◎カツ丼の正しい食べ方(下)

183 2005/09/14

 かっ込むかっ込むかっ込むかっ込むかっ込むかっ込む兎に角かっ込むかっ込むかっ込む!それから咀嚼だ!頬張る楽しみと肉とご飯の大舞踏会を心底味わえ!聞こえてくるだろう?肉とご飯が笑っている声が!そして次も同じように残りの切れの半分を口に入れご飯を…
 かっ込むかっ込むかっ込むかっ込むかっ込むかっ込む兎に角かっ込むかっ込むかっ込む!ひたすらかっ込むかっ込むかっ込む思い切りかっ込むかっ込むかっ込むかっ込むかっ込む!かっ込んでる間は舞踏会にして戦場でもありそしてビックバンなのだ!この森羅万象を命の限りに楽しむのだ!まるでカツ丼を食べ終えたら命の灯火が消えてなくなるかの緊張感で!

 ここで言えるのは女性でも同じ事をしなければならない。「私女だからちょっと…」など論外だ。カツ丼を創った人への冒涜でありカツ丼の神様への冒涜。さらにはブタの神様への冒涜となり得るのだ。いや、それらに神様がいるかどうかは解らないが。だが出来ないならそれはカツ丼百列拳の餌食だ。全身カツ丼まみれだ。いやだろう?だから物怖じせずにただ無心にかっ込むのだ。それがカツ丼への礼儀であり愛なのだ。

 さぁ丼の中を見てみよう。食べ掛けの一切れと手付かずの二切れとそれら分のご飯があるだろう。もしご飯が少なくなっていたら注意だ。いくら、かっ込むをしていても肉とご飯の割合だけは冷静に持っていなければならない。おおよそ肉を5とするならばご飯は6〜7は確保しておきたい。ここは経験を積めば何とかなるだろう。日頃の修行が大切だ。

 そして食い掛けの部分を食べる。いや…まて。まだだ。ここで禊が必要だ。そう御新香を食べるのだ。胃に極端な負荷をかけてしまったからな。胃を労るのも、カツ丼の神髄を守る為の仕事だ。だから御新香で軽く口直し。そして味噌汁を何口か。この時にちょっと詰まりそうになった喉のケアにもなるのだ。だが全部食べては行けない。少し(一口分)御新香も、味噌汁も残しておいた方がいい。理由は後で説明する。

 さぁかっ込みの為に残した食べ掛けの一切れを口に入れてしまおう。そして食べるのだ。ん?ご飯は、だと?何を言っている。さっき胃に負担をかけたばかりじゃないか。ここではカツ丼の味を楽しむ為にカツだけを食べるのだ。先ほどまでが動なら今は静と言うことだ。舌の上で転がし、味わうのだ。まるで赤子を愛でるように。優しくモグモグと味と肉を口で包み愛でるのだ。この時、カツ丼がこの世にあって本当に良かったと思えたら最高である。

 そして残りの端っこを食べる。もちろんご飯と共に。ここではあえて何も言わない。カツ丼を愛していれば自ずとどう食べれば良いか解るだろう。ただかっ込みは止めた方がいい。最後までかっ込みばかりでは、カツ丼の神髄もへったくりもないからな。味わうのもよし、淡々と食すのもよしだ。

 さぁ最後だ。最後の一切れを食す時が来た。この時注意しなければならないのは他者から奪われないかと言うだけだ。想像してご覧なさい。最後の一切れを取られた丼の末路を…。ご飯しかないのだ。それもカツ丼の汁が、大終結しているご飯。それだけでは味が濃すぎて地獄と遜色無し。だからここで何があっても他者に最後の一切れを取られては駄目なのだ。もし誰かに取られたらそれこそ戦争を勃発しても構わない。カツ丼百列拳を見舞っても誰も文句を言わないだろう。それだけ価値と意義が最後の一切れには詰まっているのだ。心して死守すべし!
 肉を一口齧ってはご飯でも良い。ご飯を入れてから肉を一口分いれてもいい。問題なのは一気に食べない事だ。別れを惜しむ恋人を発車する電車とホームでさよならをするくらい、切ないものと思ってもらいたい。作った人の心意気を感じるのも良い。兎に角その一切れがそのカツ丼にとって最後の営みとなるのだ。例え同じ人が同じ様に作ったとしてもこの世に同じカツ丼は、ないのだ。形状も温かさも味も微妙に違うのだ。ひたすら別れを惜しむかのように最後の一口までも大切に食べて欲しい。心からそうお願いしたい。

 最後の一切れも食べ終わった。では、最後まで残した御新香を食べてしまおうか。少し、しょっぱいがこの塩加減がカツ丼から現実へと引き戻してくれる気付け薬なのだ。大切に、食べてもらいたい。ここで疎かにすると、カツ丼中毒なってしまう。そうなると味もなにも無くなってしまい、ただカツ丼を食べるだけになってしまう。それはあまりにも情けない。
 御新香が無くなったら残りの味噌汁を飲もう。この味噌汁がカツ丼を食べ終わったと胃に教えるサインなのだ。これで胃も消化と言う大事なプロセスをきっちりと始める事ができ、精神的にもカツ丼を食べたのだと味わえるのだ。
 つまりもう解っていると思うが御新香と味噌汁はカツ丼を締める為の大事な締めなのだ。どれくらい大事なのかと言うならば、安田大サーカスのひろちゃんや、ハードゲイの腰振りくらい大切なのだ。彼等がそれぞれそれを無くしたら売れはしないだろう。

 だからカツ丼を食べてカツ丼で終わるなんて愚行は邪道なのだ。覚えておいて損はない。

 だが、これで終わりではない。このまま食べ終わったとお店に、もしくは流し台に持っていくなんて間違ってもしては行けない。ここで何をするんだろうなんて思っているならば、もう一度幼稚園からやり直した方が良い。カツ丼の神髄を知るなんてもっての外だ。未だ、気付いていないならば深く反省してもらいたい。では何をするのか?それは…

 「ご馳走様でした」と手を合わせて言う事だ。カツ丼になった食材と作ってくれた人に。そして最後まできっちり一粒も食い掛けを残さなかった自分に。この言葉を、きちんと声に出さないと駄目だ。礼儀で始まり礼儀で終わる。これはどの世界に行っても当たり前の事。出来ないなら恥じるべきだ。恥じて悔やみ覚える事だ。カツ丼の神髄に近づくのは容易ではないのだ。奥が深いのだ。それをきっちり伝えたかったのだ。たかがカツ丼されどカツ丼。そこには無限の宇宙が渦巻き広がっているのだ。

 だがしかし注意が一つだけ必要となるのだ。
 その注意を書いて今日の「カツ丼の正しい食べ方」の雑文を終わろうと思う。

 それは食べる場所だ。
 街中でもお店でも家でもこの食べ方をしても全然問題は全く無いのだが、ある場所では、絶対この食べ方をしてはいけないのだ。これをするとまず間違いなく殴られる。それは…

 警察の取り調べ中である!
 ここでは絶対にしてはいけない。偉そうである。刑事さんの堪忍袋の尾を切らしてしまうかもしれない確率がグンと高くなるのだ。だから決して上記の場所で上記の食べ方をしてはいけない。したあとの責任は、一切負わないと思って欲しい。それを最後の忠告とし今日は終わろうと思う。

 皆様に素敵なカツ丼ライフを心から切に願う。

<完>

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