ヒトミの飼育日記  2000年11月
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11月1日(水)


胸が痛い。
呼吸が深く、荒い。
眉間にしわを寄せ、目をつぶったまま・・・

精神的なものなのだ、
体調が悪いわけではない、はずだ。

ひとみ、ひとみ、
どうして、うまくいかないのだろう。
おまえは今度はどこへいってしまったというのだろう、
その、まだ、ままならない身体をかかえて。
いちご牛乳のヒトミは、おまえと一緒なのか。
左手の小指は。
あの部屋のことも。
これからのふたりの生活も。
夢のこと。
謝りたい。
抱きしめて。
キス。
手をつないで。
おまえのつくった夕食。
あのイタリアンレストラン。
ディズニーランド。
ひざまくら。


・・・愛している。



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11月2日(木)


それでも、時は続いてゆく。
ずっと、ずっと・・・



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11月3日(金)


近所のディスカウントストアーで、ウォッカを買う。
ストリチナヤ。
ガサガサとうるさいビニール袋。
ひとみと使うはずだった湯呑に、なみなみと注ぎ、
いっきにあおる。
熱い液体が、喉から胃に下りていく感覚が、リアルだ。
もう一杯、そしてもう一杯・・・

酔っているのか、いないのか、よく判らないが、
無性にハラだけがたつ。
ちくしょう、ちくしょうとつぶやきながら、
ゆっくりとした動作で、床を、叩く、叩く、叩く。

ヒトミが、
床に投げたままのビニール袋に潜り込み、
遊んでいる。
ガサガサガサ・・・
時折、チーという鳴き声が混じる。


こいつが、
こいつがいなければ、
なにも、
なにもおこらなかった・・・



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11月4日(土)


近所のディスカウントストアーで、ジンを買う。
ビフィーター。
ひとみと使うはずだった茶碗に、なみなみと注ぎ、
いっきにあおる。
さわやかな香りと共に、熱い液体が、
喉から胃に下りていく感覚が、リアルだ。
もう一杯、そしてもう一杯・・・

23時、
ふらふらと表に出る。
赤い上弦の月。
どうにか、近くのコンビニまでたどり着く。
深夜バイトの金髪の店員が、
酒臭い息に、顔をしかめる。
ひとみの好きな、
ハーゲンダッツのクッキー&クリームを、
1個だけ購入。
袋をぶら下げながら、いつもの近所の公園の、
いつものベンチに腰を掛ける。

この季節のこの時間に、外で食べるアイスクリームは、
酔った身体を心地よく冷やしてくれる。

ひとみは、帰ってこないかもしれない。
そんな気がした。



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11月5日(日)


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11月6日(月)


無機質に、ヒトミに餌を与える。
自分に、顔の表情がないのがわかる。
感情の欠落した、仮面のような顔。

ヒトミ、
変なかたちの、訳のわからない生物。
なぜ、こいつに、
こんなにも、こだわらなければ、ならないのか。
ただのペットだ。


露店で見つけた不思議な生き物、ヒトミ。
おまえはいったい、なんなのだろう?



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11月7日(火)


人に会いたい。
訳のわからない生物ではなく、
赤い血の流れる人の、
暖かさに触れたい。


ひとみ・・・


K の電話をいれる。
久しぶりだ。
耳が痛くなるような大きな声が、
受話器から聞こえてくる。
心地よい。
明日、会う約束をする。
いいワインを持っていこう。



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11月8日(水)


Kを訊ねた。
Kの顔を見ても、うまく笑えない。
Kに、腕を引っ張っぱられ、ずんずんと奥へ。
相変わらず物の多い、散らかった部屋。
Kがわざとらしく舌なめずりをしながら、
持ってきたワインをあける。

Kもわかっている、
しかし、ひとみのことにはふれずに、
飲み会は続く。

ふと見ると、
デスクの真ん中に、
あの、ヒトミに関する白紙の学術書が置いてある。
やんわりと酩酊する頭で、
いまさら、何に使うのだろう・・・
と、考えていた。



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11月9日(木)


白紙の学術書。
手元にあるものは、I の部屋から持ち出したものだ。
変わりは、ない。
表紙には、手書き文字の題名、
9ページ分の白紙、
10ページ目に、大きなエクスクラメーションマークが2つ。 !!。
もうすこし、弄りまわしてみようか・・・
あぶりだしか、水に浸すか、
はたまた謎の薬品でも用意して、そっと振りかけてみるか。



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11月10日(金)


1ページ目で試してみる。
あぶり出しではない。
透かしも入っていないようだ。



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11月11日(土)


水に浸す、
長時間、日光に当ててみる、
鉛筆で軽く擦る、
・・・変化はない。
K は、何をしていたのだろう。
なぜか、気が進まないのだが、
仕方がない、直接聞いてみよう。

ふと思い立ち、
もともとの持ち主である、I に連絡を入れてみる。
呼び出し音がなる。
・・・7回、8回・・・15回・・・30、31。
出ない。
留守電にさえ、なっていない。
いやな感じだ。
また明日、電話をしてみよう。



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11月12日(日)


出ない。
きょうも、I はいない。
土日で、旅行にでもでたのだろうか。
今の I が、旅行に行くとは思えないが・・・

K に電話。
白紙の学術書について、訊ねる。


「別に。机の上を整理していてね。
たまたま置いておいただけだよ。」


〜だよ。ふだんは使わない言いまわし。
K は嘘をつくのが下手だ。

ナゼ、ウソヲツク?



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11月13日(月)


I を訊ねる。
ノックをする、呼び鈴を押す、声をかける。
反応がない。
I の部屋の合鍵は、いつも洗濯機の下だ。
鍵を開ける。
・・・鍵が、かかって、いない。

ゆっくりとドアを開ける。
以前の、黄色い膿にまみれた、裸の I を思い出しながら。

部屋の中には、
誰もいない。
1DKのアパートだ。どこに隠れるでもない。
洗濯は、干しっぱなし、
台所の生ゴミは、異臭を放っている。
テーブルの上には、
飲みかけの500mlペットのウーロン茶、
蓋さえも閉めていない。

何処へ、何時から・・・



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11月14日(火)


いろいろなことが、頭を巡り、
うつろな目のまま、ヒトミと戯れて、
時を過ごす。

久しぶりに、ヒトミをしっかりと抱きあげ、
その身体をまさぐる。
ぽわぽわとした、やわらかい毛。
小さいが、深く蒼い瞳。
興味深そうに抱き上げた手を探る、2本の触覚。
あまり足らしくない形の、逆さ円錐形の四肢。
体長は、10cmほどだろうか。
ずいぶんと大きくなった。

手のひらの中で、こちらを見て、
チーチーと鳴く。
まねをして、チーチーと語りかけてやる。
嬉しかったのか、楽しかったのか、
触覚を大きく振りながら、もう1度チーチーと鳴き、
待っているかのように、こちらを見ている。
少し考えたが、
大きな声で、わっ と脅かしてみる。
ヒトミは手の中で飛びあがり、そのまま部屋のすみへ。
ふっ、と小さく笑い、
そのままベットへ潜り込み、目をつぶる。
PM 8:45。



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11月15日(水)


月曜日から、
商店街のカメラ屋が、休んでいる。

「店主急病のため、しばらくお休みさせていただきます。」

いやな感じだ。



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11月16日(木)


K が突然、ワインを持って訊ねて来た。
そういえば、今日はボジョレーヌーボーの解禁日だ。
そんなことも、忘れていた。
あまり気乗りしなかったが、付き合うことにする。
今年のワインの出来は、まあまあのようだ。

I がいなくなったことを告げる。
驚いた風もなく、話をそらそうとする。
たぶん、K は、何かを知っている。

久しぶりのチャンスに、
ヒトミは、ワインを飲む気、満々。
2本の触角で、器用に小皿を出してきて、
その前にちょこんと佇み、
ワインが注がれるのを、じっと待っている。
今日の飲酒量は、小皿7杯。
ぴょんぴょんと跳ね、
歓びをあらわしているつもりか。



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11月17日(金)


K、K、K ・・・
何を知っている。
何をしている。



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11月18日(土)


K に電話、
今日の午後、会いたい旨を伝える。
もごもごと口篭もるように、
来客があるから、都合が悪いという。
K らしくない語り口だ。

「だれ?」
「いや、うむ、たいした、人じゃ、ないから。」

誰だ。



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11月19日(日)


K の家のまえで待った。
入っていったのは、安城 瞳。



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11月20日(月)


雨、雨、雨、雨、雨、雨。
空から落ちて来る、この陰鬱な水。
これ以上、これ以上、
精神を、蝕まないでくれ・・・



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11月21日(火)


商店街の噂。
カメラ屋のオヤジが、夜逃げをしたらしい。
・・・夜逃げではないだろう。
これで3人目。



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11月22日(水)


気になり、Y くんに電話。
I の親戚、透明な小動物 たろう の飼い主だ。

よかった。
まだ、失踪していない。
事情を話す。
怯える Y くん。
しかし、何もしてあげられない。
何も、わかっていないのだから。



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11月23日(木)


I の部屋を、もう1度訪ねる。
溜まっている新聞の、始めの日付、
11月6日(月)。

カメラ屋の店休、
11月13日(月)から。

ひとみの失踪、
10月30日(月)。



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11月24日(金)


H の家へ連絡、
いなくなっている。
11月20日(月)から。

電話口で泣く、母親。
「うちの息子は、どうなってしまったのでしょう。」
・・・こちらが、ききたい。
次は、こちらかもしれないのだ。

次の月曜まで、あと3日。
何が出来るだろう。



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11月25日(土)


謎の生物と関係があった人間は、
知っている限り、あと3人。
Y くん、生物講師、
そして、ヒトミの飼い主・・・

もし、あの I の大学ノートにかかれている7人が、
全て謎の生物の関係者だとすると、
確認できていない名前が、あと3人分。
計、6名。

死刑執行を待つ囚人というのは、
こんな気持ちなのだろうか。



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11月26日(日)


もしかすると、
最後になるかもしれない一日。
ヒトミと一緒に過ごす。

気にかかることは多い。
しかし、わかったからといって、
いまさら、どうなるものでもない。
残された今日をのんびりと過ごそう。

まったくもって、短絡的だが、
肉屋で一番高い肉を買って、すき焼きをする。
ヒトミと差し向かい。
そういえば、むかし、
まだ、高校生のころ、
ひとみとふたりで、おままごとのように、
すき焼きをしたことがあった。
ひとみが首を傾げながらした味つけは、
少し甘かった。
コンビニで買った、小さな生酒の瓶を、
ふたり掛かりで、半分しか空けられなくて、
残りはどうしたのだったか・・・

ひとみ、
ここから消え去れば、
向こう側で、またおまえと会えるのだろうか。



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11月27日(月)


どうやら、もう少し、
時間は残されているようだ。
ほっとするのと同時に、
他の犠牲者のことが、やはり気になる。

連絡がつくのは、Y くんのみ。
おそるおそる電話をする。
電話を取ったのは、Y くん本人。
どうやら無事なようだ。
月曜日のことは、告げないでおいた。
小学生には、残酷過ぎる事実、
しかし、いずれは彼の元にも訪れる事実・・・
たろうと過ごした短い日々の代償としては、
重すぎる。
たった11年の人生を、
こんなかたちで閉じることになるのか。

何らかの謎を解くことが出来れば、
この理不尽を防げるのだろうか。

己のためでなく、彼のために、
やれることだけは、やろう。



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11月28日(火)


K。
何を探っているのか。
何を知っているのか。
その行動と、関係があるのか、安城 瞳。

D生命に電話。
受話器をとったのは、安城 瞳。
契約の詳しい話を聞きたい旨を告げ、
明日の午後に来てもらうことにする。
にこやかで、事務的な声を聞きながら、
冷たく覚めていく心。
受話器を切った後に、
ネット検索で、いまかけた電話番号を照会する。
やはり、でてこない。
D生命の支部の電話番号ではない。
おまえは、なにものだ。



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11月29日(水)


この部屋で、
安城 瞳と向かい合う。
ヒトミは、部屋の中で自由にさせておく。
新しい人物を珍しがり、
少し距離を取りながら、チーチーと鳴く。
安城 瞳は、そんなヒトミを無視するように、
保険の話を進めていく。
わざとらしい態度だ。
ヒトミに、驚くでもなければ、
興味を示すわけでもない。

熱心に保険のシステムを説明する彼女の、
声をさえぎるようにして、話しかける。


「K とは、どんな関係なんですか。」


急に投げかけられた、意外な質問に、
しばし呆然とする彼女。


「何が目的なんですか。
悪いけど、昨日の電話番号、調べさせてもらいましたよ。
D生命のものではありませんでした。
イッタイ、アナタハ、ナニモノ、デスカ?」


突然、白目を剥いたかと思うと、
崩れるようにして、倒れる。

側に寄り、大きな声で呼びかける。
肩を掴み、ゆする。
反応がない。
完全に気を失っている。
どうしたというのだ。
救急車を呼ぼうとも考えたが、
彼女の素性さえもわからない今、
何かを聞かれても、説明のしようがない。
とりあえずベッドへ寝かせ、
K に連絡をとってみる。

留守だ。


現在、0:34、
あれから、8時間が経過している。
安城 瞳は目覚めない。
K に連絡はつかない。
さて、どうしたものか・・・



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11月30日(木)


朝いちばんで、K から電話が入る。
留守電を聞いたようだ。
安城さんの状態を告げる。
返事もろくにせずに電話を切る K。
通常の半分の時間で、到着。
ろくに口もきかずに、
眠ったままの安城さんを抱えて出ていく。

その鬼気迫る様子に、
声もかけられずに佇む。



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