◎私の愛した音楽たち

203 2005/12/21

 今日は如月が今まで聞いてきた音楽をちょろちょろと書いていこうと思います。決して、今日まで雑文のざの字を忘れて慌てて思い付いた雑文じゃありませんよ(苦笑)>自分から裏事情ばらしてどうする俺(笑)ちなみに今回も長いし音楽の話ばかりなので音楽の話が苦手な方には苦痛かも(汗)すんません(汗)(汗)(汗)読者の中で知ってる曲があったら嬉しいなw

 多分赤ちゃんの頃や幼少の頃にそれなりに音楽は聞いていたと思う。童謡や子守り歌とか街中で流れる音楽とか。でもそういうのは殆ど覚えていないので割愛するっす。

 小学校1年生の頃、私はいろいろな要素を体に含んでいたので病院に入院していました。そこの病院のとある病棟は、小学校1年から高校3年までの子供が、沢山入院してました。そして常に音楽が溢れてました。起床の時間は子供達が選んだ音楽が流れ、昼間は子供達が選んだ音楽が流れ、夜寝るまでの間にも子供達が選んだ音楽が流れていました。そして主にその音楽を流していたのは高校生達でした。

 一番古い記憶を探ると、初めて音楽を音楽と認識したのはピンクレディーの「UFO」。滅茶苦茶ノリノリで聞いていたのを覚えています。
 そして時が流れ小学校3年の時、友達のお姉さんに連れられて初の学園祭なる場所に行き荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」を女子高生のお姉さんがかっちょよ〜く歌ってた。初めて聞く歌と歌詞に意味解らずも素敵だと感じた事を覚えてる。耳の後ろがぞわぞわしてかなり興奮したのを覚えている。さらに石井明美の「CHA−CHA−CHA」を聞いて、興奮は最高潮になりました。もうね、こんなすげぇ歌があったなんてと思いましたよ。もち歌詞の内容なんか全然解っちゃいないのだけど(汗)まぁつまりメロディーに惚れたのかも。

 それから中学生に上がるまでは何故だか解らないが音楽にのめり込む事無く平穏な生活を送っていましたん。そして中学生に上がった時、最初にはまったのは洋楽でした。しかし、HRやHMなどではなく、当時ディスコと呼ばれる場所でかなり流行ったユーロービート。最近バライティ番組で使われてる「恋のブンブンダラー」や「サムライ」「マッチョマン」「ジャパンジャパン」「バットデザイアー」「ドクター」「コールミー」などなど。さらにデッドオアアライブの「ユースペークミーアラウンド」などなど、もう毎日5時間以上は、ユーロービートの曲を聞き捲くりました。それと平行してB'zにはまり、さらにさらに、TMネットワークにもはまり電気グルーヴの初期の曲にもはまりさらにさらにさらにさらにバービーボーイズにもはまり捲くってましたわwほんとごちゃ混ぜって感じ。でもいろいろ聞いてく中で徐々にメロディ重視からメロディと歌詞のツートップ重視で聞いていくようになってました。何度も泣きましたとも、感動して。ええ(苦笑)

 そして中学2年の時、実家で千葉テレビを見ていた。映りはギリギリ。電波の調子が良い時は、砂嵐せずに番組が見れました。その千葉テレビで見てたのは4時間ぶっ通しで音楽を流す番組。月水金は洋楽。火木は邦楽って感じで。きちんと1曲まるまる流してくれてた。そこでジュディマリを知り、布袋を知り、グレイを知り、チャラを知り、今まで聞いた事が無いアーティストを知り、一気に邦楽の世界が如月の中で弾けた時期でも有りました。
 その頃からだんだんとお小遣いは殆どCDに消えていく日々を過ごす事になる(笑)
 そうそうこの夏休みのちょい前に一番上の兄上から誕生日プレゼントでCDプレイヤーと一緒に、工藤静香中森明菜のCDアルバムをもらう。もちろんはまる(苦笑)中森明菜の、デザイアーやタトゥー最強いやっほい!状態(苦笑)

 そして中学3年の時、真ん中の兄上からマドンナを借り6ヶ月程集中的にマドンナばかり聞いていました。お陰で「ライクアプレイヤー」を長いバージョンとも通常バージョンともアカペラで歌えるようになったほど(笑)いいよねぇw「ライクアプレイヤー」「ヴォーグ」「パパドントプリーチ」「ライクアヴァージン」「ライスラポニータ」「エロティカ」w
 丁度この頃友達からウォークマンを手に入れ外出時も音楽に触れられる環境が整いまさに如月の中では音楽の百花繚乱状態へ(苦笑)何て言うか自然と如月の元にいろいろな音楽が、勝手に舞い込んでくる環境ってのもかなり音楽大好き状態に引き込んだ要因とも言えるね。さらにさらにチャゲアスにもはまり、「太陽と埃の中で」を毎日1回は聞くようになる。

 高校1年になり、この頃からメジャーどころを責めつつ、自分一人しか知らないような、邦楽探しの旅に着手(笑)ロールディズやら鈴木彩子やら橘いずみやらどんどん回りと意見が合わないような曲を聞き出し始める。さらに従姉妹のお姉さんからボーイのアルバム10枚組みを借りてボーイにはまる。それと同時に親友からアニソンを紹介され、林原めぐみにもはまる。なんだかまるで来る音楽を食い尽くさないと満足しない体へ(苦笑)その親友に対しB'zを聞かせはめてしまう。そしてこの頃からLVR氏の影響で洋楽にはまる。今回は、HR/HM等。王道ばかりでは有るが「ガンズ」や「プリティーメイズ」「エアロスミス」「スレイヤー」「スキッド・ロウ」などを大音量で聞くようなはた迷惑な如月になる(苦笑)さらに他の先輩の影響で尾崎豊TMネットワークの曲を外国人がカヴァーしたアルバムを聞き、たまたまユーロービート系の曲調であったため、またもや下火になっていたユーロービートにもはまり出す。

 高校2年、LVR氏が文化祭でSHOW−YAの「私は嵐」「限界LOVERS」を歌い歌詞と激しい曲調にはまり聞き捲くる。それと同時に自衛隊に入隊した先輩に谷村有美の、曲が素敵だと聞き、聞いてみるとはまってしまう。もう一体どれだけの曲にはまってるのよ如月君(苦笑)そして当時凄く流行った、サザンの「涙のキス」と「祭りの後で」にはまり、サザン熱が巻き起こる。そんな中でもはっきり解ってきたのは演歌と童謡は苦手だと言う事だった。しかし2曲だけ演歌でも好きな曲があった。「津軽海峡冬景色」と題名は忘れたが武田鉄也が主演していた映画「刑事物語」のエンディング曲。「いい加減な奴じゃけぇ〜んほっといてくれんさぁ〜あんたんも〜人が悪いよねぇ〜(中略)ここに人がおるんよね〜」にはまるも、どちらもCDを購入しなかった。まぁ当時はネットなんて素晴らしい検索環境が無かったからだけど。
 そして如月の事を、可愛がってくれていた先輩が亡くなり、その先輩が持っていたCDS(8センチ)を沢山形見分けとして頂く。そこからCDSを集めるマニアにもなっていく(笑)さらにLVR氏からラルクのファーストシングルをもらいはまる。ハマッテばかりだ(苦笑)

 高校3年の時、またもやLVR氏が文化祭で自作の詩「嘆きの風車」朗読後に横道坊主の「NOT FOR SALE」を熱唱。自作の詩とLVR氏の美声の相乗効果ではまる(苦笑)もちろんその間、福山ボニーピンク鈴木結女、久しぶりにアルバムを出した中森明菜の「アンバラス・プラス・バランス」の「愛撫」を熱唱し捲くる。

 きっとこの時代の私なら「私の血は音楽でできている」と満面の笑みで言うに違いない。なんて恥ずかしい奴だろう(苦笑)

 高校も終わり専門学校モドキに入った時にはそれなりにお金も自由に使えるくらい、手に入ったので深夜のCMで流れ気に入った曲を買いあさったり、今まで買えなかったCDを、買いあさったり兎に角、自分が持っているCDの抜け落ちてるものを買っていた気がする。この頃に宇多田ヒカルやら浜崎あゆみやら椎名林檎等にも手をだす。まぁ今時の音楽も買いあさったと。

 そして今は…あんまりCDを購入していないっすぅ;;昔のような音楽熱が冷めた訳じゃないけど、生活費で結構給料が飛ぶからねぇ〜。それでもドラマとタイアップした曲とか、アニメとタイアップした曲なんかも細々と買っている。

 以上が雑多でしかももしかしたら曲の順序が目茶苦茶かもしれないがそこら変は御愛嬌で如月の音楽史を書いてみた。まぁなんだ。総括すると…「雑食にも程が有る」と言わざるを得ない感じですよね(苦笑)まぁ詩作にもかなり影響あるし、流石にここまでごちゃ混ぜで、音楽を聴いている人はいないと思うからネタになるかなと(苦笑)

 ところでただいま、この雑文をUPしながら恋のブンブンダラーを聞いていますwやっぱかっこいいw音源は今の曲に比べたら少ないけど、その少なさがまたいいwってかやばい!ユーロービート熱が再燃したみたいだ(^▽^;)そのうちTUTAYAとかに行って中古CD買いあさっていそうな気が…誰か、とーめーてー…ブンブンブンブンマニファニダラー♪

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