◎夜or夜

153 2005/07/17

 日記にでもちょろっと書いたけど如月は夜が好き。静寂の中ではっきりと聞こえてくる、車の走る音。人の足音。風の流れ。月の光の建物への反射音。そして自分の心音。
 心地よいと全部を聞こうとする時がある。また、五月蝿すぎてその静寂から逃げ出す時もあったりする。どっか身勝手な感情が簡単に暴走するのも夜を愛するものの特権だと、そう思っている如月がいる。

 夜は五感を、いや六感すらも研ぎ澄ませてくれる。多分、夜と言う巨大な波に魂が包まれ安心感を得たからかもしれない。または余りにも孤独で恐怖から身を守る為に敏感になったからもしれない。答えは夜の中。ミッドナイトウィンドウに吹かれて。

 夜の道を歩くとき、たまに人ならざるものの気配を感じる。ああ、心霊系の話しに持っていきたい訳じゃないんだ。ただふとそう思うことがある。一人のときも何人かといる時も。怖いとかそういう気持ちになる前に、なんか何処へ行っても一人じゃないのかと感じる。

 誰かが言った。夜に感覚が研ぎ澄ませる奴は遥か太古にいたであろう夜の民の末裔だと。あながち間違っていない説なのかもしれない。だって夜に浮かぶ月を見てると安堵しながら彷徨い歩くことにとても恍惚を覚えるのだもの。言い様ない快感。まるで、暗闇が栄養剤のように魂に入り込んで静かに呼吸し始める。そんな感じを味わえる。

 時に人は夜を恐れる。怖い物。認識できない物。触れては行けない物。人によって様々な呼び方捕らえ方感じ方で恐れる。何故か?きっとそれは静寂の中に置かれると何時の間にか自分との対話が自然に始まってしまうから。だって、他にすることが余りないから。

 自分を見詰めるってとても辛かったり不安だったりする。闇の中で手をふらふらと揺らしながら捉え切れない物に掠っては怯え、怯えてはまた掠ろうとする。それが自分。

 誰もがきっと自分の本性から逃げ出したいんだ。

 弱い自分。寂しがる自分。妬む自分。嫉む自分。汚い自分。我侭な自分。消したい自分。上げればきりがない。108の煩悩があるのだから。
 そんな自分がいやに明瞭に見えてくるのだ。闇と言うスクリーンに映し出され、隠してる本性がくっきりとね。だから怖がるのかもしれない。はっきりとしたことは言えないがでも如月はそう思ってしまう。何故ならば如月自身、夜は苦手だったからだ。現れては消える、醜い自分と対峙した時、それを受け入れるべきか突っぱねるべきか何度も何度もそれはもう数え切れないくらい悩んださ。でも最終的にはどこかそうやって突き付けられる事が意外と心地よかったりして。癖になって夜が好きなった。ちょっとおかしいよね。

 おかしいと言えば、今回の雑文の全体的な雰囲気もおかしいね。普段なら真面目に行くかお笑いで行くか怒りで行くかなのに、今回はそのどれにも当てはまらない。なにかに分類を無理矢理するならば、たぶん「まったり」なのかもしれない。書いていて気負いもだらけもない。ひたすら夜の中で夜を感じながら心から溢れ出す文章を勝手に指が弾き出している。そうとしか言えないようなほど、今回の雑文は滑らかに書いている。

 夜の質感。今、滑らかって言葉でふとよぎった。ねぇ、夜の質感ってどんな感じ?
 皆さんいったいそう問われてなんて答えるのだろうか?さらさら?ねっとり?むあーん?さぁどう答えるのだろうか?如月なら?そうーねぇ如月なら、するするすべすべ。しかし、それから触れ終えようとする瞬間に少しだけ、もしかしたら自分の勘違い?と思えるくらい瞬間の中で吸い付いてくる。そんなふうに答えるだろう。

 だからどうしたと問われても、いやそれだけだ。としか答えられないが、今日は少しだけ夜に付いて感じていたことを書きまとめてみた。しかしきっといろんな夜をこれから如月が経験していく中で今日書いた雑文の内容は変化していくと思う。だって夜は質感があっても形がないのだから。そして如月の心の形もまた夜と同様にないのだから。

 今日はひどく心が騒ぐな。ああ、満月だったのか。

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