The Japanes Army Type 1 Fighter Hayabusa
(Ki-43 Oscar) Research Laboratory. 一式戦闘機 「隼」 研究所 |
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手持ち資料(オリジナル版)東宝映画「加藤隼戦闘隊」オリジナルスナップ写真集より。オリジナルスナップ写真集は東宝からこの映画に協力をした陸軍関係者に配布されたもの。1944年3月 |
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■総説 旧日本軍機の取扱説明書の冒頭には必ずその機種の目的が記載されています。一式戦闘機「隼」の運用上の目的については以下の記載がなされていました。つまり、長距離の制空援護用の戦闘機でした。 具体的には重爆撃機を援護して爆弾を投下するまで、敵地上空を制圧し、爆撃が可能な制空を行うための機種で、基地上空の迎撃や爆撃に使用する機体として開発されたものではありませんでした。
■一式戦闘機「隼」の誕生について 日本陸軍の一式戦闘機「隼」の開発については昭和12年12月キ−27の後継機種キ−43として群馬県新田郡尾島村字押切(現太田市押切町)にあった、中島飛行機に対して1社特命で以下の特性を持戦闘機を試作を指示されましたが、当時の技術レベルとしてはかなりハードルが高い以下の条件が提示されています。
1) キ−27にまさる運動性能 2) 速度は500km以上、 3) 上昇性能は5,000m/5分 4) 7.7mm機銃を2挺装備 5) 引込脚の採用 中島飛行機は条件を達成するために1,000HPの発動機の装備、可変ピッチプロペラの装備、引込脚を採用し昭和13年12月に初飛行を行いましたが、三重県伊勢市小俣町明野にあった陸軍戦闘機隊の本拠地を自任する明野陸軍飛行学校での審査ではキ−27との模擬戦闘で速力のみキ−27をわずかにまさる程度で旋回戦闘ではどうしても勝てない等、空戦性能が劣ったため不採用となりました。 しかし、昭和16年3月までに南進作戦用の爆撃機を援護する長距離戦闘機を3個中隊(48機)揃える必要性に迫られたため、発動機、蝶型空戦フラップ、可変ピッチプロペラ、燃料タンク容量の改善で空戦性能、速力、航続距離が向上したキ−43が要求に応えられる機体として注目されるようになりました。 とくに、採用に貢献したのは陸軍の飛行実験部であり、ここには当時不採用になったキ−43の試作機が数機置かれており、九七戦及び九五戦を上昇旋回と急降下急襲にて、つぎつぎと打ち破る戦法を編み出したことで(垂直面での巴戦で2回から3回の垂直旋回を行う戦法)、その実力を陸軍航空本部に認めさせることができました。 ところが、参謀本部でも航空本部でも不採用を中島側に通達してしまった後であったことから、急遽キ43の採用決定を会議にて行うとともに、中島飛行機側にその場から採用の電話連絡を行いました。そのため、深夜に中島飛行機の幹部が上京する、というあわただしさでした。 結局、日本陸軍は昭和16年4月にキ−43を制式に陸軍戦闘機として採用しました。初飛行から制式採用まで実に2年4ヵ月も無駄に費やされたことになります。 キ−43はこのように制式採用年度が1941(昭和16)年、つまり皇紀2601年になされた戦闘機ですから、一式戦闘機と呼称され、以来終戦まで5,751機が生産されることとなります。 ■「隼」というネーミングの由来について 「隼」のネーミングについては陸軍航空本部・航空本部第二課報道係西原勝少佐が「外国では軍用機にニックネームを付けて宣伝につとめている。日本だってハリケーンやバッファローに負けない愛称があるってことを知らしめようじゃないか」といい、自ら「隼」を名付けて課長にOKさせたといいます。国民への公開は写真とともに「隼」の名前を昭和16年12月の太平洋戦争開戦時において行いました ■型式と分類について 一式戦闘機「隼」の分類には3つの型(Type:一型、二型、三型)があります。ただし、一型というのはなくて、制式には“一式戦”、“一式戦ニ型”、“一式戦三型”(漢字は原出典のまま)と分類されていました。一型の呼称がないことについては二型が制式に採用されたため、通称名として一型と呼ばれたようです。 当サイトではムック本同様、型式による機能上の特定のため、初期の一式戦を一型と呼称いたします。 なお、写真等で一型〜三型を外形的に見分ける簡単な違いは以下の通りです。
上記の型式のサブタイプとして、さらに3つの分類形式(Mark:甲・乙・丙)があるとしています。ちなみに一型の甲・乙・丙については胴体7.7mm機関銃×2装備機を甲、7.7mm機関銃+12.7mm機関砲装備機を乙、12.7mm+12.7mm機関砲装備機を丙としていますが、もともと一式戦闘機「隼」の機体はどちらも機銃、機関砲を簡単な部品交換で変えることができたたため、その時の状況(弾を多く使う護衛や大型機の迎撃等の任務やパイロットの希望)で交換したとのことです。 つまり機種の進化を表しているわけではなく、単に意味の無い分類のようです。私の持つ資料にもニ型、三型はあっても甲・乙・丙の分類はありませんでした。 また、上記の分類による特徴についても普遍性はなく、例えば三型の特徴である推進式単排気管装備ですが、実は二型も装備していました。これは前線からの要望で、二型も推進式単排気管を装備できるはず、として日本から三型のカウルフラップと単排気管及び付随するアクセサリーを送付してもらい、現地にて改修しました。その数約400機となります。したがって、特徴による型分類については参考程度にしておくことが良いでしょう。 ■主要諸元 原出典データから緒元について記載しました。ムック本とはかなり相違する部分がありますが原出典に忠実に記載しました。大半は手持ちのオリジナル資料からの出典ですが、記載が明らかではない部分については一式戦三型設計主務者である大島さんの原稿及び日本航空機総集(中島編)を参考にさせていただきました。 特に急降下性能つまり突っ込み速度については数値的には初めてではと思います。一型については初期に空中分解した事例や主翼取付部においてしわが寄った等の事例により550kmの制限がありましたが、ニ型以降は翼端が約30cm(両端で60cm)詰められたこと、主翼強度を補強したことで約100km余裕が出ております。
■零戦と 一式戦の比較 上の表には一式戦闘機「隼」と零戦を比較するためにを比較するために攻撃、防御でもっともバランスが取れ、零戦の完成形と言われる五二型(A6M5)を参考として掲載していいます。一式戦闘機「隼」ではニ型が該当します。これをみると、使用しているエンジンが同じ(ハ115≒栄21)なこともあり、重量、機体の大きさについてはほとんど同じになります。 実際、初期には敵側から見て零戦と一式戦はほとんど同じ機種と見なされていたようです。 ■一式戦闘機「隼」機体番号と製造会社 生産固体は合計で5,751機ですが、内訳としては中島飛行機3,208機、陸軍航空工廠51機、立川飛行機2,492機となります。なお、下表に機体番号での製造工場、製造形式を記載しました。 設計については現在の群馬県南東部(東毛)の太田市にあった中島飛行機陸軍機部門で行われ、設計主務者として小山悌(やすし)技師、設計技術者としては太田稔技師、青木邦弘技師、糸川英夫技師が行いました。
■一式戦闘機「隼」の機体銘板(ネームプレート) 一式戦闘機「隼」の機体銘板(ネームプレート)です。部品銘板と違い大型です。サイズは複製との判別を容易にするため敢えて記載をいたしません。機体番号は1040号で陸軍航空工廠製。資料とも一致しています。他にも立川飛行機製作の二型のネームプレートが現存しており、同様なレイアウトとなっています。零戦と異なり防諜番号となっていないことが明白です。 また、中島飛行機から陸軍航空工廠が一型の製造を引き取って転換生産していることから、このプレートが41号機目として昭和18年10月製作であることから、恐らく昭和19年になるまで一型が製造されていたことが判ります。
■一式戦闘機「隼」の型別生産機数 意外にも、一式戦闘機「隼」の各型別の生産機数については雑誌・書籍等で公表されていない状況にあります。もちろん、総生産機数は戦後まもなく発行された書籍で5,751機と現在までブレなく明確なのですが、型別となると、特にニ型以降の生産台数については、あまり明確になっていません。 というのも、ニ型は中島飛行機製作分として試作機+増加試作機+量産機で2,489機と資料が残されていますが、立川飛行機製作分はニ型+三型で2,492機という資料があるのみです。 上記の機体銘板から機体番号が素直に製造番号としてシーケンスになっている前提で、「一式戦闘機隼・写真、文書で確認された隼機体番号リスト」古峰文三 学習研究社2005年11月 P180から三型の機体番号は17001号〜18151号とされていますので、また、三型の試作機+増加試作機は中島と立川で10機製作、その内、中島は3機製作という資料から下表のよう各型の生産機数をまとめることができます。
※2 三型については立川製17001号〜18151号までとして計算。 |
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