◎独白 其の弐

210 2006/02/10

 あっという間の二年だった。三年目に入り、それが振り返った時の感想だった。

 一年目はただただ我武者羅に、如月八雲と言う人間がネット世界にいる事を喚いていた。産声と言ってしまえば聞こえが良いが詰まるところ、存在証明に躍起になっていただけなのかもしれない。しかしそれをしなければどこか自分自身が消え入りそうで恐かった。

 二年目はただただ猪突猛進で、如月八雲の思考回路と詩考回路の構築に突き進んでいた。個性の開花と言ってしまえはこれまた聞こえが良いが結局のところ、自分に今までなかった何かを探し求め迷走する日々だったと言える。そして未だそれは見つからず。

 反省する事は沢山あった。
 何を守り何を切り捨てるのか?そういう取捨選択を何度も何度も突き付けられた。そして己の信念と己の我が侭で今まで正否を問わず行ってきた。この先、何年も詩仙庵や詩作や、交流をしていけば、きっとあの時は間違ったと気付く事が多々あるだろうと思う。

 明らかにそれでは遅いかもしれない。だがしかしその選択を行ってきたのは私自身であり少なくともその時の私はそれが正しいと思った訳で、もしそれで何か大変な事が起こったとしてもそれは、余す事なく受け止めようと思っている。毎回毎回が緊張の連続。でもその中から沢山の事を知り、沢山の涙を飲み、そしてまた沢山の知識を学ぶチャンスを与えられてきたと、今二年目を終え、確かに実感してきている。

 深く感謝。

 また、悦ばしい事も沢山あった。
 掛け替えのない繋がりを持てる喜びを知る事が沢山あった。どうしようもない闇を迷えば暖かな光を照らしてくれた人もいた。何度も何度も支えられそして導かれ、今の私がいると思えるような素晴らしい助けが沢山あった。そして沢山の優しさに守られ救われる、そんな日々を心から感謝できるようになった私が今ここにいる。

 そして一つ一つの優しさが今、胸の中を駆け巡り、新たな一歩を踏み出す為の力強い力となって私の背中を押してくれる。三年目に向って歩み出しても良いと耳元で囁く声がする。もしも誰もいない、または誰からも見向きもされなかったのなら、きっと今の私はいないと思うし、ここまで優しい気持ちを持てなかったと思う。自然と涙が溢れる。

 深く深く感謝。

 どこまで行っても私はきっと子供のままで、どこまで行っても私はきっと世間知らずで、どこまで行っても私は奇妙な思考回路と奇抜な倫理を捨てられずに、これからも迷い続けて泣き続けて、そして知らぬ間に微笑んだりして生きていくと思う。今まで以上に迷惑だってかけてしまったり、今まで以上に摩擦だって生んでしまう事だろう。でもそれ以上に今まで関わって来た方々や、これから関わってくるであろうまだ知らぬ方々に、何か大切で秘密なものを献上できたらと心から思っている。

 間違いだらけの人生。しかしそんな中で受け取った優しさと厳しさを私は絶対に忘れたくないと心の底から刻み込んで、歩んでいきたい。例えどこかで躓き傷付き泣き叫んだとして何もかも投げ出したくなったとしても、きっと最後には詩仙庵に通い休んでくれる訪問者の優しさや厳しさを思い出してまた歩き出せる事だと思えるから。

 しかし逆に詩仙庵に出会えたからこそ、躓き傷付き泣き叫んだとして何もかも、投げ出したくなった時に思い出し、また歩む事ができたと言う場所になれる様これからもひたすらにがんばりたいと思ってる。そしてそれこそが私を助けて下さってくれている方々への恩返しなのではないかと私は心からそう思う。

 やっと二年目終了。もう二年目終了。たかが二年目終了。されど2年目終了。この節目の時にまた、このような独白ができた事を心から感謝し、これからの三年目をもっとより良くしていこうと心から誓う。誓うではない。誓わさせて頂きたい。

 そんな素敵な道を示してくれたのは今この雑文を読んでいるあなた達です。
 だからなおさら、深く深く感謝。心から心からありがとうと伝えさせて下さい。

 そしてこれからも、まだまだ幼い詩仙庵と如月八雲を末永くよろしくお願いします。
 掛け値なしにそう願い、掛け値なしにそう囁かさせて下さい。

 今日、私が産声を上げた。
 今日、詩仙庵が産声をあげた。
 偶然と軌跡と必然に彩られ運命の華咲いた今日と言う尊き日に。

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