを見て頂きたい。
・・・・まあよくここまで怒りをあらわに出来るものだ。およそここでは引用することをはばかれる程の罵詈雑言が並べられていて、内容は社会の理不尽や、世間を賑わした事件に向けられたものがほとんどである。しかしクールな人間はどんなことにも怒りをあらわにしてはいけない。それが身近な出来事でないとするなら、なおさらである。もしあの「ブ○ゴリラ○バァ」のようにどうしようもなく怒りがこみ上げた場合でも、眉毛一つ動かさずに、裸の銃(ガン)を突きつけて、何事もなかったかのように全てを無に帰すのがクールというものである。
しかし如月のやっていることは間違いではない。彼の声は我々世論の代弁でもあるのだ。社会の理不尽に心を動かされ、公にこれでもかと高らかに怒りを表明する。彼の行為によって何か胸の奥がすっとしたという人も少なからずいるだろう。これはおよそクールな人間にできる芸当ではない。にしても「ブタ○リラバ○ァ」はかなり強烈だが。
如月八雲はドラマが好きだ。特に「セカチュー」「ラブ・ジェネレーション」「101回目のプロポーズ」などのいわゆるトレンディードラマが大好きである。しかしクールな人間はドラマなどを見てはいけない。そもそもテレビというもの自体がクールな人間にはあまりふさわしくないアイテムである。閲覧の許されるテレビ番組は「国会中継」と「世界の車窓から」のみであり、間違っても「特命係長・只野仁」を見ながら鼻の下を伸ばしたりしてはいけない。
如月八雲は声が高い。そしてやらし・・・やさしい声をしている。形容するなら「いやし系」である。(決して「いやら○系」ではない。これ以上書くと怒られそうだ)しかし、クールといわれる著名人たち、菅原文太、高倉健、ロバート・デ・ニーロにジャック・ニコルソンにリリー・フランキー、彼らは往々にして低く渋い声の持ち主である。
「クールな人間に渋い声」は「男爵にヒゲ」「ヨン様にマフラー」と同じくらい必要不可欠なアイテムであり、これがなくてはそもそも「クール」という言葉が成立しないと言ってしまっても良い。考えてみて欲しい「俺にさわると・・・怪我するぜ」なんていうクールなせりふも、甲高い声で言われてしまうとギャグにしか聞こえないではないか。
ゆえに間違ってもベッカムやデカプリオはクールな人間ではない。如月八雲もこれに準ずるだろう。唯一の例外は哀川翔である。
まあ彼らと如月を同じくくりにするのも少し(かなり?)問題だが。どっちかというとクロちゃんか。いや、これはすまぬ失言である。
如月八雲はよく笑う。「あひゃひゃあひゃひゃ」とよく笑う。時には「おひょひょおひょひょ」と笑い続ける。時には「うひゃぁおひょひゃっふゆひひょひょひょ」と・・・・いやこれホント。
しかしクールな人間に笑いは許されない。唯一許される笑いは「・・・・・フッ」のみである。この「・・・・・フッ」という冷笑に全ての思いを込めるのが由緒正しきクールというものである。例え目の前で、アメフラシがマツケンサンバを踊っていたとしてもとしても「・・・・フッ」と笑い、例え家に帰った時に、自分の母親がデューク更家のウォーキングエクササイズをしていたとしても「・・・・・フッ」で済まさなくてはいけない。波田陽区やアンガールズのネタに「うひゃぁおひょひゃっふゆひひょひょひょ」と爆笑しているようではクールへの道は程遠い。
唯一、如月八雲をクールと呼べるのは彼の詩作だろうか。その洗練されていながらも甘美な言葉の流れは、クールと形容することが出来るかもしれない。しかしその作品をよくよく読みとっていくと、そこに込められた思い、そして背景に流れる彼の詩そのものに対する情熱は全く持ってクールと形容することはできない。
見よ!「爆龍恫喝」を。多用される感嘆符、力強い言い切りの形、そして燃えるようなメッセージ。これのどこがクールと呼べるだろうか。見よ!「修羅の君に哀願する」を。この詩に込められた、詩作そのものに対する苦悩と、むき出しにした情熱、より高みを目指そうとする意志。これのどこがクールと呼べるだろうか。(ちなみにこの2作品は私がかなり好きな作品である)如月八雲の詩に対する姿勢はクールではなく、あくまでもホットである。
ここまでくればもはや如月八雲はクールではないということは証明されたと思う。しかしここでもう一度、発端となった例の日記を見ていただきたい。この中で如月八雲はなんと言っているのか。懸命な読者なら、驚愕の事実に気付く事だろう。
如月八雲はこう言っている。
「私はCOOOLだ」と・・・・。
・・・Oが一つ多いではないか。
一体これは何を意味するのか。この謎に挑まなければ、如月のクール発言を否定し、如月八雲という人間像を浮かび上がらせようとすることが目的の、この雑文を締めくくることはできない。であるからして、皆さんにはもう少しお付き合い願いたい。
しかし、如何にしてこの謎を解き明かそうか。これはなかなかの難題である。Oが一つ多いということ。ここは一つ発想を転換してみたらどうだろうか。多いのは英語のO(オー)ではなく、数字の0(ゼロ)だと考えたらどうなるだろう。「クール」「数字」から連想されるものは・・・ズバリ「温度」である。少しずつではあるが解決の糸口が見つかってきたような気がする。
そしてクールといえばクール宅急便である。某運輸会社のクール宅急便の設定温度は何度なのか参照してみたい。少し調べたところによると、クール宅急便には冷蔵便と冷凍便の2種類があるらしく、冷蔵便の設定温度は0℃〜5℃、冷凍便は−10℃〜−15℃らしい。
ではこの温度に0(ゼロ)を一つ付け加えるとどうなるか。冷蔵便の場合は50℃、もはやこれはクールではなく、暑い、ホットである。そして冷凍便の場合は−100℃、ここまで来るともはやクールとは呼べない。形容するならコールドである。
この推理からわかることは、如月八雲は自分を「COOL」よりもゼロの一つ多い「COOOL」、即ち「ホット」で「コールド」だと言っていて、決して「クール」だとは一言も言っていないのである。これは驚きの大発見であり、如月の発言を根本から見直さなくてはいけない。
如月がホットな人間であることはすでに述べてきたが、コールドとはどういうことか。如月がコールドだと思われるのは勿論そのギャグである。2005年05月27日の日記を見てみよう。
(たこわさを形容して)「ピリッと舌に来る辛さ、コリコリとした食感wう〜んwす・て・きw食いしん坊ばんざいw>おいおい」
・・・う〜ん、これはギャグなのだろうか。自分で突っ込みを入れているあたりが切ないほどに寒気を覚える。まさしくコールド以外のなにものでもない。如月のギャグを例えるならば、切れ味のよい刀でスパッと切られたような感触ではなく、錆び付いた刀で殴られたような鈍い痛みを覚える。しかしこれでは如月賛歌ではなく如月酸化である(ちなみにこれは駄洒落である)
如月八雲はホットでコールド。寒いギャグを放ち、アニメキャラにでさえ憧れを持ち、ドラマに心を動かされ、時に怒り、時に甲高い声で笑い、そして詩作に対しては並々ならぬ情熱を注ぐ。
そう、如月八雲はなんとも「人間くさい」のだ。
クールさとは、自分の感情や自分の醜いと思う点を押し込めることで生まれる。それは我々が社会に生きる上で、自然と身につけてしまっているものなのかもしれない。
しかし如月はそれを許さない。決して格好つけることをしない剥き出しの感情表現、寒いと言われようと堂々と放ち続ける冗談の数々、そして隠すことを知らない苦悩と情熱。如月八雲という人間は、我々が忘れかけていた、自分を素直に表現することの「美しさ」「人間らしさ」というものを再び思い返させてくれる。彼こそが、現在我々の生きるこの冷たい現代社会を見直すべく、これから人間の道標となるべき姿を表しているのかもしれない。
如月八雲は「クール」ではない。しかし彼はこのことを「COOOL」という言葉で、すでに我々の前に示していたのである。見事な自己分析、見事な表現力。もうこれは認めるしかない。如月八雲、私の負けです。間違いなくあなたは「COOOL」です!!!
〜最後に〜
ここに描いた如月八雲氏・及びクールな人間の人間像は私の主観、及び半分以上がネタによるものですので、事実に基づいて書いてはいますが、全くの鵜呑みにしないことをお勧めします。また如月八雲という人格を傷つけないように、表現に細心の注意を払いましたが、私自身、彼の全てを知っているわけではないですし、全く異なる視点で如月八雲という人間を捉えている方もいるかもしれません。その点はご了承下さい。
また彼の友人であり、詩作・人生においての後輩である私、野の牛のこのような雑文を、自身のホームページに記載することを許して下さった、如月八雲氏の寛大さに敬意を表しつつ、彼自身の言葉をもって、この雑文を閉めさせていただきたいと思います。
「では今日はこの辺でwCOOOLにおやすみなさい。びびび。←さらにCOOOL電波発信中(苦笑)」
・・・よもやこの流れでオチをつけるか?普通。