◎恐話百鬼夜行 第三十六夜(下)

179 2005/08/31

◆『生き人形/1997年TV放送より』      語り部:稲川淳二 職業:タレント

 やがて話も一段落して、稲川さんはゲストの席に座る。
 3人目の霊能者の人も本番中に間に合って、稲川さんの横に座った。
 そして挨拶をする2人。
 
「今回はよろしくお願い致します。」
「いえ、こちらこそ。…ところで稲川さん、今何か感じませんか?」
「えぇ、今こんな事があったんですよ…。」
 と言って稲川さんは黒い幕の所で見た不可解な現象について説明した。
 すると霊能者の人はこんな事を口にした。
 
「えぇ…ここに居ます…。」
 
 と言って稲川さんの肩の上のあたりを指差した。
 
「え…?」
「…居るんです…。今稲川さんの上に男の子が1人…。」
 
 そしてさらに、番組の段取りには無い事を言い出した。
 それによれば、番組を観にスタジオまで来ている奥様達が大勢座っている
 観客席の上に、照明がたくさんセットされている太くて長い棒がある。
 その棒がこの時にはちょうど観客席の真上にあったのだが、
 
「お客さん達が危ないから、皆さんどかして下さい。」
 
 と言って来たのだ。稲川さんもさすがに(何を言い出すんだろう。)と思ったという。
 この事を聞いたスタッフが、
 
「すいませ〜ん、ちょっと移動して下さ〜い。」
 
 と言いながら観客の奥様達を誘導して別の席に移した。
 すると次の瞬間、
 
ガシャーーーーーーーーーーン!!!
 
 という物凄い音を立てて、その太い棒をつないでいる2本のクサリのうち、
 1本が切れて棒が宙吊りの状態になって、音を立てて揺れている。
 
ガシャン!!!
ガシャーーーーーーーーーーン!!!
ガシャン!!!
 
 その光景を見た番組司会のタレントの男の人は、口を開けたまま呆然と見つめている。
 
「な…なんや、これ…どないなっとんや…。」
 
 そう言ってブルブルと震え出した。
 観客の奥様達も恐怖のあまり泣き出してしまった。
 すると別のフロアからスタッフが1人、大声で叫びながら本番収録中のそのスタジオに
 駆け込んできた。
 
「い、稲川さーん!!!た、大変でーす!!!電話が鳴りっぱなしです!!!
 視聴者の人達からで、稲川さんの斜め上と少女人形の斜め上に男の子が1人
 映ってるというんです!!!」
 
 この言葉を聞いた司会者が、半狂乱で叫んだ。
 
「モニター回して見せてみー!!!」
 
 スタッフの誰かがモニターを司会者や稲川さん、霊能者の人、番組のアシスタント達に
 見えるようにクルリと向きを変えた。
 
 視聴者が生放送中の番組をTVで見たら霊が映っていた、などといった生半可な
 状況ではない。現在出演中の稲川さん達タレントやスタッフたちにも、
 実際の場所には誰も居ない場所を映し出した映像上に、ハッキリと確認できる程鮮明に
 男の子が1人映し出されているのだ。
 
「イヤーーーーーー!!!」
 
 それを見たアシスタントの女の子は泣き叫んでしまった。
 現場のカメラマン達もガタガタ震えている。相変わらずスタジオ内では
 
ガシャン!!!
ガシャーーーーーーーーーーン!!!
ガシャン!!!
 
 と天井からぶら下がっている棒が音を立てて揺れており、
 
ヒューーーーーーーーーーー!!!
 
 という笛の音のような音も先ほどよりも明らかに大きくなっている。プロデューサーは
 ただおろおろと狼狽するだけである。
 
「なんや…どないなっとんのや…この番組どうなっとんのや…!!!」
「キャーーーーーッ!!!」
「ヤダーーーーーッ!!!」
 
ガシャン!!!
ガシャーーーーーーーーーーン!!!
ガシャン!!!
 
「おい!!!あの音何とかしろって言ってんだろうが!!!」
「こっちだって何がなんだか分かんねーんだよ!!!」
 
ヒューーーーーーーーーーー!!!
 
「ウワーーーーッ!!!」
「おい!鎖持って来い鎖!あとハシゴ!」
「ギャーーーーッ!!!」
 
 スタジオ内は騒然としてパニック状態である。番組はあわててCMを流し、
 事態を収拾しようという事となった。
 
 しばらくしてスタジオ内に居た観客やスタッフ、稲川さん達出演者もだいぶ
 落ち着いてきて怪現象も収まったのだが、もはや番組としては成り立たなかった。
 
 放送を終えた稲川さんは前野さんに声をかけた。ちょっと寄り道して行こうと
 思ったのだ。当初の予定では稲川さんと前野さんの2人は、先ほどのお昼の番組の
 放送を終えた後、大阪に居る稲川さんと親しい友人の3人でお酒でも飲んで、
 その夜はホテルにでも泊まって翌朝東京に戻り、稲川さんは夕方からの番組に
 出演するという事となっていた。しかしあまりにも状況がひどかった為稲川さんも
 落ち込んでいた。早く大阪から離れたいと感じていた。そういった事情を説明して
 大阪の友人と会う約束を丁重に断り、稲川さんは前野さんを西伊豆の戸田という場所に
 あるホテルに寄って行こうと誘ったのだ。
 というのも、このホテルは稲川さんの所属する事務所の女性の父親がこの場所で
 経営しており、この日は稲川さんの家族やマネージャーの家族、その他友達や事務所の
 人間、タレントではロス・インディオスのリーダーといった稲川さんと親しい人達が
 事務所の女性に誘われて泊まりに行っていたのだ。重苦しい気分を払いのけたかった
 稲川さんは、こういった人達と楽しく遊んで行こう、と考えたのである。
 
「それでいいかな?前野さん。」
「うん、いいよ。」
 
 こうして2人は人形を持ってTV局を出て、新幹線「こだま」に乗って西伊豆の
 三島駅に向かった。
 しかしここで、今だに稲川さんが理解に苦しむ不可解な現象が起きた。
 大阪で生放送が行なわれたお昼の番組は、先ほども述べたようにお昼の14:00から
 1時間放送される。15:00に終了するのだ。それから新幹線に乗るために駅に
 向かったとしてもせいぜい30分かかるかどうか?といったところである。大阪から
 伊豆の辺りまでは新幹線で正味4時間ほど。20:00前後には到着する、はずだ。
 だが実際に2人が伊豆の三島に到着してみると時間はすでに真夜中の0:00近くに
 なっており、稲川さん達が乗った新幹線がこの日の最終だったのだという。
 
 その三島駅から戸田のホテルまでは、一度バスに乗って小さな港まで行き、
 そこから船で行く事になっていたのだが、バスも船もすでに運行を終了している。
 仕方なくタクシーで行こうとしても、タクシーの運転手達はどの人も
 
「あそこはもう今の時間だと、陸の孤島となっちゃうから遠くて行けない。」
 
 という事で乗せてくれないのだ。仕方が無いので稲川さんはホテルの管理人、
 つまり事務所の女性の父親に連絡をとり、迎えに来てもらう事にした。
 
 そして車に乗りこみホテルまで向かったのだが、行きの道中に前野さんが稲川さんに
 心配そうに話しかけてきた。
 
「稲川ちゃん、大丈夫かな?」
「…なにが?」
 
 聞いてみると、少女人形は紙に包んで袋に入れて、車のトランクに入れているのだが
 夜道で、しかも舗装も荒れた道路の為に車はガタガタ揺れている。その為人形が
 壊れないか心配だと言うのだ。
 
「稲川ちゃん、大丈夫かな?」
「ちょ、ちょっと前野さん、やめなさいよ…。」
 
 稲川さんは小さな声で前野さんに注意した。せっかく乗せてくれている管理人の
 お父さんに失礼だと思ったのである。
 そうこうしている内に、今度はフロントガラスの向こうからこちらに向かって白い光が
 幾つも飛んで来るのが見える。まるでムササビのようなその光は、止むどころか段々と
 増えてきた。しかし不思議な事に車を運転している管理人さんにはまったく
 気づいていない。稲川さんと前野さんの2人はその様子を息を呑みながら見つめていた。
 
「あ…、あぁ…。」
 
 光が飛んでいくたびに前野さんは声を出す。
 
「…やめなさいよ。あれはムササビなんだから…。」
 
 前野さんだけでなく自分にも言い聞かせるように、稲川さんはそう言った。
 
 やがて車はホテルに到着した。中には親しい友人達が待っている。
 稲川さんもみんなに早く会いたかったし、大勢で盛り上がろうと思っていたために
 大きな声で挨拶をしながら大広間の扉を開けた。
 
「お〜い、みんな元気か〜!?」
 
「…………。」
 
 シーン…として声は無い。その場に居る誰もが表情をこわばらせ、無言で座っていた。
 頭を抱える者。小刻みに震えている者…。
 その様子を見た稲川さんは驚いて事情を聞いてみた。
 
「ど、どうしたの?…みんな?…何があったの!?」
 
 しかし、特に理由は何も無いのだという。理由も無いのに、
 みんなが示し合わせたかのように口をつぐみ、落ち込んでしまっていたのだ。
 予想外の状況に戸惑った稲川さんだったが、そのあとから前野さんが静かに
 部屋に入ってきた。
 挨拶もせずに黙って入ってきた前野さんは稲川さんやその他の人達の前を素通りし、
 部屋の一番奥まで人形を抱きかかえて持って行き、人形を置いて包みから出そうとする。
 稲川さんをはじめその場の人達は何気なくその様子を見ていたのだが、袋から出てきた
 少女人形の姿を見て、アッ!と息を呑んで驚いた。
 
 それは人間の顔ではなかった。
 切れ長だった美しい眼は顔の半分以上はあろうかという位に醜く腫れ上がり、
 静かな微笑を携えていた口はだらしなく開いて、横に大きく裂けている。
 髪はボサボサに伸び、乱れている。。
 それはまさに「化け物」といった方がいいような、そんな代物であった。
 その場に居た全員が、稲川さんと前野さんが出演した舞台を観たり、あるいは楽屋で
 見かけたりして、以前その人形がどういう姿形であったかという事を知っている為に、
 あまりにも恐ろしいのだ。
 とうとうみんなは怖くてその夜は眠れず、翌朝早々に引き上げたそうだ。
 
 後日。
 
 その話を聞いたそのホテルの管理人の奥さん、つまり事務所の女性の母親が、
 その人形を供養するという意味で自分が人形の着物を作ってあげましょう、という事を
 稲川さんに伝えて欲しいと言って来た。
 この事務所の女性の実家というのは、代々着物を作り家紋を染め上げるような仕事を
 生業として来た由緒ある家柄であった。
 そして稲川さんは前野さんに頼み、人形をそのホテルにもう一度持って行ってもらい
 奥さんに渡して、人形の着物を作ってもらう事にした。
 この日の夕方。
 TV局に仕事に向かう準備をしていた稲川さんの元に前野さんがやって来た。
 
「やぁ、前野さん。どうしたの?」
「うん、稲川ちゃん。今人形を置いて来たんだけど、茶巾寿司とお茶を置いてきたし、
 お腹も空かないしのども乾かないよね?」
 
 という事を言って来たのだ。
(あぁ…前野さんもきっと怖かったんだな…。)
 稲川さんはふとそう思ったという。
 
 そしてこの年の秋。稲川さんと前野さんはこの人形を使って最後の舞台を公演する
 予定だったのだが怖いので使わず、別の人形を使って公演を行なった。
 やがて舞台は順調に進み、千秋楽を迎えた。
 その後事務所にはスタッフや出演者、その他関係者達が集まり打ち上げパーティーが
 盛大に執り行われた。しかし稲川さんはこのパーティーには参加できなかった。
 
 その翌日の事である。
 稲川さんはパーティーに出ていたスタッフの1人から奇妙な話を聞かされた。
 パーティーの途中から、前野さんの姿が見えなくなり、いくら探しても
 見つからなかったというのだ。誰に聞いてもその行方は分からない。
 前野さんといえば、稲川さんと並んで実際に人形を扱う影の主役のような大切な
 人物であるから、八方に手を尽くして探してみたがどうしても見つからず、
 忽然とその姿はどこかに消えた。行方不明となってしまったのだ。
 
 その後も稲川さんやスタッフたちは前野さんの行方を探したがまったくつかめず、
 月日だけが過ぎて行った。
 
 1ヶ月…2ヶ月…そろそろ3ヶ月が過ぎようか?という頃。
 その日の仕事を終えた稲川さんが自宅に帰ると、玄関の扉に大きな目玉のポスターが
 貼ってある。
 
「うわ…何だよこれ…。」
 
 その気味が悪いポスターが気になりながらも、稲川さんは扉を開けて玄関に入った。
 
「ただいま〜。気持ち悪いポスターだね、誰が貼ったの?」
 
 すると家の奥から声が聞こえてきた。
 
「稲川ちゃん…。」
 
 前野さんであった。
 驚いた稲川さんは前野さんに色々な事を質問して行く。
 
「ど、どうしたの前野さん!?どこ行ってたの!!!」
「稲川ちゃん大丈夫だよ…。今日家を出て来る時に三角の白い紙を置いて来たからね…。
 あれが四角になれば全てが丸く収まるよね、稲川ちゃん…。」
 
 しかしこの様な訳のわからない事を言って来るだけで、何も答えようとしない。
 いや、答える事が出来ない。
 2ヶ月半の記憶が失われていたのだ。
 だから自分がどこに行っていたのか、どうやってそこに行ったのか?まったく
 分からない。さらに何も身分を証明する物を持っていなかったためにどこの誰からも
 連絡が無かったのだ。
 前野さんは体格も良く、髪も長く伸ばしているおしゃれな紳士だったのだが、
 服装は浮浪者さながらであり、髪は真っ白に色が落ち、頬はこけてやせ細っていた。
 
 その様子を見て只事ではない状況を察した稲川さんによって急いで病院に担ぎ込まれた
 前野さんは、周囲の人達の看護の甲斐もあってか徐々に回復し、
 意識も正常な状態に戻って行った。
 
「あぁ〜、良かった〜。前野さんが元に戻って…。」
「心配かけてご免ね、稲川ちゃん。」
「でも、ほんとにどこに行ってたの?」
「う〜ん、それが全然思い出せないんだよね。」
 
 前野さんの回復を喜んだ稲川さんは毎日のようにお見舞いに行き、前野さんを励ました。
 
 それからしばらくしたある日の事である。
 今ではすっかり回復した前野さんの元に、東欧の方の芸術団体から誘いがあった。
 もともとこの前野さんという人物は、日本でも屈指の日本人形使いであり、その舞台の
 高い芸術性は海外でも広く紹介されるほどの才能を持った人であった。その前野さんに
 ヨーロッパで公演を行なって欲しいという誘いがあったのだ。
 これはもう大変な名誉である。この事を聞いた稲川さんも大喜びで祝福した。
 
「良かったね〜、前野さん」
「「あぁ、ありがとう稲川ちゃん。ついでにアメリカの方も寄って行きたいね。」
 
 毎日こんな事を話しながら前野さんの出発は近づいて行った。
 
 
 
 そんなある晩の事である。
 自宅でくつろいでいた稲川さんの元に1本の電話があった。
 前野さんからであった。
 
「はい、もしもし?」
「やぁ、稲川ちゃん。」
「あぁ、前野さん。どうしたの?」
「いよいよ明日出発なんだよ。」
「そうか〜、頑張っておいでよ。」
「うん、楽しみだしね。」
「それでさ…。」
 
 稲川さんは前野さんを激励し、その後2人はとりとめも無い会話を少し交わした。
 そして、稲川さんは何気なく人形の事を思い出して前野さんに聞いてみた。
 
「あ、そういえば前野さん。人形はどうした?」
「あぁ、人形は作ってくれた人の所に今日持って行って、預かってもらう事にしたよ。」
「そうなんだ。それなら安心だね。」
 
 人形を作ってくれた人というのは、今は京都で仏像を彫っているという例の人物である。
 そんな事を話しながらも、稲川さんは時間も遅いので電話を切る事にした。
 
「じゃあね〜、おやすみ〜。」
 
ガチャン。
 
 翌日。
 仕事を終えて帰ってきた稲川さんに、稲川さんの奥さんが話しかけてきた。
 
「ただいま〜。」
「あなた…大変よ…。」
「なにが?」
 
「前野さん死んだみたい…。」
 
「なんだそれ!?死んだみたい、って、どういう事なんだよ!」
 
 あまりに突然の話に動揺しながらも、稲川さんは奥さんに事の真相を聞いてみた。
 
「焼け死んだんだって…。」
「いつ!?」
「夕べ…。」
「???らしいってのはどういう事なんだよ!?」
 
 というのも、この火災は新聞やニュースでも取り上げられたのだが、
 遺体の身元がどうにもハッキリしないらしいのだ。この時点、当然警察による検死は
 行なわれていたのだが未だ不明なのだという。深夜に前野さんの家から出火したの
 だから、出てきた焼死体は当然前野さんである可能性が高いにもかかわらず、である。
 
「そんな訳ないよ!!!だって俺、夕べ前野さんと電話で話してたんだもん!!!」
 
 …しかし残念ながらその遺体は前野さん本人であった。しかし稲川さんはどうにも
 釈然としなかったという。稲川さんはこの前野さんとは長い付き合いであったから
 前野さんの人柄というものを熟知している。それによれば前野さんという人物は
 大変几帳面であり、寝タバコはしない、お酒だっていい加減な飲み方はしない、
 という性格であった。ましてや翌日には海外への出発を控えた大事な夜に、
 酒を飲んだくれて潰れてしまうような事など、考えられない事だというのだ。
 それにそもそも酒には相当強いというのもある。
 
 結局、前野さんが泥酔して火事を出したという事でこの件は落ち着いたのだが、
 ある日稲川さんは奇妙な事に気が付いた。警察が割り出した前野さんの死亡時刻の
 事である。よくよく思い出してみれば、稲川さんが前野さんと電話で話していたのは
 火事の真っ最中なのである。
 もし仮に稲川さんと電話で話した後に前野さんがお酒を飲み、酔ってしまって火事に
 なっている事にも気が付かないほどに意識を失うまでには相当の時間がかかるはずだ。
 しかし前野さんは稲川さんに電話をかけてきた…。
 稲川さんはこう言う。
 
「…という事は、俺と話しているときには前野さんの周りはすでに
 炎に包まれていたか、もしくは…すでに前野さんは死んだ後だった
 という事になるんですよね…。」
 
 稲川さんは前野さんという親しい友人の死ををきっかけに、この事件にはほとほと
 嫌気が差し、完全に忘れようと心に誓った。その後も何回かこの話をTVの怪奇特集で
 取り上げたいという話が持ちかけられたのだが、もはや稲川さんはまったく
 聞く耳を持たなかった。
 一刻も早く忘れたかったのだ。
 それにこの話をする事によって周囲の人間に不幸が訪れるのもイヤだった。
 
 
 そして10数年の年月が流れた。
 
 
 もはや人形やそれにまつわる色々な事件の事も人々の心から忘れ去られようとしていた。
 稲川さんの元に一本の電話があった。電話の主は、西伊豆のホテルを経営する父を
 持つ女性からであった。
 今は結婚して会社を退職している。
 関西のTV放送の後、この女性の父親の経営するホテルがある西伊豆まで稲川さんと
 前野さんの2人が向かった、という事があったのはご存知の通りだ。
 
「やぁ、久しぶりだね。」
 
 懐かしさに色々な昔話を楽しく交わしていた稲川さんと女性であったが、ふと女性が
 稲川さんに相談事を持ちかけてきた。
 
「稲川さん、ちょっと相談があるんですが…。」
 
 それまでの明るい話し声とはうってかわった深刻な口調に稲川さんも真剣に耳を傾けた。
 それによると、この女性には結婚して可愛い女の子の子供が出来たという。
 今ではもう4歳くらいになり、言葉もちゃんとしゃべれるようになったのだが、
 この子の様子が最近おかしいのだという。
 
 夜の夜中にこの子が、
 
「…へ〜、そうなんだ。ふ〜ん面白いね〜。アハハ!そっか〜…。」
 
 このような寝言を言う様になったのだという。しかし正確にはこれは寝言ではなかった。
(随分ハッキリした寝言を言うんだな…)
 と思い、思わず目を覚ました女性だったが、子供の様子を見て
 背中に冷たいものが走ったという。真夜中の12:00を回った、深夜である。
 にもかかわらず4歳の子供が布団の上にキチンと正座をして、誰も居ない場所、
 空間に向かって楽しそうに話をしているのだ。しかもそれはこの晩だけではなく
 しょっちゅう、今も続いているのだという。しかし、
「寝言を言っている子供には話しかけてはいけない。」
 という事をどこかで耳にしていた女性はつとめて冷静に、
 子供には話しかけなかったのだという。
 だがさすがに気味が悪くなった女性は、ある日怒鳴り声のような大声でその子に
 話しかけたという。
 
「誰と話してるの!!!???」
 
 するとその子は平然と答えたという。
 
「うん、お姉ちゃんとお話ししてるの。」
「お姉ちゃんって…どこに居るの!!!???」
「お姉ちゃんここにいるもん。」
 
 とその子が指を指した方向を恐る恐る見てみても、誰も居なかったという。
 恐ろしくなった女性は子供を無理矢理寝かしつけ、自分も眠ってしまった。その翌朝、
 女性は子供に質問してみた。
 
「…お姉ちゃんってどんな子だった?」
「お姉ちゃんはねぇ、すごくちっちゃいの。おかっぱ頭でね、お着物を着てるの。」
 
「でも稲川さん…あたしそんな知り合い居ないです…。」
 
 女性は恐ろしさに声を震わせながら電話口で話している。
 そこで稲川さんは女性にアドバイスをした。
 
「じゃあね、その子に今度お姉ちゃんが来たらそのお姉ちゃんはどんなご用事があって
 来ているのか聞いてもらいなさい。」
「はい…。」
 
 それからしばらくして稲川さんの元に再びその女性から電話があった。相変わらず子供は
 
「ふ〜ん、そう。そうなんだ〜。面白いね〜。アハハ!」
 
 といった具合に、様子は変わらない。しかしその女性はもはや眠るどころの話では無い。
 恐怖のあまり布団をかぶって、中でガタガタ震えていたのだという。
 そして翌日。
 
「お姉ちゃんはどんなご用事があったの?」
「うん。お姉ちゃんはねぇ、お姉ちゃんのお母さんを探してるんだって。」
「?お姉ちゃんのお母さんって…誰なの?」
「お姉ちゃんのお母さんっていうのはねぇ、お姉ちゃんのお着物を作ってくれた
 人なんだって。」
 
 この時の様子を克明に電話口で話しながら女性が口を開いた。
 
「そういえば稲川さん…。あたしの母が「例の人形」の着物を作りましたよね…。」
 
 女性はこの話を自分の母親にも話したという事だったが、それを聞いた女性の母親が、
 あの人形のことが気になるから一度見てみたい、と言っているらしいのだ。
 稲川さんは了解し、現在人形を預けているお寺の人と連絡を取る事を約束した。
 人形は最後に前野さんが預けたお寺に、今も安置されている。
 電話でお寺の方に確認してみたところ、毎日お供え物をあげて、着物や体もたまに
 掃除して大事に奉ってあるのだという。
 稲川さんは事情を話し、一度人形に会いに行ってもかまわないかという事を聞くと、
 お寺の人は快く承諾してくれた。
 
 安心した稲川さんは女性にこの事を伝えようと思ったのだが、たまたま仕事の仲間から
 電話が入り、話し込んでしまった。電話が終わった後に稲川さんは女性に電話する事を
 思い出し、受話器に手を伸ばした。
 すると、まさにその瞬間である。
 電話が鳴った。
 
「ハイ、稲川ですが。」
「あぁ、こんにちは、先程はどうも…。」
 
 電話をかけてきたのは、ついさっき稲川さんが電話で話した、人形を預かって
 もらっているお寺の人であった。
 
「あぁ、こちらこそ。先程はどうも。今週中にでも私とその女性、それと母親でそちらに
 伺おうかと思ってるんですよ。」
「実は…その事なんですが…。」
「?どうかしましたか?」
「…居ないんですよ…。」
 
 聞いてみると、稲川さんとの電話の後、そのお寺の人は人形の様子を見てみようと思い、
 奉ってある場所に行ってみたのだという。すると信じられない事に人形の姿が無かったと
 いう事であった。そばに置いてあった人形用の着物も一緒になくなっていたのだという。
 結局人形に会いに行く事は出来なくなってしまった。
 
 それからしばらくして、再び女性から電話があった。
 
「稲川さん…。最近娘が以前とは違う事を言ってるんです。」
「…どんな事?」
 
「お母さ〜ん。お姉ちゃんはねぇ、あっちの方でバラバラになってるよ?」
 
 それ聞いたとき、稲川さんの頭にはなぜか「四国」が思い浮かんだという。
 なぜなのかは稲川さん自身理解できなかったという。
 しかしよく考えてみると、四国というのはあの前野さんの菩提寺がある土地なのだ。
 つまり前野さんの実家が、四国にはあるのである。だがこの話を聞いても特に
 稲川さんは驚かなかった。むしろ納得したようにこの話を聞いていた。というのも、
 この電話を女性からもらう直前に稲川さんの身に不思議な事が起こっていたのだ。
 
 稲川さんの部屋はマンションの最上階にある。
 稲川さんはクーラーが苦手な為、夏の暑い日は窓を開けて寝てしまうのだという。
 最上階なので風通しが良く、心地よく寝られるのだ。枕元の窓にはスダレがして
 あるのだが、たまにマネージャーが入ってくるとそのスダレがこすれるような
 音がするので、すぐに目が覚めるという。
 この日も稲川さんは寝ていたのだが、
 
「パタパタパタ…。」
 
 という聞き慣れた音で目が覚めた。
 
「…ウ〜ン。ガンちゃんかい?どうしたの?」
 
 ガンちゃんという愛称のマネージャーなのだが、この日は稲川さんが声をかけても
 返事をしないで部屋の中を歩き回っている。不審に思った稲川さんだったが、
 眠たかったので特に気には留めず、再び眠ってしまった。
 後日稲川さんはガンちゃんに聞いてみたのだが稲川さんの部屋には行っていないと言う。
 
 しかしそれからずっと、である。その不審な物音は一向にやむ気配が無い。稲川さんが
 眠っている最中だけではなく、起きているときにもハッキリとその音は確認できるほど
 鮮明なのだ。
 稲川さんはそのうち、
 
「…来る…。」
 
 と、感じ取れるまでになってしまったという。稲川さんにはその足音の主が誰なのかは
 ほぼ見当がついていた。
 
「…恐らくあの人形は生きていて、今も自分に関わった人間を求めて
 さ迷い歩いているんだ…。という事は…。」
 
 その時である。
 稲川さんが「という事は…。」と考えた瞬間に稲川さんは自分に向けられている
 不気味な視線に気が付いた。
 ビックリして辺りを見渡してみる。するとフスマの隙間が開いていた。
 そこには…。
 
 おかっぱ頭で真っ白い肌をした女の子が顔を半分隙間から覗かせて、稲川さんの方を
 「ジーッ」と見つめているのだ。
 
 来ているのです。
 
 稲川さんの方を見ているのです。
 
 それは今も続いているのです。
 
「…進行中なんですよ、この話…。」
 
 このお話を録音したテープが、10年くらい前に発売されたそうですが、
 テープを購入した人たちから、クレームが殺到したんだそうです。なんでも、
 再生中に、考えられないような現象が相次いだらしいです。
 1週間も経たないうちに、このテープは発売中止になったという…
 
 でね…
 このお話は、まだ終わっていないんですよ…
 去年のサイキックで、こんな話を聞いたんです…
 
 最近…
 稲川さんが、チャップリンの格好をして写真をとったら…
 亡くなった人形師の方と、例の人形が…
 稲川さんの両端に写っていたらしいんですよ…
 
 
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テレビ局関係者H・Tさんのコメント

 知り合いがこちらであの番組について語ってると聞きました。
「関係者の一人としてキミの話はおもしろいからちょっと書けば。」
 とうながされ最初で最後ですが、私の知ってる範囲の話をお伝えします。

 TV業界では心霊モノを扱う時暗黙の了解というのがあります。それは決して
 「ホンモノばかり編集してはいけない」ということ。必ず視聴者が科学的現象または
 思い込みだと判別できるものを取り入れておくというものなのです。
 そのため心霊を扱う「生放送」というのは要注意でした。
 しかしそのきっかけとなったのが「生き人形生放送事件」なのです。
 皆さんの中で「心霊写真の謎を暴く」という放送をご存知の方もいらっしゃるでしょう。
 あれも「光り」「ムラ」「二重露光」「反射」などわりと簡単にわかるものを
 採用したのです。ホンモノは局にも来ますが絶対にタブーでした。それくらいの
 トラウマを呼んだのが…あの放送です。

 特に少年については強烈でした。
 警備員は出演者入場口で少年が「おはようございます」とあいさつして入っていくのを
 目撃しましたし、受付も見ています。しかも前夜の打ち合わせの際にホテルのロビーで
 東京のスタッフが目撃。かなりの数の人間が見ていたので「仕込み」と考えた人間が
 いたのもそのせいでしたが、まさか画面に映りこむとは思わずあれでスタッフの方が
 パニックになってしまいました。

「再放送がないのか」とか「ビデオは?」などという問いがあるそうですね。
 テープはあります。しかし話のとおり「タブー」です。局の人間は手放さないでしょう。
 局外の人間が持ち出すしかないので不可能です。それと人形の場所もわかっています。

「あれはもう扱こうたらあかんねん。」
 当時は若かった私も今や立場が上になりましたので先輩に聞いたらにべもなく
 断られました。私がお話できるのはここまでです。

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