ヒトミの飼育日記  2000年4月
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4月1日(土)


春の陽気に誘われて、ヒトミと公園に出かけた。
さくらの蕾みもずいぶんとおおきくなっていた。

以前にヒトミを可愛がってくれた、女の子ふたり組がまた遊びに来ていた。
もう1ヶ月以上前なのに、しっかり覚えていてくれて、
おおハシャギだった。
ヒトミをこわされそうで、少々はらはらしたが、
とてもしつけの良い子達で、大事に仲良く遊んでくれた。

今回も、ヒトミはテンションが上がりすぎてしまったらしく、
つい先ほどまで、チーチーと鳴きながら、
部屋の中をぴょンぴょん飛び回っていた。
勢い余って壁に激突、
目を回し、そのまま寝てしまったようだ。



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4月2日(日)


I に連絡をいれた。
甲殻虫の事を詳しくきく為だ。
以前の薄笑いを連想させる声とは違った、
どこか、急かされているような、怯えているような小さな声で、
どもりがちに、甲殻虫の最近の様子を話す I 。
嘘をついているという印象ではない。
確実に、なにかが彼におきているのだろう。
それも、あまり良いこととは思えない・・・



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4月3日(月)


28日に布団を捨ててしまってから、寝袋で寝ている。
寝袋から顔だけ出してモゾモゾと動いていると、ヒトミになったような気分になる。
さすがに明け方は、まだ少し冷えるのだが、ちょうどそのくらいの時間になると、
ヒトミが潜り込んで来てくれるので、とても暖かい。

さしあたり、平和だ。謎は謎のままの方がいいのかもしれない。



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4月4日(火)


ヒトミの様子がおかしい。
全身が熱く、動きもよろよろとしている。
あげた食事も吐いてしまい、苦しそうに体を震わせている。
今までの変化と違い、明らかに健康を害しているように見える。
獣医に連れて行くべきだろうか?でも、連れて行ったとしても、
このヒトミの事をなんと説明すればいいのか?



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4月5日(水)


ヒトミの調子が戻らない。意を決して獣医に連れて行く。
医者は、ヒトミを見て困惑していたが、私の「南米が原産のネズミなんです」という
デマカセを信じたのか、それ以上の詮索はしてこなかった。
「効くかどうか分かりませんが...」と言って、胃腸薬と解熱剤を処方してくれた。
家に帰って薬を飲ませる。どうかよくなってくれますように。



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4月6日(木)


医者にもらった薬が効いたのか、ヒトミは回復しつつあるようだ。
震えは治まったようで、少しずつ、食事も摂るようになってきた。
ネズミなどの小動物用の薬が効くと言うことは、
ヒトミは、少なくとも、ほ乳類の一種であるといえるのだろうか。



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4月7日(金)


夜、I のアパートを訪ねる。5日前に電話で話をしたときに、
直接会って話をしようと言ってきたのは、I の方だった。
ドアをノックしても反応がない。部屋の電気は灯いているようなので、
いいのかとは思いつつも、ドアに耳を当て、中の様子をうかがってみる。
「カサカサ」という、小さな、しかし確かに何かが動き、こすれ合う音が聞こえた。
もしも、I が話していたことがすでに起きていたのだとしたら、
奴とは、もう話をすることはできないだろう。
あきらめて、帰ることにする。

家に戻ると、玄関に出迎えに来たヒトミが、いやにまとわりついてくる。
まるで、においを嗅いでいるかのようだ。やはりわかるのだろうか。



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4月8日(土)


Kの見舞いに行く。
来週には退院できるそうだ。
しばらくは、松葉杖が必要になるらしいが、リハビリさえしっかりすれば、
障害が残ることはないそうだ。まずは一安心。
事故の直前に意識が飛んだ件については、脳波検査でも異常が見られず、
原因不明のままだということだ。
I のアパートを訪ねたことは、結局言えずじまいだった。



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4月9日(日)


いつまでも寝袋のままという訳にも行かないので、
ショッピングセンターまで布団を買いに行く。
ポケットに入れるには、少々大きくなりすぎたヒトミは、
お留守番だ。

帰りに久しぶりにひとみに逢う。
車の後部座席に積まれた布団を見て驚いていたが、
購入の理由はうまくごまかした。

少し遠回りして、車の中からお花見をする。
盛りを過ぎた桜が舞い散る中、ながいキスをした・・・



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4月10日(月)


ヒトミは、本当に、なんでも食べる。
昨日ショッピングセンターで思い立って買ってきた、
ハムスター用のひまわりの種をあげてみたところ、
器用に皮をむいて、ちゃんと中身だけ食べていた。
体毛に隠れてよく見えないのだが、あの足で種を押さえられる訳もない。
どうやっているのだろう。

最近は、ポッキーは卒業したらしく、
以前のような執着は見せない。
現在の好物は、キャラメル。
やはりべとべとだ。



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4月11日(火)


I から電話が入る。
どうやら手遅れにはなっていないようだ。
とりあえず、精密検査を受けに、病院に行くことを進める。
甲殻虫は、2、3日ぐらいほっておいても問題はないだろう。
いや、もしその程度の事でなんとかなってくれるのだったら、
ねがったり、かなったりだ。

嫌いなやつとはいえ、
知り合いが、人間以外のものになってしまうのは、
はっきり行って、いい気分ではない。



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4月12日(水)


K が退院した。
退院には立ち会えなかったが、
夜に K の好きなワインを持って、ヒトミといっしょに家に見舞いに行った。
退院したとはいえ、まだ当分は松葉杖生活、本当に不便そうだ。

I の事を相談する。
とにかく、I の身におきている事を、I のことばではなく、
実際にこの目で確かめなければ始まらないだろう、という事で意見がまとまった。
明日、ふたりで訪れる事にした。

I に電話をしたが、
「お客様の都合により現在通話の出来ない状態になっています。」
というアナウンスが・・・
いやな感じだ。

K とはなしている間中、ヒトミははじめての部屋が珍しいのか、
終始ご機嫌に部屋の中を走り回り、あちこちにハナ(?)を突っ込んでいた。
体が大きくなったせいか、今日はワインを、お猪口3杯のんでも、
全く酔った様子もなかった。
だが、さすがに K の秘蔵のウォッカは効いたらしい。
すぐにフラフラと部屋の隅に行き、丸くなって寝てしまった。



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4月13日(木)


I の家へ行く。
チャイムをおしても反応がなく、鍵が掛かったままなので、
ドアを強く叩き、大声で呼んだが、やはり反応がない。
玄関の周辺を調べ、洗濯機のしたから鍵を発見。
非常事態のため、使用させていただく。

部屋に入った途端、鼻をつく異臭。
散らかった部屋の真ん中に、裸の I が倒れていた。
その横には、べっとりとした黄色い膿が・・・

甲殻虫の姿が見えない。
やつは何処へ?

部屋に帰ると、ヒトミが窓に向かって、
チーチー激しく鳴いていた。
そういえば、仲良しの猫の姿が最近見えない。



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4月14日(金)


I は、健康体のようだが、
精神にダメージを受けてしまっているようだ。
日常生活にはなんの支障もないが、
始終ぼーっとして、積極的に何かをするということができない。
視線が宙をおよぎ、口はゆるく開けられたままだ。
以前の I とは、完全に別人だ。
一応話は出来るので、何があったかを聴いてみるのだが、
やはり要領を得ない。
I の実家に連絡をいれて引き取ってもらうしかないだろう。

今日の昼間も、ヒトミが窓に向かって、
チーチーと激しく鳴く。
うるさいほどだ。
別に窓の外になにかがいるわけではない。
それとも、ヒトミには、なにかが見えているのだろうか?



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4月15日(土)


夢を見た・・・

部屋のすみで丸くなり、小さくぶるぶると震えているヒトミ。
近寄って背中を撫でてやろうとすると、痙攣がおおきくなっていく。
手を触れる事を躊躇していると、
急に震えが止まり、背中の肉が2つに割れる。
中から、ゆっくりとたちあがったのは、生まれたままの姿のひとみだった。

白くぬめりとした肌。
ゆっくりと首を回しこちらを見る。
少し首をかしげ、困ったような笑顔、
両手で、胸をかくしている。

呆然と立ちすくんでいると、
今度はやさしく微笑みかけ、ゆっくりと近づいて来る。
大きくてを広げ、そして首にうでを絡ませてくる。
濃厚なキス・・・
ねっとりと絡ませてきた彼女の舌は、
そのままどんどん伸びて、喉から内臓へと下って行く。
それは、ちっとも怖い事ではなく、
目を閉じて彼女の舌の存在をすこしでも感じようとする。
心臓が、彼女の舌に締めつけられていく。
・・・そして甘美な死。

朝は、訪れた。
夢から覚めたくなかったのかもしれない。



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4月16日(日)


K から連絡があり、例の学術書が届いたのだが、
K の不在のため、郵便局預かりになってしまっているらしい。
明日取りに行くので訊ねてこい、との事。

楽しみだ。
少し奮発して、いいワインを持っていこう。



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4月17日(月)


取っておきの1本をもち、勇んで K の家へ行く。
いよいよヒトミの謎の一部が解明されるときが来たのだ。

K は、わざわざ小包みを開けずにとっていおてくれた。
はさみを入れ、開封する。
中には一冊の白い冊子が。
表紙には、手書き文字で、題名が記入されている。
ゆっくりと表紙を開く。
まず、1ページ目、
・・・白紙だ。
2ページ目をめくる。
・・・白紙。
3、4、5 ・・・白紙が続く。
10ページ目に、大きなエクスクラメーションマークが2つ。 !!。

やられた、ダマされた。
手の込んだ、詐欺だ。
いや、これだけの手間をかけて、儲かる金額を考えると、
いたずらというべきか。
もちろん、サイトは Not Found。

祝杯は、やけ酒に変更。
口惜しいが、それでもワインはうまかった。



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4月18日(火)


押入れの奥からソフトボールが出てきた。
ヒトミは、大喜び。
じゃれつき、転がし、追いかけて、
ムリヤリ上に登り、落っこちて、
噛みつき、威嚇し、パンチ&キック。

一時間ほど夢中になっていた。
久しぶりに、腹が痛くなるほど笑った。



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4月19日(水)


ヒトミを外に連れ出す。
昼の外出は、獣医に行ったとき以来だ。

どういうわけか、午前中は激しく外出をいやがり、
激しく鳴きながら、部屋中を逃げ回った。
やはり時折窓に向かい、威嚇するようにジィジィと鳴く。
何かを怖がっているのか。

午後になると、午前中の騒ぎが嘘のように、
機嫌よく腕の中に納まる。

いつもの公園の広場は、いちめんのタンポポ畑。
ヒトミは、匂いをかいでいるのかと思ったら、
ムシャムシャと花を食べていた。
美味しくなかったのだろう、食べたのは最初の3つだけ、
後はたわむれて遊び続ける。

少しボケているのだろうか、
背中を丸めたおばあさんが、ベンチに座りながら、
しきりにヒトミに話しかけていた。
・・・やさしい笑顔だった。



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4月20日(木)


明け方に、窓の外で大きな物音がして目が覚める。
窓を開け確認するが、何事もない。
ヒトミは眠ったままである。

昼近くにふと思い立って、もう一度窓の外を確認する。
朝の日差しの中では確認できなかった、薄い引っかきキズか、
窓の下の屋根についていた。
なにか鋭利な硬いもので、屋根の塗料を軽くひっかいた、
そういう感じのキズだ。

なにがいるというのか。
なにがおきているというのか。
やつなのか。
なぜ、すがたをあらわさない。



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4月21日(金)


窓の外に、以前の残りの、ネズミ用粘着シートをしかけてみる。
こんなものでなんとかなるとは思わないが、とりあえずだ。
ヒトミに実害がでる前に、何とかしなければ。

久しぶりにひとみから連絡があった。
めずらしく、彼女から逢いたいといってきてくれたのだが、
こんな状態でヒトミを一人にはできない。
断ってしまった。
彼女は一瞬言葉につまり、
小さな声で、「そう。じゃ、また・・・」とつぶやくと、
ゆっくりと電話を切った。



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4月22日(土)


粘着シートには、何も掛からない。
まだ1日目だ。
諦めたわけではない。
こんな事ならば、I にもっといろいろなことを聞いておけばよかった。
やつの好物でもわかれば、罠として少しはマシになるのに。

いや、まだやつと決まったわけではない。
はやまるな、はやまるな・・・
焦ってはいけない。

午前中のヒトミは、相変わらず。
午後には、鳴きつかれたのか、うつらうつらしていたようだ。
もっとも、ヒトミが寝ているのか、じっとしているのだけなのかを、
見分けるすべはないのだけれど・・・

今日、無言電話が、3回もあった。



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4月23日(日)


午後になるとヒトミが落ち着く事がわかったので、
連絡をとり、夕方からひとみと逢った。

電話口での彼女の嬉しそうな声、
こんな声を聞くのは、
昔、ディズニーランドに誘ったとき以来かもしれない。

久しぶりに見る彼女の微笑み。
愛している。

一昨日はごめん。
いえなかったけど・・・

無言電話、今日は2回。



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4月24日(月)


粘着シートが丁寧に、2つに折り重ねられていた。。
はがしてみると、中には、ゴキブリの死体が一つ。
誰かのいたずらか、
それとも・・・

もう一度しかけてみよう。

無言電話は3回。
電話口で声を荒げても、反応はない。



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4月25日(火)


ヒトミが、電話にまで攻撃的になってしまった。
昼間、呼出音がなったと同時に体当たりをし、
もう少しで電話を壊すところだった。

このところ、無言電話に対して、
受話器を叩きつけたり、大きな声で怒鳴ったりしているものだから、
よくないものというか、敵として認識してしまったのだろうか。

この2日間のヒトミは、穏やかさのかけらもない。
常に何かに対していらだち、威嚇し、攻撃姿勢をとる。
このままだと、ヒトミの精神がおかしくなってしまう。
なんとかしなければ、なんとかしなければ・・・

粘着シート、変化なし。
無言電話、5回。



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4月26日(水)


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4月27日(木)


まただ。
また一度も目を覚ますことなく、28時間眠ってしまったらしい。

目が覚めて、見た部屋の光景。

割れた窓ガラス。
床に落ち、壊れた電話。
ぐしゃぐしゃに丸められ、部屋の真ん中に転がっている、粘着シート。
泥だらけで、床にうずくまるヒトミ。
ちぎられたような、鳥の羽根。
乾いた血痕。
裸足の人間の足跡。

・・・そして、
甲殻虫が、タンスの上からこちらを見下ろしていた。

ぼんやりと夢を見ているような状態のうちに、
やつは、ガラスの割れた窓から飛び出していった。
存在だけは、確認できた、というところか。

眠っている間に何があったのかは、
考えないことにした。
これ以上の問題を抱え込むことは出来ない。



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4月28日(金)


ヒトミが午前中に騒ぐことはなくなった。
おとなしいものだ。
食欲はある。

・・・だるい。
28時間睡眠の後遺症だろうか、
身体が石のように重く、何もやる気がおきない。
今日は、これくらいで・・・。



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4月29日(土)


1日中、ほとんどじっと、うずくまっていた。
食事もとりたいと思わない。
電話にも出ず、ただ、留守電に吹き込まれるメッセージを聞くだけだ。
電話は多かった。
K から、祖母から、ひとみから、I の実家から。
無言電話は2回。

まだ割れた窓ガラスも直していない。

ずいぶんと久しぶりに、ヒトミと仲良しのあの猫が遊びにきた。
ひと回り大きくなり、左耳に噛まれたような傷が出来ていた。
ヒトミと何か会話をしているようだと思ったら、
外に飛び出して、いくつか残飯を持ってきた。
それを食べるヒトミ。
そういえば、今日は、何も与えていなかった。



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4月30日(日)


・・・・・。
何もする気が起きない。
ただ、うずくまるのみ。
電話の線は、切ってしまった。
体毛変化前のヒトミも、きっとこんな感じなのかもしれない。
今日で三日目だ。
ヒトミと同じ症状だとすると、
明日にはもう少しマシになるということか。

何が変わるのだろう・・・



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