◎狂ってる

202 2005/12/14

 最近、子供を狙った犯罪が増えている。もちろん昔からあった事なのかもしれない。だがしかしそれでも目に見えて子供を狙った犯罪が増えていると如月は思う。

 今回の雑文は、某所で子供を巻き込んだ事件に対して、非常に悲しいと言う内容の日記を書いた方に触発されて書こうと決めた内容である。如月自身その日記にコメントを書いたがまだ自分の中では未消化な部分がありこのまま終わらせるのは凄く目覚めが悪いので改めて雑文と言う形で書いてこうと思う。

 そして書き始める前に最初に宣言しておくが、飽く迄も被害者は被害者であると言う事。被害者に対して如月は、心から冥福を心から祈って止まない事。被害者を抱える親御さんの心情も解る範囲ではあるが察している事。その部分だけはご理解して頂きたい。

 ここ最近、子供の誘拐や子供を殺傷する事件が多く、ニュースなりWEB上なりで、取り沙汰されている。しかしそこで如月は思う。確かに事件を報道するのは構わない。だがその影で異常者の心を煽ってるのではないか?と。「こいつはへまをしたから警察に捕まった。俺ならばこうするだろう」とか。子供は簡単に搾取できるものであると認知させているようにも受け取りかねない。まともな大人なら子供は守るものだと認識はできるが、絶対にそういう善意の目だけで見ていない輩も多いと考えてしまう。穿ち過ぎだろうか?

 もちろんそれだけで数多ある幼女や女性絡みの事件が増えたとは考えられない。もし他に何か原因を探した場合、一番目に付くのは幼い子供を性の対象として売り出す芸能界等の、メディアではなかろうか?週刊誌でもテレビでも未成年が平然と水着を着、肌を顕わにし、腰をくねらせ、性欲に繋がる格好を誰の目でも触れるような媒体を通して発表してる事に、問題が無いとは思えない。もちろん如月自身健全な男性であるからそういうものを見て心が揺れるし素敵だと思う時もある。が、悪いがそれを否定し隠して今回の事件を語ろうとは、思わない。流石に品行方正な生き方をしている訳じゃないので(苦笑)

 だがしかしきっちり現実とそういう物の境界線をもっているつもりだ。飽く迄あの水着の格好やポーズは商業用で、世間一般の女性や子供があんな格好でいつでも誰かを誘惑してるとは思ってない。多分そう考えるのが普通の思考だと思う(如月の基準で申し訳ないが)。
 しかし中には、女や幼女は誰でもあんな格好をしまくって、簡単にSEXできる対象だと誤認識する男もいる。それは言い過ぎではないだろう。だから女や幼女を巻き込んだ犯罪が後を絶たないのだ。その切り替えを有耶無耶にしてるメディア全体にだって、犯罪者に加担しているのではないかと如月は思う。

 でもしかしそれ以上に、親だってその犯罪者に加担している事に少し気付いて欲しいと、如月は思っている(子供なんて育てた事が無い如月が言うのはかなり滑稽であるが、育てた事が無い如月から見た上でおかしいと思った事を正直に書いていく。おかしな点があったら申し訳ない。その部分はこれからの人生経験を通して養っていこうと思う。)。

 先に書いたメディアへの露出。それを容認してるのは親である。金持ちに成りたいが為に子供を売り出す。もちろん生活苦の上での決断だってあるだろうがそれはそれ。今はそこを書きたいとは思わない。メディアに出ると言う事は少なからず異性の目を集中させなければならない。露出を極力抑えている芸能人もいるし歌手もいるがしかし、そればかりではないだろう。それにテレビを見てる子供から見れば彼女達はシンデレラだ。真似したくなるのが当たり前。そうして子供はメディアで祭り上げられたSEXシンボルに近い彼女達の真似をする(全てではないが)。つまり売れる為にそういう方向性をもった商品としてこの世に送り出す手伝いをしている親達にだって、今の事件に加担していると言っても過言ではないと、如月は思えた。確かに芸能界に入って有名になる。それはとても素敵な事であり、またそういう華やかさが無ければ、テレビ自体廃れていってしまう。でもね。と言う部分である。

 さらに親の不用心も今回大発生している事件の要因の一つだとも思っている。
 日本は昔「世界一安全な国」と他国に認められ、日本安全神話ができあがった。しかし、それはもう昔の栄光だ。回りを見渡せば、やれ発砲事件だ。援助交際だ。麻薬だ。強姦だ。と犯罪の種類を上げたら列挙に暇が無い。でもそう言う国だと幼い頃から感じ思った親が、幾ら昨今の事件や事象を見ても、どこか心に染み付いている日本安全神話ピンぼけを促す。
 少し解り難い書き方だな。もっと簡略的に、言いかえれば「うちの子に限って」なのだ。テレビをつけて、流れる幼子の犯罪。そこで親達はまずこうきっと最初に思うだろう。
「我が子じゃなくて良かった」と。
 まぁ当り前の反応である。そして次に「被害者がかわいそう…」となる。しかしここに、現代の犯罪への甘い認識が潜んでいると如月は考える。

 「うちの子は大丈夫よ。頭がいいし躾しなくても解ってる風だし」これなのだ。最近の、特に若い親御さんに多いのは、まず躾自体をきちんと把握していないから、上記の様な言葉一つで簡単に躾をしなくなってしまう。その躾の無さが現代の凶悪犯罪に簡単に巻き込まれ後で泣きを見る事になるのだ。

 さて、どうしてここで躾の話が出たのか?お分かりだろうか?
 何が正しくて何が悪いなんて初めから解っている子供なんていない。それは私達が通って来た道ではないのか?しかし私達はそれを忘れて、解った人が解っている人に解り易い様な言い方で子供達に教える。だから押し付けがましいとかウザイなんて事に繋がってしまうのではないかと考えられる。だから子供は反発し自由気侭に生活を始める。そして親は親で、躾の至らなさを隠すが如くに“放任主義”なんて逃げ道を見つけ囀る。正直、端から見ると親である事を放任主義と言う言葉を使って放棄している様にしか見えない。しかしそれは、如月が子供を育てた事が無いからだろうか?

 放任とは本来、放任するもの放任されるものの間にしっかりした信頼関係が生まれてこそ始めて成立する事なのではないかと思う。そして困った事が起これば、その時に最大の力を使い助け合うのが神髄じゃないのだろうか?ただ単に、自由にさせる=子供を成長させる、なんて方程式は全然成り立たないのではないかと前々から思っている。
 きっちりと下地も無い子供に自主性を任せて行動させるなんて正直おかしいと思ってる。そしてそういう子は、結局はテレビに噛り付いてSEXシンボルから何かを学び学び自立心だけ旺盛になって、親との溝を作る要因を着々と育てていく。そして気付いた時には、親は子供をきっちりとサポートできず破綻を来す。

 見てご覧なさい。よくテレビでも放送されてる「○○24時!」シリーズなど。
 深夜も深夜な時間に渋谷で、小学生中学生が平然とふらついている。あれが躾のできてる子供だと胸を張って言えるのか?おまけに撮影してるクルーも取材はするものの、家に帰るように説得すらせずオイシイ画を撮れたと喜んでいる。どこにいったい子供達を守り正しく導く機会があるのか?そしてまた子供達を犯罪から守りたいと叫ぶ、親の言葉に説得力は、得られるのだろうか?いや、それは無理だろう。何せ夜中に出歩かせてるのだから。

 ならば、今、氾濫している犯罪は全て親の所為なのか?いやいやそれでは余りにも答えが簡単過ぎる。もしそうなら親がしっかりすれば良いだけで一気に日本は安全になるだろう。そして誰もが気を付け日本の安全神話が復活しているはずだ。だがしかし実はそれだけではないと如月は見ている。

 核家族が進み他人の生活に全く関わらないようになってきた昨今。
 守るべき宝である子供。しかし自分の子は自分の子。他人の子は他人の子。と無関心にも程がある様な風潮がまかり通っている。だが子供は日本の宝。つまり例え親でなくても大人から見たら我が子同然であるはず。だが、今は違う。自分の子だけでいいんだ的な状態で、未来を担うであろう我等の宝である子供達をどうやって守っていけば良いのか?
 守る方法も解らない中で打開策として、街ぐるみで子供を守ろうと声が出ても、自分達の生活が大変、自分達にかかる負担が大きいと言う声が出て結局は何も変えられない。本当に大人達は犯罪から子供を守る気があるのか?と激しく問いたくなるニュースが流れていた。明日は我が子が犯罪に巻き込まれるなんて簡単には思ってても真剣になっていない。

 そして自分を守れない子供達は、あえて危険なところで遊ぶのがかっこいいと勘違いし、本当の犯罪に巻き込まれていく。また犯罪の無い場所にいても、きっちりと躾られていない男が何かの拍子に本性を出し、健全に生きている子供達を毒牙に掛ける。自己責任なんて、全く当て嵌めるには早すぎる年齢の子供に対して、簡単にそう言ってのけて、事件はすべて犯罪者のみにクローズアップさせる。それで本当に良いのか?

 だが親達は自分の子は大丈夫と言い、日本安全神話に乗っ取りながら、子供を放任主義の名の元に手を抜き、周りの大人も子供を性の対象に見る事はあっても、守るべき宝物と思う気持ちが昔よりも薄くなっているのは事実。 そして今時の風潮だからと、それを打破しない怠慢。そして繰り返される凶悪で悪質な子供を巻き込んだ犯罪。

 他人は他人、自分は自分。悲惨なニュースを見ては我が子じゃなくて良かったと安堵しただけで終り、本来親は一番気にかけなくてはなら子供の行動を学校や他人にまかせきりにし文句だけは一丁前。どこか間違ってる、今の日本。どこか狂ってる私達。そう思ってしまう如月もまた犯罪への認識の甘さが生み出す嘆きでしかないのかもしれない、今回の雑文は。

 人の子も我が子。我が子も人の子。そう思って目をかけてあげないかぎり、子供の安全は守られないような気もする。そして子供をきちんと見ると言う事は非行防止にもなるはずだと如月は思いたい。深夜の渋谷で平気で小中学生が夜中にふらふらふらふら。それでも我が子は大事と言っている。やはりどこか私達は狂っている。

 だから如月は警鐘を鳴らす。
 このままでは地震で日本が沈没するよりも先に日本人である如月達が自分の手で日本を、滅ぼしかねないと。未来を支えるのは私達ではない私達の後の世代の子供達だ。我等はその子供達の背中を押しサポートする事こそが必要なのではないだろうか。
 勿論その逆に、私達の世代との繋がりを強く持って欲しいと今の子供達にも伝えたい。

 尚、きちんと躾をし、他人の子であっても自分の子であってもきちんと怒る事ができる、親御さんもいると思う。まして今回被害者になり亡くなったお子様の親御さんもきちんと躾している方なのかもしれない。間違ってもその様な人達に対して鞭を打つような意味合いで書いた訳ではない事を理解して頂けたら幸いです。

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