◎詩 Vol.5 隆起

206 2006/01/11

 私が詩作するのは、師匠越えの渇望、ある教師との関わり、精進、生命探求の為である。

 前回は、詩を書き続けている方なら大方の人が体験するであろうスランプについて、及び如月なりの、スランプに対しての考え方や脱出法などを書いたと思う。今回は、詩を11年続けてこられた要因である、高校時代の国語教師の強烈な口撃と、そこから得た事を書いていこうと思う。ただ勘違いして欲しくないのは、これより下記に書かれる内容には決して、その国語教師への恨み辛みを書きたい訳ではなく、どうして今日まで詩を書き続けたのかを書いていきたいのである。そこら辺を勘違いしたまま読むと、全くもってこの雑文の品位が下がるので(如月の書く雑文に品位があるかないかは、この際置いといて)ご理解を得たい。師匠越えについては前に書いているので今回の雑文では割愛する。

 事の起こりは現代国語、通称現国の授業に中島敦の「山月記」が授業のカリキュラムに、組み込まれている事が始まりだった。
 しかも私が詩を書いている事を知った上でその教師は私に一言言ってやると言う名目で、カリキュラムを組んだらしい(山月記の授業の全行程終了後に言われた)。つまり他の生徒もいる前で私に何かを言いたいが為に行った、ある意味、後になって考えると特別授業の様な感じだった。少なくとも、私にはそう思えた。

 詩仙庵に通う方々なら中島敦の「山月記」を知っているかもしれないが、とりあえず軽く私なりの書き方で内容を書いていこうと思う。

 舞台は中国の唐の時代。
 李徴(りちょう)と袁*(えんさん:さんの文字は外字で表示できない)とのやりとり。
 唐の時代は役人(現代で言う高級官僚)になるための試験として科挙という制度があった。その試験は三日三晩行われる上、非情に内容は高度で、司法試験と上級国家試験を合わせたような内容だった。つまり頭と体力が超エリートでなければ合格なんて無理と言う代物だ。
 しかし李徴は類稀れなる頭脳の持ち主で文武両道。この科挙と言う試験も難なくこなして高級官僚に上り詰めた。エリーと志向の強い人間ならこれで満足し安泰の日々を過ごすが、李徴はそれを良しとしなかった。と言うより、自分の同僚があまりにも馬鹿に見えたのだ。その所為で、こんな馬鹿な奴らとつるんでいられるか!と心に思い、詩人としてのみ値を、切り開くために、さっさと今の地位を捨て、妻子ある身でもあるのに、辞めてしまう。
 そして詩を書き続けるも、なかなか芽が出ず、李徴は焦るのである。なぜ天才の私の詩が世に認められないのだ!世には腐った詩ばかり溢れているのだから私が書けば必ずや脚光を浴びれるはずなのに…。だがしかし李徴の思惑通りに行かずとうとうお金も食料の尽きた。食うものがなくなっては詩作どころではないと、身分の低い官僚に再就職をする。がしかしもともと自分以外を馬鹿だと思っているほどのプライドの高い李徴にとってはそれはそれは常人では窺い知れないほどのストレスとなり、心を苦しめていった。そしてある晩に李徴は発狂して闇夜に紛れて姿を消してしまう。そして行方不明になってしまった。
 それから数年後、袁*(えんさん)と言う、実直で心優しく、しかも文武両道の男がいた。袁*(えんさん)は役人の仕事としてとある地域を守らねばならない命を受け旅をした。その道中に人食い虎と呼ばれる虎がいる地域に差し掛かった。そしてもれなく人食い虎に仲間が襲われる。そしてとうとう袁*(えんさん)に牙を剥いた時、その人食い虎は何かに気付き、草むらに姿を隠す。そしてその草むらから「あぶなかった、あぶなかった」と呟く人の声が聞こえてきた。袁*(えんさん)はその声に聞き覚えがあった。それは行方不明だった親友の李徴の声だった。そして袁*(えんさん)は李徴に声を掛けると、返答が帰ってきた。
 李徴が言うには、人食い虎こそが私だと。李徴は自分の姿を恥じて隠れたまま話続ける。あの発狂したとみんなが思っていた夜、私は誰かに呼ばれている気がして外に飛び出し走りまくった。そしてふと気が付いた時、既に私は虎になっていた。そしてどんどん意識は日を追う毎に、李徴としての意識がすくなり、変わりに虎としての意識が強くなってきている。今では数時間しか人間としての意識を保てなくなってきている
 李徴は虎になり、己の傲慢さが、きっと醜く人に害を及ぼす人食い虎にさせたのだと深く反省をした。そして続けて言う。私が虎になったのは「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」の所為であると。私がどんなに嘆き悲しみ泣き喚いたとしても、人間には一匹の虎が咆哮しているだけにしか過ぎない。もう人間には戻れない。
 そして親友袁*(えんさん)に、鬱懐と後悔の念を大いに語り、心情を吐露する。それと、虎になりながらも今まで作った詩がある。それを書き留めもらってくれないか?と告げる。さらに即興で七言詩(七行で構成されている漢詩)も詠みあげた。
 そして別れ際に遠い頂きに李徴は移動し、袁*(えんさん)に、鬱懐を込めるように、咆哮すると、再び茂みへと戻っていった。

 かなり長くなってしまったが、山月記の内容はこんな感じ。もちろん本当はもっと長いが今は、はしょっておく。つまりこの話しは、プライドが高いが故に回りを同じ人間と認める事が出来ず、自分が一番だと思うその醜い心が、本当は誰にでも少なからずあり、己の技や心を磨く事を忘れれば後に残るは李徴の様な醜い人食い虎と同等だと言っている訳である。

 そして私は最初、漢詩の含んだこの話しがとても好きで授業でやると知った時、大変に、喜んだ。だが授業が進みそして山月記を使った内容の授業の全行程が終わると同時に現国の教師が私を指差しこういった。

 「あなたの詩をいくつか読んだが実生活でふざけているばかりのあなたには
  似合わない詩ばかり。つまりあなたはただ単に、言葉遊びをしているだけ。
  中身が無いのよ!あなたみたいな人間が詩を書くなんておこがましいわ!
  そして詩を書く事によって他の人間とは違うと思い込み、増長しているのよ!
  私はだからこの山月記を使ってあなたに一言言いたかったのよ。本来なら
  あなたみたいな詩をお遊びで書く人がいる授業では詩を扱う授業なんてしないわ。
  でも一言言いたい為にしたのよ(意訳:記憶が曖昧だがこんな感じの内容だった)!」

 つまり、日常ふざけてる態度をとっている私には詩なんて書く資格が無いと。詩人気取りするんじゃないよと。しかし詩人気取りなんて日常生活でしたつもりはないが…。

 私は、まだ詩を書き出して2年も経っていない駆け出し(今でも駆け出してはあるが)で、正直多少増長する部分はあったが(詩 Vol.3 奈落:参照)、他人の存在を認めない事は、一回も言った事はないし、何よりも自分にとって詩は自己表現の為の大切な諸行であって、間違っても自分を大きく見せようとする為の道具として書いてるつもりは微塵も無かった。

 しかし授業中であり、一斉に脚光を浴びている形。その教師はしてやったりという満面の笑みでいるし、もともと私自身、論争も主義の主張をする事も最も下手で苦手でその場ではただただ口を噤み、授業が終わる事を心から待つしかなかった。そして私の中でメラメラと憎悪が渦巻き、殺意さえ覚えたのは言うまでもない。だがしかし反論できないほど、自分の詩作への強い思いと、理路整然とした事を持てるだけの精神力が、乏しかったのは事実で、それ故に、相手に対しきちんと言えない、つまり確固たる物を持ってなかった訳で、教師の言葉は深く心に響いたのも事実。言葉遊びと言われて反論できないのが物語っている。

 だがそれでも私はこう思った。詩作において何が一番重要なのかを。それは詩人自体の、生き方がどうこうではなく、作り上げた詩にどれだけの思いや気概や、そして、どれだけの熱意があるのか。それにつきるのではないかと。だからそういう魂のこった詩に、読み手は心が揺り動かされ感想なり批評なりとなっていくのではないかと。そして自然と詩に対して前向きになり何時の間にか詩人自体の生き方だって変わってくるのではないかと。最初から詩人としてと言う強い意志で始められる人はそうはいないのではないかと。

 例えば石川啄木。彼はとある試験でカンニングし落第となり学校を退学させられている。しかし彼の作った俳句は名作と呼ばれている。それは作者がどうこうではなく、作者の熱い想いが含まれているから洗練され光り輝き名作と呼ばれているのではないか?だから国語の教科書に載り、そして沢山の人々に今も尚愛読されているのではなかろうか?まぁ私の詩がそこまで凄い詩かと問われればそうじゃないのだが。
 つまり詩とは例えどんな境遇や自堕落物であったとしても詩に向う姿勢こそが一番大切な事なんだと思う。もちろん清い詩を書くには清い生活からと言うのも解らなくもないが。

 だから私はどんな詩でも否定はしない。詩の書き方に好き嫌いはあっても、それを詩じゃないと言うにはまだまだ詩に対しての勉学が足りないし、例え勉学をしたとしても、作者の作った詩を否定すると言う事はそれまでの生き方や考え方諸々を否定する事だと思うから。まぁそれでも顔文字乱舞やギャル語満載の詩を肯定できるかと言えば少し難しいが(苦笑)

 少し話がそれたが、私はそれ以来、詩とは自分にとって何なのか?詩を作り続けていくと何処まで行くのか?そして私はなんで詩を書いているのか?などの疑問を持ち続けながら、生きている。そしてこの教師の言った「あなたの詩は言葉遊びなのよ!」と言う言葉を胸に刻み、常に言葉遊びにならないように心の中に落としながら詩作をしている。

 確かにこの教師の言い方や言う状況には解せないものがある。でもしかし、言ってる事は詩を書く人間にとって守らねばならない事だと私は下記のように解釈した。

 詩を、己を大きく見せるだけの道具にするな。
 言葉をただの羅列で終わらせるな。
 作者の思いを深くまで読み解く努力を怠るな。
 詩とは己の全てをかけて一心不乱に作るものだ。

 これが、この教師を通じて私が感じ取り、そして胸の真ん中においている事だ。だから、私は正直な所、感謝している。この教師が私に詩作の上で大切な事を反面供しとなって教え説いてくれたからだ。多分その教師は私がこう思っているとは知らないと思うがそれでも、この事がきっかけでますます私は、詩作の難しさと詩の深さを窺い知る事が出来た。だからこそ、感謝をしているのだ。

 あなたに出会わなければきっと今の詩を書く事は出来なかっただろう。だから心から感謝している。あなたが、みんなの前で言ってくれたからこそ、私は詩に対して確固たる考えを持つ事ができ、今日まで来れたのだから。心からありがとうと伝えたい。そして私は今日も詩を作り続けている。自分らしく、自分らしく。

 さて今回は、現国の教師の、強烈な口撃とそこから私なりに感じ学んだ事を書いて来た。少し幼い部分もあるかと思うが、素直に感じた事も書いて来たつもりである。何れにせよ、強烈な体験でもあり、一歩間違えばトラウマにもなり兼ねない、出来事だったと今更ながら思ったりもした。ほんと、当時はかなり凹んだ事を覚えている。
 次回は、8年余り一人でただただ詩を書き続けていた穴蔵のような私の世界に、ネットと言う光、いや、大海原が出現し、それによりどのような効果を得て今に通じているのかを、ネット上で詩を公開する意義と危険性などを書いていこうと思う。しかしいつ、UPされるかは全くの未定である。

 何故ならば、いつUPされるのか、解らないのがこの雑文の特徴なのだから。

 次回「詩 Vol.6 航海」を書こうと思う。

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