◎もう・・・じゅうぶん 10万HIT雑文
221 2006/07/19
◆谷川 雫様の創作雑文
:題 名 「もう・・・じゅうぶん」
:書き出し 「最初の1行目に必ず 嘘だろ!!! で書き出す。」
:単語挿入 「愛していますと」「ダメです」「結婚」
「やっぱりどう考えてもあなたが好きで」「嫌い」
「大好き」「嘘」「森林浴」「泣き虫」「プロポーズ」
「別れ」「願わくば」「嘘でしょう?」「ゴムバンド」「紅茶」
「食べたいです」「視線」「全然解らん」「世界」「無限」
「次元」「敏感」「ハンター」「銀色の戦車」「赤いハイヒール」
「海」「ノクターン」「月光」「星」「落雷」
:書き終り 「嘘だろ!!! で終らせる。」
「嘘だろう!!!」
「貴方と、もう逢えないわ・・・」
「愛していますと言っても・・・か・・・」
「そうね・・・ダメです」
「・・・結婚しようか」
「やっぱりどう考えてもあなたが好きでとは言えないわ。」
「嫌いではないが、大好きと言えば嘘になるか」
「そうね。森林浴させてくれるような貴方は今も好きよ」
「だったら、泣き虫の君にプロポーズするよ!」
「もう遅いの・・・解って・・・」
昨夜、深夜はとうに過ぎていたので今朝ということになるが、玲子はこの3年に別れを告げた。突然の宣言のような形になってしまったが、二人にとって、薄々感じられていたことだった。きっかけは、いつどちらが言いだすか、それだけだったような気がする。願わくば、「嘘でしょう?」と言う方になりたかったと思った。
二人の関係に終止符を打ったのだが、予想していた開放感はなかった。ほとんど眠っていないせいもあるのか、何もかも変わりない重さだけが、滓のように沈んでいて、頭痛がゴムバンドのように頭を締め付けている。
玲子はとあるメーカーに勤めていた。総合職とは名前だけの、使い走り的な仕事に倦んでいた。
今日も学会の資料作成のためにA大学の図書館に来ていた。文献にザーッと目を通しコピーをとっているうちに、お昼はとうに過ぎていた。食欲は全く無かったが、一区切りすることにした。
学食へ行って学生達のきらめく笑い声を耳にしたくなかったしかといって空調の整った喫茶室も息苦しくて、外へ出ようと思った。売店でサンドイッチと紅茶を買い、旧校舎の裏手で食べる事にした。
半日以上室内に篭っていたせいか、少しは気分が晴れる気がした。
ここは学生もめったに通らない穴場で、都心に近い事を忘れそうになるほど緑が濃い。プラタナスが薄曇りの空をおおっている。
ベンチに座り、今買ってきたサンドイッチを開いた。調理してから時間が経ってしまっているのだろう、切り口に野菜の汁が滲んで湿っている。食べたいですとは、お義理にも言えない食欲だったが、ため息をついて一口食べた。
目の前に影がさしたので目を上げると、初老の男が立っていた。
人が歩いてくる気配を全く感じていなかった為、一瞬ギョッとしたが、顔も姿も特徴の無いごくありふれた普通の男に見えたので、無視することにした。もちろん、ベンチの横に置いたトートバックの中身に視線を走らせて、危険回避用の「痴漢撃退スプレー」と「携帯電話」の存在を確認することは忘れなかった。
「お嬢さん、ここ、いいですか」
「・・・」
並木に沿ってベンチが点々と配置されている。そのどれにも座っている人はいなかった。
「それじゃ、失礼するよ」
「申し訳ありませんが、他のベンチになさってください」
「全然解らん」とでもいうように、男はそのまま聞こえぬそぶりでベンチの隣に腰を下ろした。
もともと食欲は無かったのだが、完全に消えうせていた。食べかけのサンドイッチをレジ袋にもどして立ち上がろうとすると、
「お嬢さん、この世界で一番辛い刑罰は何か知っているかね」
と、玲子の顔を覗き込むようにして言った。真近に寄せられた男から、青菜の腐ったような口臭がして、吐き気が込み上げてきた。
「バケツが2個あって、右のバケツには水、左のバケツはカラ。そして、右から左、左から右と、無限に水を移し変える刑罰だ。そこには何の意味もない。それをし続けるという刑罰だ」
男は言い捨てると、足音もさせずに立ち去っていった。後姿は薄い木漏れ日のせいか、チラチラしながら、まるで異次元にいる人物のような、不確かな存在感で消えていった。
奇妙な男がこのベンチの横に座っていたことさえ嘘の様に思えてくる。立ち上がる気力も萎えて、知らぬ間に手のひらに握っていたパックの紅茶を一口飲んだ。吐き気はおさまってきた。
誰もがエキサイティングで有意義な日常を送っているわけではない。玲子の仕事も言ってみればそんなものだった。文献を探して調べて、コピーして日本語に置き換える。ただそれだけだった。これから会社に戻り、その作業で今日の仕事は終わる。変わりばえなどしようもないと思った。
たまの息抜きに玲子は車を走らせるのだが、
「今日はドライブでもしてみよう」
言葉を口に出してベンチから立ち上がった。
なめし皮のステアリングは手のひらに気持ちよく吸い付いている。玲子の愛車はスバルのインプレッサ。ターボ車。敏感に反応するマニュアル仕様車。ハンターのような銀色の戦車のような車だ。
赤いハイヒールを脱いで素足になった。アクセルを踏み込む。重低音のエンジン音が心地よい振動を告げている。
深夜の高速に入った。海の見える所まで走らせてみようと思った。スライムのような日常から脱出する時の玲子のテーマソングはロック。ノクターンは似合わない。月光のない星もない今夜は、眠らない夜のテーマで落雷に似たヘビメタを、めいっぱいの音量でかけた。
長い一日だった。別れた彼の声が、その間隙から聞こえてきた。「嘘だろう!!!」