ヒトミの飼育日記  2000年7月
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7月1日(土)


I が訊ねてきてくれた。
今日の服装は、カーキ色の短パンに薄いピンクのボタンダウン(長袖!)、
そしてアタマには麦わら帽子が・・・。
まぁいい。

近くのスーパーで、ヒトミの食事用の買い出しをしてもらう。
あの、ニコニコ顔で快く引き受けてくれた。

I の買ってきてくれたもの。

さば 1匹

バナナ 1房

コンソメ味のポテトチップス 2袋

たまご 1パック

押し麦 1kg

ズッキーニ 1本



まぁいい。


とりあえず、ヒトミにバナナをむいてやる。
久しぶりのまともな食事、嬉しそうだ。

ヒトミがウチに来たばかりのころ、
バナナを丸まる一本食べて驚いた事があったっけ。
気がつけば、ヒトミと暮らし始めて、もう半年・・・

ヒトミ、これからもずっと一緒だよ。
愛してるよ、ヒトミ。



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7月2日(日)


ぜっしょく、むいかめ。
つらくはない、
しかし、いしきがはっきりしなくなってきた。



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7月3日(月)


ヒトミが、みている。
あぁ、薄れて行く意識の中で、
ヒトミがなにかをしようとしていることだけがわかる。
身体の芯が温かい。
左手の小指に痛みがはしる・・・
部屋のドアが開き、誰かが入ってくる気配を感じながら、
気を失った。



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7月4日(火)


目を覚ますと、枕もとに心配そうな顔をしたひとみがいた。
身体は・・・
1週間の絶食をしたとは思えない快適さだ。
だるさのかけらもない。
意識もはっきりしている。

ヒトミは、
タンスの上のクッションの上に。
そっと覗きこんで見ると、
そこには、あの買ったばかり時の姿のヒトミがいた。

体長5センチぐらいの、灰色のふさふさした毛のカタマリ。
小さな声で、チーチーと鳴いている。

おまえは、自分の身体を犠牲にして、
自分勝手に絶食をし、死に至りそうになった愚かな男を、
助けたというのか。
そうなのか。
・・・そうなのか。

左手の小指の、第1関節から第2関節の間に、
灰色の細かな毛が生えていた。



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7月5日(水)


ひとみは心配をして、そのまま泊まっていってくれた。
ウチに来たのは4日の早朝、
気を失う前に感じた気配は、彼女ではないらしい。
彼女が来たときには、すでにヒトミは今の姿になっていた。
ヒトミが何をしたのか、なにが起きたのか、
目撃はしていないそうだ。

小さくなってしまったヒトミ。
久しぶりにポッキーをあげると、嬉しそうに食べている。
その可愛らしさに微笑みながら、
涙だけが、とめどなく流れる。



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7月6日(木)


ヒトミが、牛肉やコンニャクを食べた。
全て元に戻ってしまったわけではないようだ。



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7月7日(金)


モクモクと動くヒトミの様子を眺めながら、
ぼんやりと考える。

K に連絡を取っていない。
K からの連絡もない。
連絡がつくことを拒んでいたのだから当たり前だが。
気まずいが、明日連絡をとってみよう。

H はどうしただろう。
あれから音信不通だ。



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7月8日(土)


K に連絡をとる。
K もこのところバタバタと忙しく、
ウチには連絡をいれてなかったようだ。

ここ数日間の出来事を、電話口で話す。
一拍おき、ばかやろーと怒鳴られた。
「明日訊ねて行くから、アタマ出して待ってろ、このバカ。」
だそうだ。



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7月9日(日)


K の訪問。
玄関を上がるなり、人の身体を触りまくり点検する。
左手小指の毛のことに始まり、しばし質問攻め。
なぜの部分に関しては、答えようがないので質問はなし、
終始、現象面を細かに訊ねられる。

質問が一段落すると、
うぅむ、と腕組みをしたまま考え込むこと、暫し。
結論は、
「わからんな。ま、生きててよかった。
これに懲りて、あまり馬鹿なまねはしないこった。」
そしてあの笑い声。

その後に、急に真顔になって、
「しかし、これは本当にヒトミなのか?
おまえが気を失っていた間に、すりかわった可能性は?」

・・・



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7月10日(月)


家の中でヒトミと二人きりでいるのが辛い。
昨日の K の言葉を思い出してしまう。
今のヒトミが本物だという、意味のない確信はあるのだが、
それを確かめるすべが見つからない・・・

午前中に連絡をとり、ひとみに会う。
ニコニコと微笑みながら、ぶら下るようにして腕を組んでくる。
今日のひとみは本当に甘えん坊だ。

ホテルに入り、むさぼるように愛し合う。
ひとみも、なにかを忘れたいのだろうか。
それとも、なにかから逃げ出したいのだろうか。
泣きながら声を出すひとみ。
漠然とした不安が、黒雲のようにわきあがる。



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7月11日(火)


信じよう。
確かめようはないが、今、目の前にいるのは、
間違いなくヒトミだ。
それを伝えようとしているのか、
甘えるように、足元にまとわりつくヒトミ。
見上げるようにして、チーチーと鳴く。

ほら、おまえの好きなポッキーだよ。
今日は久しぶりに、一緒に風呂に入ろうな。



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7月12日(水)


左手の小指に生えた、短い灰色の毛。
これはいったい何を示すものか。

左手の小指を隠している者

ひとみ

カメラ屋のオヤジ


二人の小指にも、
同じような毛が生えているのだろうか。

ひとみは愛し合っている時も、
包帯をはずすことはなかった。
小指のことにふれるということは、
あの数日間にふれるということだ。
・・・それはしない約束。

カメラ屋のオヤジ。
もう一度、訊ねてみよう。



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7月13日(木)


今日は、店休日だった。



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7月14日(金)


カメラ屋を尋ねる。
相変わらず、オヤジは眠そうな顔で、
のほほんと店番をしている。

3個組の24枚撮りフィルムを買い、
会計後に話しかける。
幸いなことに、辺りに人はいない。

「左手の小指、どうしたんですか?」


「いや、ちょっとした怪我でね。」


「包帯、もう一ヶ月半ぐらいになりますよねぇ。」


「・・・」


「実は、僕もちょっと左手の小指をね。」
親父の前に左手をかざす。


黙ったまま息を飲むオヤジ。


「そうだ、このフィルムの現像もお願いいたします。」
昨日、ヒトミを写したフィルムを渡す。

現像の上がりは、明日。



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7月15日(土)


午後2時、カメラ屋に向かう。
定休日ではないはずなのに、シャッターが閉まっている。
゛店主急病のため、しばらくの間、お休みさせていただきます。゛

・・・

呆然とシャッターの前に立ちすくんでいると、
突然、後ろから声をかけられる。
サングラスをかけ、野球帽を目深にかぶってはいるが、
カメラ屋のオヤジだ。
これでも変装のつもりか。

車に乗り、電車にして2駅先の喫茶店にはいる。
辺りをうかがいながら、声を低くして喋るオヤジ。
あの、店頭でうたた寝をしている人間と同じとは思えない。

まず、ヒトミについてひと通りのことを質問される。
どうしようかとも考えたが、
もったいぶらずに、知っていることは全て話す。
うなずきながら、聞き入るオヤジ。

「明日、時間はあるかね。
もしよければ、ついて来てほしいところがあるんだが・・・」

明日の午前10時半、
この喫茶店で待ち合わせ。



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7月16日(日)


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7月17日(月)


昨日・・・
10時半の待ち合わせの後、連れていかれたのは、
車で高速を2時間半ほど走った所にある、
ぼろぼろの別荘。

そして、その中で待っていたものは、
大きさは、ちょうど今のヒトミと同じくらいの、
鮮やかなブルーの、ゼリー状の塊。
もぞもぞとこちらに向かって進んで来る。

愛しそうに抱き上げるオヤジ。
頬ずりをする。
その左手の小指の、第1関節から第2関節の間は、
ブルーのジェルに覆われていた。

露店にて購入、
飼い主とのシンクロ、
そして左手の小指・・・
これもヒトミや甲殻虫と、同じ類の生物なのか。

そのまま時がたつのも忘れ、
オヤジと話をする。
結局、一晩その別荘に泊まってしまった。

・・・ただ、オヤジは謎の究明を一切していない。
静かに、このゼリー生物を愛し続けていただけだ。



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7月18日(火)


きた。
ヒトミが動かない。
例の、あれだ。
前回の変化をなぞるのであれば、
頭が黄色くなるはずだが・・・

夜半に窓を開け、外の風を入れていると、
ヒトミと仲良しの猫が入ってきた。
ゆっくりと近づき、
動かないヒトミの頭 を心配そうに舐める。
丁寧に、丁寧に。
何回も、何回も・・・

少し安心する。
この猫が間違えるはずはない。
やはり、このヒトミは、間違いなく
゛ヒトミ゛ なのだ。



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7月19日(水)


ヒトミは今日も動かない。
いつも通りだ。

体調が悪くなる前にと思い、
ひとみと会う。
相変わらず、過度に甘えてくるひとみが、
少々、うっとうしい。
左手の小指が気になる。

左手の小指が気になる。

左手の小指が気になる。

左手の小指が気になる ・・・


はしゃいだ声で話しかけてくるひとみに、
気のない生返事だけを繰り返してしまう。
怒らせてしまった・・・

左手の小指が気になる。



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7月20日(木)


だるくなってきた。
起きるでもなく、寝るでもない、
うすぼんやりとした、まどろみの中で、
いちにちを過ごす。

エアコンの風が刺す様に冷たく感じるので、
スイッチを切り、窓を開ける。
外からの風に乗り、
遠くから聞こえてくるのは、油蝉の声だ。

今年の夏は、ヒトミを連れて海へいこう・・・



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7月21日(金)


全身が熱っぽく、視界がかすむ。
自分の鼓動とはまったく別のリズムで、
左手の小指が、鈍く疼く。
もう1日ぐらいの辛抱か。

ヒトミは、すっかり元気に部屋を飛び跳ね始めた。
まだ身体に変化はないが、
いつもの通りだと、2、3日中には現れるはずだ。

久しぶりに、無言電話が1回。



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7月22日(土)


体調は、すっかり良くなった。

ヒトミ、変化なし。



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7月23日(日)


あさ目が覚めると、ヒトミに触角(?)が生えていた。
それも、2本。

形状は、以前にあったものと同じだが、
今回の触角は全体が白く、先端の1.5cmほどが黒、
モノトーンで、ちょっとオトナっぽい感じだ。
体の大きさは、相変わらず 5cmだというのに・・・

新しい感覚器官が嬉しくてたまらないのか、
部屋中のあちこちに移動しては、
いろいろなものを2本の触覚で触りまくる。
箱ティッシュ、消しゴム、椅子の足、
蛇口、せっけん、胡椒入れ・・・

こちらに近づいて来るので、おもしろがってじっとしていると、
もそもそと身体をよじ登り、
顔のあちこちを、興味深げに触ってくる。
どのくらいそうしていただろうか、
満足げに小さく チー と鳴くと、
自分のクッションに、ひょこひょこと戻り、
小さく丸まって、寝てしまった。

どう感じたのか、感想を聞かせて欲しいものだ。



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7月24日(月)


なんだ、ナンだ、ナンダ??
飲んだのは、ペプシコーラだぞ。
なんで酔っ払ってんだ。

イエ〜〜イ。
サイコー、ゼッコーチョー!!



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7月25日(火)


恥ずかしい・・・
あんなに酔ったのは、数年ぶりだ。
そばに居合わせたのが、ヒトミだけだったから良かったようなものの、
あんな姿、人には見せらたものではない・・・

しかし、ペプシで酔っ払うとは。
体内で、その成分が、何らかの働きにより、
アルコールに変化してしまうのか。
それとも、ペプシの成分に酔っ払ってしまう、
体質になったのか。
いずれにしろ厄介なことだ。
今日、コカコーラも試してみたが、
体調に変化はなかった。

とりあえず、ヒトミにもペプシを飲ませてみたが、
大きなゲップをしただけだった。



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7月26日(水)


AM 11:34 無言電話。
ふと思い立ち、ヤマをかけてみる。


「 Y くんですか。」


I の親戚の子ども、小学校5年生の男の子の名前。
あわてて受話器を置いたように、電話が切られる。

ビンゴ!!

住所はきいてある。
訊ねてみよう。



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7月27日(木)


荷造りを始める。
Y くんの家は遠い。ちょっとした旅行だ。
ことの次第によっては、連泊も覚悟しなければならない。
彼も今は夏休みなはずだ。
じっくりと向かい合うことになるだろう。

いろいろと、不安はあるが、
ヒトミを連れて行くことにする。
今、ひとみに預ける気にはなれないし、
K はこの時期いろいろと忙しい。
I は、もってのほかだ。

近くのディスカウントショップで、
旅行用のペットボックスを購入する。
猫用のものなので、かなり大きいのだが、
「大は小を兼ねる。」 問題はないだろう。
ヒトミは薄いピンクのおうちをいたく気に入ったご様子。
いつものクッションには見向きもせず、
入ったまま出てくる気配もない。



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7月28日(金)


Y くんの街の駅に着いたのが、AM 11:30。
家の発見が、PM 1:00。
学校の事務員を装って、外から電話をかける。
電話口に出たのは、おばあちゃんらしく、
Y くんは学校のプールに出かけていることを教えてくれた。

家の前の物陰で待つことしばし。
じわじわと汗が体を覆っていく・・・
暑い。
ボックスの中のヒトミは大丈夫だろうか。

ものの30分も待ったろうか。
水色のカバンを振り回しながら、
真っ黒に日焼けした、短パンにタンクトップの小学生が、
こちらに走ってくる。
Y くんだろう。
家の門を開けようとしているところを、
後ろから声をかける。
ビックリしたように振りかえった彼は、
ペットボックスに気がつくと、
表情を固くし、逃げるように家へ入ってしまった。

左手の小指は、
・・・なかった。



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7月29日(土)


このままでは帰れないので、
ターミナル駅まで戻り、ビジネスホテルにて宿泊。
初めて訪れる街で、ヒトミと外食をする気にはなれず、
近くのコンビニで買出しをして、部屋で寂しい夕食をとる。
ヒトミはお豆腐が好き。
顔を突っ込んで食べるものだから、
全身豆腐だらけ。
あたまについたトッピングのワケギが可愛らしい。

明けて今日。
まず、Y くんの家に電話。
・・・誰も出ない。
そういえば今日は土曜日だ。
家族で外出でもしたのだろか。
家も訪ねてみたが、
静まり返って、人の気配はない。

PM 10:00 。
諦めて昨日のホテルに戻る。



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7月30日(日)


戻ってこない・・・
どこへ行ったのか、
手がかりはない。
あと1日、待ってみよう。



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7月31日(月)


AM 6:30。
Y くんの家の前に立つ。
人の気配はある。
どうやら昨日の深夜に帰宅したようだ。
ただの家族旅行だったのか・・・

Y くんが、すがたを現わしたのは、AM 10:30。
玄関のドアがゆっくりと開き、
顔だけを出して辺りを覗っている。
気が付かれないように、
物陰に隠れ、息を殺す。

でてきた。
Y くんの目の前に立ちふさがる。


「恐がらないで。I の友達だよ。」


硬直したように、立ちすくむ彼。
眼が怯えている。
ボックスを開いて、ヒトミを見せる。


「なにこれ?」


素直な声だ。
とぼけているわけでは、あるまい。


「キミは、奇妙な生き物を飼っていないのかい?」


左手の小指を見せる。
あわてて左手をポケットに隠しながら、
こちらをじっと見ている・・・


3秒の沈黙。


あす、学校の裏庭の大きな欅の下で、
AM 8:00。
約束をして別れる。



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