ヒトミの飼育日記  2000年10月
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10月1日(日)


生物講師の日記。

やはりこの部屋で、
何かの生物と共に、
1ヶ月程度、生活をしていたらしい。
迷いのない文章からすると、
この部屋の背景を知った上での生活であったらしい。
残念ながら、その背景に付いては、触れられていない。

日記のなかで、シンクロの記述は2回。
1回目は、通常のシンクロ。
2回目は、生物が蛹になっている。
しかし、本人が蛹形になっておらず、、
そこの部分から文章が少しづつおかしくなっている。
蛹が孵った記述の日付で、その日記は終了している。

同居していた生物の形態に付いての記述は、あまりない。
断片から判断するに、ヒトミのかなりよく似た形態であったようだ。


食料が、いよいよ底をついてきた。
今日の食事、
缶詰を使った簡単なパスタのみ。



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10月2日(月)


生物講師の日記には、
食料不足の記述はない。

返信で送ったひとみへのメールに、
返事はない。

この部屋の日常に、
変化はない・・・

夕食。
具の入っていない最後のインスタントラーメンを、
ヒトミと取り分けて食べる。
「人間は、砂糖水で1週間生きられる。」
と言ったのは、誰だったか。
ヒトミはどうだろうか。



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10月3日(火)


経験はしてはいるので、驚きはないが、
やはり、1日ぐらいの絶食では、
体調に問題はない。
ヒトミも、終始元気なものだ。

この部屋は、絶食により、
強制的に、生物とのシンクロを起こさせるためのものか。
今のヒトミは、2.5cmだ。
前回のような力のキャパシティーがあるとは思えない。
しかし、この部屋へはヒトミに導かれてやってきたのだ。
ヒトミがそれを望んでいるという事なのか。
そうすることによって、
何か、甲殻虫につながっていくという事か。
成り行きに身をまかせたほうがいいのか。
出来る限りの抵抗を試みるべきなのか。
ひとみは昏睡状態から、本当に蘇生したのか。
だとすれば、今ここにいるのは、
いったい、何のためなのか。

お ね が い だ 、だ れ か 、
こ こ か ら 、た す け だ し て く れ 。



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10月4日(水)


叫ぶ。
叩く。
蹴る。
わめく。
泣く。

1日が終わった。



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10月5日(木)


こぶしから、ながれる、真赤な血・・・
そのままに、ベッドに、横たわる。
寄りそう、ヒトミ。
傷口を、舐め続ける。
前にも、こうして、
舐めてくれた事が、あったような。
あのときは、そのあとに、
どうなったの、だったか。
目をつぶる。
傷口を舐める、ヒトミの舌の感触だけが、
今は、世界の全てだ。
少し、眠ることに、しよう。



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10月6日(金)


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10月7日(土)


目を覚ます。
しばらくは、ここがどこなのかわからずに、
ぼんやりとした頭で、ここ数日の記憶をまさぐる。


そうだ、
ヒトミの示すままに、
甲殻虫を探しに、この部屋へ・・・


とび起きる。
部屋の様子が変だ。
暴れて壊したもの、血のついたドア、
散らかったはずの室内が、
すべて、元通りになっている。
食料は・・・
すべて、元通りだ。
記憶が正しければ、
調味料の量まで、入室当時に戻っている。
そういえば、
怪我をしていたはずのこぶしも・・・

頭が、ぐらぐらする。
まるで、デジャヴの世界に、
迷い込んでしまったようだ。
それとも、タイムスリップか・・・

パソコンをつけ、
今日が、10月7日であることを確認する。
また、1日半、寝ていたということか。
しかし、
このパソコンも、信じられないような気になってくる。
インターネットにつないでいるように見せる、
巧妙なソフトで、欺かれているような・・・



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10月8日(日)


生物講師の日記がなくなっている。
パソコンの履歴も、全てクリアーになっている。
もちろん、ひとみのメールも・・・
どれが現実で、実際にあったことなのかが、
全てあやふやだ。
事実として存在するものは、
目の前の奇妙な生き物、
ヒトミだけだ。

動かなくなった、ヒトミ。
どうやらシンクロが始まったようだ。



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10月9日(月)


雨の音が、
聞こえるような、気がする。
外界とまったく遮断された室内。
気候さえもわからない。
わずかにわかるのは、
気温の変化だけだ。

高い空、
長い影帽子、
気の早い夕暮れ、
重なり合う、虫の声、
ペガスス座、
運動会、
やきいも、
柿、葡萄、梨、

動かないヒトミ。
一人ぼっち、という言葉を、
つぶやいてみる。



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10月10日(火)


少しづつ、身体がだるくなってきた。
熱があるような気もするが、
体温計があるわけではないので、
よくはわからない。

ヒトミはまだ動かない。

体調のせいだろうか、
長い間、変化の無い部屋に、閉じこもっていたせいだろうか、
精神が、静かな虚無感に満たされている。
もう、あせる気持ちは、
少しも無くなってしまった。
あぁ、ひとみのために、
何かをしなければいけないことはわかっているが、
この状態で、何をすればいいというのだ。

このシンクロが終われば、
なにか見えてくるのだろうか。



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10月11日(水)


ベッドに横たわり、瞳を閉じる。

沈み込んで行くような感覚・・・

どこまで落ちて行くのだろう。

どこへ落ちて行くのだろう。



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10月12日(木)


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10月13日(金)


目が覚めると、ベッドの上。
しかし、あの部屋ではない。
手術室、だろうか。
数人の医師のような人々が、
周辺で作業をしている。
身体が動かないのは、
何かの薬の作用なのか。

一人の医師が近寄ってくる。
顔は大きなマスクに覆われて、よくわからないが、
どうやら女性のようだ。
目があうと、少し困惑の表情を浮かべ、
他の医師に話しかける。
声がくぐもっていて、よく聞き取れない。


「・・・おい・・・・み・・どうて・・・。
・・じゅ・・・・ふぅる・・・そ。」


少なくとも、日本語ではないようだ。

先ほどの女性医師が、
注射器を手に近づいて来る。
静脈注射。
真剣な眼差しで手元を見つめるその瞳に、
見覚えがあるような気がする。
しかし、考える暇も与えられず、
意識は混沌の中へと沈み始める・・・


再び目覚めると、
そこは、
自宅のベットの上。

ヒトミは枕もとに。
体長、4cm。
3色の体毛、2本触覚。
蒼い瞳で、こちらを見つめている。



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10月14日(土)


身体に手術の傷があるわけでもない。
あの手術台で、なにが行なわれたのだろう。
以前かかった人間ドックに、またかかってみるか。
この小指は、どう判断されるのか、
興味深い。

K に電話をして、ひとみのことを訊ねる。
やはり容態は変わらず、昏睡を続けているらしい。
やはり、あのメールは・・・

今日は、まだ気持ちが落ち着かない。
明日、
あしたになったら、ひとみに逢いに行こう。
なにより、彼女の顔が見たい。



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10月15日(日)


ひとみ、
3週間前と同じ寝顔。
ここだけ、時が止まっているかのように思えるほど、
変わり映えのない病室。
あの部屋での出来事が、
幻であったかのよう。

そっと、手のひらに、くちづける。
ごめんよ、役に立たない男で。
もう少し、
あと何日かは、
そばに、いさせてくれ。
そうすれば、きっとまた動き始められる。
今は、おまえへの気持ちを、
しっかりと確認させてくれ。
2度と迷わないように・・・



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10月16日(月)


昼下がり、
ひとみの病室で、
ウトウトと夢をみる。

しっかりと手をつなぎ、
どこか知らない町を、
散歩する二人。
微笑む、ひとみ。
久しぶりに見る笑顔。
ただあてもなく、歩き続ける。
胸に満ちる、幸福感。
照れくさくて、
バカのように、大きな声で、
「歩いて行こう」 を唄う。


歩いてゆこう、どこまでも、
苦しくても、悲しくても、
春がくれば、花も咲く、
小鳥もさえずる、大地じゃないか、
さぁ、歩いてゆこう、歩いてゆこう、


声を出して、おかしそうに笑うひとみ。
ぶんぶんと、つないだ手を振りながら、
歩く、歩く、歩く。

夢から覚め、
ひとみのやすらかな寝顔を見ながら、
ちからないため息を、ひとつ・・・



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10月17日(火)


ひとみの病院へ出かけるときに、
ヒトミが激しく鳴きわめく。

嫉妬、だろうか。



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10月18日(水)


病院の帰りに、ふと思い立ち、
デパートによって、買い物をする。

ひとみのための、
茶碗と、箸と、湯呑。

彼女が、これを使うのは、
いつになるだろう・・・



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10月19日(木)


ひとみが、

目覚めたら、



いっしょに、

暮らそう。



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10月20日(金)


ひとみの寝顔を見ながら、
昨日の想いを伝える・・・

わずかに微笑んだように見えたのは、
錯覚だろうか。



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10月21日(土)


ひとみの病院へ出かけるときに、
あまりに、ヒトミが激しく鳴きわめくので、
いっしょに、連れて出ることにした。

小さなカバンの中から、
チーチーと、機嫌のよさそうな声が聞こえる。
現金なやつめ。

ひとみの病室で、
人目のない時を見計らい、
ヒトミを、ひとみの毛布の上に、下ろしてやる。
しばし、首を傾げながら、
じっとしているヒトミ。
始めての場所なのに、はしゃがないのか。
そのうち、ゆっくりと、
ひとみの顔に向かって、進み始める。
左肩のところから、
するりと降りたかと思うと、
毛布の中に潜りこむ。
もそもそと移動して行く様子が、
毛布のふくらみでわかる。
肩、肘、
左腕にそって移動しているようだ。
手の部分で、移動が止まる。
そのまま動かない・・・
そっと、毛布を持ち上げてみると、
ヒトミは、丹念に、
ひとみの、左手の小指を、
舐め続けていた。



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10月22日(日)


ヒトミの動きが鈍い。
いつものように、
ちょこまかと、部屋の中を動き回るのではなく、
ゆっくりと、
目的のものに近づいて行く。
シンクロのときのように、
じっと動かないわけではない。
どうしたのだろう。



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10月23日(月)


まだ、狂っていないのであれば、
この目が、おかしくないのであれば、
今ここにいる、ヒトミの輪郭は、
確かに、
確かに、ぶれている。
ゴースト現象を起こした、
テレビを見ているかのようだ。

牛乳をかけた、シリアルを食べている。
お気に入りの、日の当たる窓際にうずくまる。
ヒトミの日常は、そのまま。

その姿に、
時折ノイズさえかんじるのは・・・



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10月24日(火)


ぶれが、ひどくなる。
ふれるのが怖い。



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10月25日(水)


ひとみは、夢を見ているのだろうか。



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10月26日(木)


いい風がふいていたので、
少し遠回りをして、いつもの公園に寄る。
公園の花壇には、風に揺れるいちめんの秋桜。
ベンチに座り、しばらくその様子を眺める。

秋桜の波、
肌に冷たく湿った風、
ちりちりとした日差し、
遠くに犬の鳴き声、
若い母親達の、高らかなお喋り、
こどものはしゃぎ声、

一人でいることに、違和感を感じる。
ヒトミと来たいのか、
ひとみと居たいのか・・・



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10月27日(金)


ひとみが、目覚めた。
見たことのある寝ぼけまなこで、
こちらを見て、目を擦る。


いま、夢を見たの。
わたしがヒトミになった夢。
でも、私はヒトミのはずなのに、
ヒトミを見てるの。
で、そのヒトミは、アナタなの。
わかる、わたしの言ってること?


その後の診察の結果、
筋肉が少々弱っていることの他は、
身体に以上はないらしい。
詳しい検査の後、
来週の半ばには、退院できるそうだ。



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10月28日(土)


昨夜、
ひとみの病院から帰宅し、
ドアを開け、
小さな声で、ただいまと声をかけると、
ヒトミが走って来て、出迎えてくれた。
思わず抱き上げ、頬擦りしながら部屋にはいっていくと、

部屋の真ん中に、

もう一匹の、

ヒトミがいた。


腕の中のヒトミを、もう1度見る。
このヒトミの、瞳は、蒼色ではない。
淡いピンクの乳白色。
子供のころに飲んだ、いちご牛乳の色・・・

そっと机の上に置き、
引出しを開けてみる。
縞模様の石は、そのままだ。
と、いうことは、
このヒトミは、どこから現れたというのだろう。
突然、思わぬところに移動するようなことを、
日常的にやっているのだから、
閉めきった部屋にはいってくることは容易い。
しかし・・・

気がつくと、いつの間にか、
蒼色のヒトミが、机の上に移動していた。
新しいヒトミと行儀よく並び、こちらを見る。
2匹は、ハモるように、チーと鳴いた。



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10月29日(日)


いちご牛乳色の瞳を持つ、
新しいヒトミ。
楽しそうに、ヒトミとおいかけっこ。
2匹は、本当に仲がいい。



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10月30日(月)


いない、どこにも、いない・・・



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10月31日(火)


昨夜、
深夜に、唐突に、目が、覚めた。
タンスの、上の、蒼色の、瞳の、ヒトミ。
その、横に、よりそう、ように、眠る、
いちご牛乳の、瞳の、ヒトミ。
ほのぼのとした風景のなかに感じる、
漠然とした不安。
ベッドから抜け出し、
そっと、2匹にふれる。
ふわふわ。
少し微笑み、もう1度、ベッドへと潜り込む。

深い眠り。

朝、
タンスの、上の、蒼色の、瞳の、ヒトミ。
その、よこに、もう一匹の、ヒトミが、
いない。

いない、どこにも、いない・・・

電話が鳴る。
病院から、ひとみが、いなくなった知らせ。



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