◎小さい秋に捧ぐ手紙 5万HITお題雑文
196 2005/11/09
◆奥田 具樹様よりお題提供
:題 名「小さい秋に捧ぐ手紙」
:書き出し「拝啓」
:途 中 「朝」「昼」「夕」「夜」「過去」「現在」(それぞれから感じられる秋を描写)」
(順番どおりに作ってみました)
:締 め「P.Sそしてこれからも、秋を綴り続けてしまうだろう私をお許しください。」
:方 向 性「手紙の形式で 宛てる相手は自由。」
拝啓 4年後の私へ
さて、稚拙ながら秋にいろいろ絡めつつ、今の私から4年後の私へ手紙を書きます。
4年後の私の年齢はたしか30歳ですよね?30歳…。30歳…。
正直、30歳になった私を想像するなんて凄くおかしな気分です。だって数分先の自分の未来すら想像できない若輩者ですから。でもきっと、この手紙を読んでいる30歳の私も、おかしな気分でいる事でしょう。だってきっと、4年後の私から見たらなんて的外れな事を書いてるんだろうなぁと思うだろうから。まぁお互いおかしな気分、痛み分けと言う事で、ここは一つ。まぁなんの痛みかは解らないけれど。
仕事順調ですか?もしかしたら職種が変わってるかもしれませんね。
まぁどちらにしても私にとって凄く素敵な環境だったら大変嬉しく思います。何にせよ、仕事を何時までも出来る元気な体でいてくれたらいいなぁと思っています。
そうそう、できる事なら会社に行くまでの道のりにイチョウの街路樹があったらとても、嬉しく思います。私はいつも落ちるイチョウから、逃げたり掴んだりしながら朝、会社への道のりを楽しんで通勤しています。たぶん4年後の私も、そう今と変わずにイチョウと戯れられるだけの子供心は持っている事でしょう。だから良ければ、イチョウが生えている道で通える会社へ入社して下さい。そして毎日楽しく通勤してもらえていたら嬉しいです。
詩はきちんと書けていますか?小手先の技に頼り切ってはいませんか?
何の為に4年前、詩を凍結したかを考えてください。
もし既に小手先で詩を書いてしまっているなら、また一度歩みを止めて下さい。4年後の私ならきっと今の私以上にいろいろ理解できると思いますから。どうか死ぬまで詩を、書き続けて下さい。でももしかしたら30歳の私は酷いスランプに陥ってるかもしれませんね。何となくですがそう思いました。そう言うときは、昼間に少し外に出て自然を味わうのも、良いかもしれません。特に休日は部屋に篭もっていないで外に飛び出し、いろいろな世界を見て回るのも良いと思いますよ。太陽の日差しは暖かく少し風は冷たく、その狭間で萌ゆる紅葉なんて見ればきっと樹や花や風や虫が語り掛けてくれると思います。秋と言う題材を、大切に感じて下さい。きっとスランプはどこかへ逃げていくと思います。
きちんと夕飯を食べていますか?相変わらずコンビニでジャンクフードですか?
それともぶ○り亭でスペシャルやら刺し身ばかりですか?
もう30歳なんだから内蔵だって若くないですよ。いい加減、バランスの良い食事を摂取しましょう。間違っても焼き肉を週1で食べるのは禁物です。そろそろ薄味に切り替えて、体を労わりましょう。あ!絶対に茶碗蒸に醤油なんていれちゃ駄目ですよ。濃い味が大好きなのは分かっていますがそれでも、出し汁の淡い味を楽しもう。そして芋嫌いだけれども、たまには石焼き芋なんて買って繊維質をとりましょう。少しオナラが心配ではありますが。
辛い事があった日はどうか夜空を見上げて下さい。
多分、私の事ですから独りで塞ぎ込みベットの中で悶々としているのでしょう。
どうか辛い時は夜空を見上げ、星の瞬きに心を重ねほぐして下さい。きっとペガサス座が悩みをそっとどこかに持ち去ってくれると思います。ベットの中でさなぎの様に固まるよりよっぽど心に良いと思いますよ。息抜きが下手な私だから余計そう思います。
ところで私が30歳と言えば、詩仙庵は既に6年目に突入していますよね。
今の私には全然、6年後の詩仙庵なんて想像も付きませんが、4年前の詩仙庵より成長が見られる姿になっていますか?変なJAVAや画像や珍妙な音楽など流していませんか?
ちょっと気を抜くと私は変な方へ変な方へ冒険をしたがる癖があるのでかなり心配です。どうか誰もがゆったりとできる庵を目指して欲しいと心から願います。そして今の私では、思いもつかない様なみんなが楽しめる企画や詩仙会を継続していって下さいね。でも無理な事はしないで下さい。皺寄せは全部、体調にきますから。まったりと静かに行きましょう。そうそれはまるで渋柿が日陰で干されゆっくり甘みが引き出されるくらいの速さで。
吹いてくる風に逆らわず、落ちる雨をいつまでも眺め、時間を忘れるる様にゆっくりと、ゆっくりと。過去から繋がる流れをどうか止めないでいて下さい。
さてさて、ここからは今の私が一番私に問いたい話しです。
もう結婚はしていますか?いやそれ以前に愛し合える大切な人はいますか?
それともまた失っていますか?
出来る事なら未来の私にはそう言う大切な人がいる事を深く願ってます。
しかしいないならもう諦めましょう。時間的にも年齢的にもかなり無理がありますから。独りでいろいろ考え学び、私らしく人生を謳歌するのも悪くないと思いますよ。何故って?それは4年後の私なら充分解っている事じゃないですか。
4年前の私にはそう言う大切な人がいないのですから。いろんな意味で諦め掛けて、いるのかもしれませんね。まぁそれも、一つの人生として良いかなと思っていたりするから。
でもしかしもしも奇跡的に大切な人がいるのならば、何があってもその大切な人を守り、そして愛しぬいて下さい。生涯を通じて私をきちんと最後まで見てくれるのはその人以外にいないと思います。何故ならこんな偏屈で間抜けでどこか人間離れした私を、認め、愛し、側にいてくれてる人なのだから。もうきっとそんな奇特で菩薩の様な方とは巡りあえないと思います。それにその人と別れたらきっと次はないと思っていいです。人付き合いの下手な私なのでそう思います。
私は今、静かに詩と向き合い、詩仙庵と向き合い、詩仙庵に来る人達と向き合い、自分に足りない何かを探し求めつつ、さ迷ってさ迷って、どうにか今日までこれました。今まで、いろんな事があり、あまりに辛く、いっそ天でクルクル飛び回っている鳶にでも食われたいと願う時もありました。しかし今こうして私は、4年後の私に手紙を書います。
つまりこの手紙を、4年後の私に届けなければならないと言う訳です。そして、同時に、あと4年。詩仙庵を継続し続けると言う目標が固まった瞬間でもあります。もちろん最初の10年続けると言う目標はありますが、まずは近いゴール。そんな感じです。
その間にも秋は4回流れ、私は4歳ほど歳を取り、未だどうなるか全く解らない未来を、抱えながら生きていくことでしょう。そうして月日が経ち、今度は4年後の私が秋を題材に今の私へ手紙を書くと思います。だって手紙が送られてきたら返事書くでしょう?きっと、私なら返事を書くと思います。そう言う事はきちっとしたい人だから。
だからきっと4年後の私は4年前の私にきっと手紙を書くと思います。
その期待を込めつつ、今日はこの辺で終わりにしようと思います。
そして返事を返す頃にはこの手紙が、なんて稚拙な文章で書いてるんだ。と笑えるほど、私が成長している事を、ゼフィランサスの白い花の香りをかぎながら、願っています。
4年後の私よ。
今の私に宛てる手紙は、もっと綺麗に美しく秋に絡めながら書いて下さいな。
なーんて冗談ですよ。未来の私が書きたい様に書いて下さい。今の私もそうしますから。
P.S
そしてこれからも、
秋を綴り続けてしまうだろう私をお許しください。