一式戦闘機 「隼」 研究所 The Japanes Army Type 1 Fighter Hayabusa (Ki-43 Oscar) Research Labo.
隼の機体 The Japanes Army Type 1 fuselage

昭和19年9月22日発行 讀賣写真ニュース焼付版。当時発行のオリジナルプリントより。キャンプションには「桂林の危機に脅えて米空軍はしきりに蠢動する−愛機よ頼むぞ!秋草茂る湖南前線●●基地では今朝も出撃準備に忙しい」とあります。場所は湖南省桂林。





















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































■機体の外板及び構造材について

 「一式戦闘機説明書」航空本部 昭和17年1月において、一式戦闘機「隼」は外板及び主要構造材として高力アルミニュウム合金第二種を使用しているとの記載があります。高力アルミニュウム合金第二種とは、「航空機用材料ノ参考」陸軍航空整備学校 昭和16年7月によれば「超ジュラルミン(S.D)24S」となります。

超ジュラルミン24Sは戦前からの巨大企業、米アルコア社がその組成を開発したものの社内記号で、代表組成が4%Cu、1.5%Mg、0.6%Mn、つまりアルミニウムと亜鉛・マグネシウム・銅の合金であり、アルミニウム合金の中で最高の強度を誇りA2024(24Sの現代でのJIS規格名)として、今日でも一般的に航空機に使用されています。

なお、ジェット旅客機及び三菱の国産初のジェット旅客機MRJの主翼下面の外板材料はアルコア社(大型の部材として)の超ジュラルミンA2024合金が採用されています(カーボンコンポジット複合材から変更)。つまり、無塗装のMRJ機の翼の輝きは、高力アルミニュウム合金第二種(超ジュラルミン24S)を使用している一式戦闘機「隼」と全く同じ輝きなのです。




 (1) 外板について

外板・外殻については、"合ワセ高力「アルミニュウム」合金第二種板(チ232乙S.D.C.H鋼)"を使用している旨の記載があります。つまり超ジュラルミン24Sに純アルミをクラッドしたアルクラッド24STを使用していました。なお、アルクラッドとはアルミニュウムとクラッドを掛け合わせたもので、クラッドとは二種類以上の異なる金属を張り合わせ金属境界面を結合させたものとなり、アルミメッキとは相違します。

陸軍(海軍でも共通)での外板・外殻部材“合ワセ高力「アルミニュウム」”は三種類あり、航格略号「航格第222号K-24として、略号"チ232甲"、"チ232乙""チ232丙"があり、特性によって使い分けがされていました。

なお、甲・乙・丙の違いは、甲は圧延後焼鈍、乙は焼入常温時効後矯正、丙は焼入常温時効後圧延であり、部材にはスタンプが押されており判別が付くようになっています。

一式戦闘機「隼」の外板は"チ232乙"ですから焼入常温時効後矯正、つまり490〜500度で焼入を行い、その直後、常温水で急激に冷却して硬化処理を行ったものです。

ちなみに超ジュラルミン24Sを純アルミでグラッドするのか、というとジュラルミンは水、特に海水に対する耐食性にとても弱いためです。
なお、一式戦闘機「隼」の外板・外殻の厚さは主として0.5mm、0.6mm、0.8mmの三種類の厚さのアルクラッド24STが張られていました。主翼の付け根は0.8mmでしたが大半は0.5mm板となります。そのため、南方で英戦闘機のパイロットが一式戦闘機「隼」を12.7mm機銃で打ち抜いた際に、隼の外板・外殻が紙のように除々に裂け垂れ下がり、やがて空中分解したとの記述があります。

やはり0.5mmでは薄く強度的に問題ありです。ちなみに、リプロ機(工場再生機)は機体強度確保の為、外板・外殻厚を忠実に再現せず1.0mm〜1.5mmとしており、米戦闘機のようなスラットしたモッサリ感がありますが、実際には当時の写真のように細かくシワ波があったと思われます。

なお、AFC機の筐体内部には外板の裏側部分にS.D.C.Hのスタンンプが確認できますので、本屋さんにて日本絵画社のエアロ・ディテール29「中島一式戦闘機「隼」」P27を見て確認下さい。




(2) 構造材について

構造材についてはクラッド材ではない超ジュラルミン24Sを加工した部材を使用していました。もちろん、合金成分の多い超ジュラルミン系のアルミは素地のままでは非常に酸化腐蝕しやすいので、表面処理として判り易いように、青竹色でアルマイト加工がされていました。

アルマイト加工とは、アルミ表面に酸化皮膜を形成するものです。メッキのように金属の表面をコーティングするわけではなく、アルミの表面自体が皮膜に変化するものでメッキやコーティングのように剥がれるような皮膜ではありません。

といっても、アルマイト加工は耐光性が高いとは言えず、必ず色褪してきます。そのため、クリヤー塗装でオーバーコートする必要があります。したがって、機体の内部の構造部材については工場の電解処理槽にてアルマイト加工がなされ、その後、クリヤーでオーバーコートされて出荷されているものを組立てているため、ヌメルように青く光るのです。

なお、一式戦闘機「隼」の現存する残骸については、長期間に渡り構造材に日光などの紫外線が当たっていますし、酸性雨にも曝されていますので、外板・外殻で守られていない限り、構造材は酸化・腐食しており、ボロボロになって消滅しているか、残っていたとしても再びリストアして使用することも出来ません。



■ 特別コラム−中島飛行機とアルマイト
中島飛行機はその終焉の時に第一軍需工廠となり国策企業として終戦を迎えたため、GHQにより徹底的に解体されました。その分社の数は実に工場毎に15社以上に及びました。当時、中島飛行機に勤務していた優秀な技術者たちの生活は、各工場毎に、自転車、リヤカー、自動車修理、アルマイト製の鍋や釜、衣類箱、乳母車などを作って糊口を凌ぐ日々へと一変しました。

そのようなアルマイト処理技術者が立ち上げた企業、株式会社清田アルマイトの創業秘話をご覧下さい。
一次資料を補完するような話が掲載されています。





 (3) 超ジュラルミン24S同士の結合

外板や構造材のジュラルミン同士の結合については、リベットを使用していました。というのも、ジュラルミンは溶接・溶断ともに難しく、枕頭鋲つまりフラットリベットを使用していました。

「一式戦闘機説明書」の機体構造の説明箇所では、「機体外部の気流に露出する部分については鋲頭を皿頭として表面を平滑にしている」として枕頭鋲を説明しています。


当時中島飛行機で工員をやられていた方の持ち物で、実際に戦闘機等に使用されていた
オリジナルの枕頭鋲。皿頭直径12mm×長さ22mm。



■プロペラスピナー

一式戦闘機「隼」はプロペラ・ハブ部をむき出しにせずに、冷却空気の整流のため下の写真のようなスピナーが付けられていました。これはジュラ板を何回も、なましながら叩いてお碗型に形成し、さらに仕上形成として旋盤に載せてヘラで深く絞り上げて作成した、手作業工芸品です。

もちろん、陸軍機の特徴であるハックス(始動鈎)が付けてあり、これにより始動車でエンジンを回せるようにしました。
写真は某陸軍基地があった農家の納屋で発見されたもので、戦闘機に付けられていたものとのことですが、当時のスピナーの特徴及び色が良く残っておりとても良い資料となっています。なお、とても大きいのですが、軽いもので小指で持ち上げることができます。



■発動機覆(カウリング)
発動機覆は零戦の構造とかなり違っており、@前部固定覆、A後部覆、B環形開板、C発動機架覆D気化器空気吸気管より成り立っています。

@ 前部固定覆
後部覆の線まで大きなリング状で一体形成されており、分割することはできません。したがって取り外す時はペラを外します。この覆の固定については、風圧で飛ばされないようハ25発動機の前列シリンダトップにシリンダ間にブリッジされた棒にボルトにて強固に緊迫されます。

A 後部発動機覆
この大きな覆いは上下、左右に4分割が出来るようになっています。左右の部分は大きめでトップからアンダーまで開くようになっており、なお、固定については、前方を@前部固定覆に28本の固定ネジで緊迫するようになっています。後部も同様にA環形開板枠にネジで緊迫させており、容易に脱着できるようにして整備性を容易にしています。

B 環形開板
環状開板は発動機のクーリングを板の開閉により調整するためのもので、この板群の固定については、環状開板固定枠によりハ25発動機の後列シリンダトップにシリンダ間にブリッジされた棒にボルトにて強固にされています。なお、固定枠は上部とサイドに三分割され、これも整備性を高めています。

C 発動機架覆
発動機架覆もまた、上下左右4分割ができるようになっています。前方は油受板の外周に、後方は第一框固定ネジで緊迫しており、やはり容易に脱着できるようにして整備性を容易にしています。

D 気化器空気吸気口
気化器空気吸気口とは、エアインテークのことでキャブレターまで空気を導入するための入り口となります。一型では発動機下部にキャブレターが取り付けられていましたので発動機下部に位置しましたが、二型以降はキャブレターが発動機上部に取り付けられた関係で、下図のように上部に位置するようになりました。吸気管内部には防塵網があります。防塵網とはエアフィルターで、土埃の舞う飛行場ではシリンダ内壁を傷つけるシリカ(石英砂)から守るためのもので、ヘチマなどから作られました。

なお、防塵網は座席内部内側の操作把手により行いました。ステンシルプレートには「防塵」「通常」の切替があって、木板やコンクリで整地されていない滑走路の場合、離着陸時には防塵、空中では「通常」としていました。これは、レーシングカーの吸気がインテークマニフォールドのみで、エアフィルターを使用しない構造である理屈と同じで、防塵網を使うと吸気が抵抗により圧縮濃度が低くなり、馬力が低下するためです。




■胴体構造
一式戦闘機「隼」の胴体構造は、以外に思われるかも知れませんが、747ジェット旅客機や他の戦闘機同様の構造をしています。この構造は、応力外皮構造と呼ばれ外板そのものに曲げによる応力と、せん断による応力に対抗する構造を有しており、具体的にはセミモノコック構造と呼ばれています。

一式戦闘機「隼」のセミモノコック構造は19個の円框(えんきょう−フレーム)、約20本以上の縦通材(ストリンガー)、それとアルクラッド材で出来た外板から構成されます。強度引張力は外板、縦通材が担当し、曲げ荷重からの圧縮力は外板に代わり縦通材および小縦通材が分担して、全体としてとても高い強度を確保できるのが特徴です。


(1)円框(フレーム)

一式戦闘機「隼」の円框については、楕円形をしており胴体の骨格となります。ジュラルミンの平板で出来ているのではなく、強度を持たせるためにジュラルミン押出形成材にて帽子状にしています。

帽子のトップに当たる面、つまり円框の幅は25mm、帽子の横方面については肉抜きの穴やケーブルを通す穴を空けています。
そして、円框の外側の面については縦通材を填め込む切り込みがあります。

なお、ジュラルミン押出形成については、トコロテンのようにジュラルミンの材料棒を帽子字の型の間にジュラルミンを通して(押出して)形成したものを言います。

(2)縦通材(ストリンガー) 

縦通材は一式戦闘機「隼」の胴体や翼の構造材で前後方向に貫通し、軸方向の強度を確保する補強材となります。一式戦闘機「隼」の胴体では主縦通材を帽子型、普通縦通材としてL字型を使用しています。

この縦通材の円框に填め込んで、リベットで固定するとともに、外板とも平リベット(枕頭鋲)で結合します。なお、この縦通材も高い強度を確保するため、ジュラルミン押出形成材を使用しています。


(3)外板
詳細については、前出の"外板について"を参照下さい。円框及び縦通材と平リベットにて結合しています。



二式単座戦闘機「鐘馗」の機体写真。「写真週報第341号」1944年10月4日号より。 所沢陸軍航空機整備学校において。
鐘馗の風防は一式戦闘機「隼」ニ型及び三型と共通部品。 鐘馗は迎撃機、つまりインターセプターとして開発されていますが、一式戦闘機「隼」と
ほぼ同時期に中島飛行機にて製作されいるため、風防、機体の他にも色々と設計が共用さ れており、参考になることが多いのです。


■機体(胴体)の分割

胴体の分割については、第九円框が接続円框としてダブルフレームとなっています。したがって、第九円框の幅については25mm+25mmで50mmとなり、接続部の鍔の部分を直径9mm、長さ10mmである72本のショートボルトで胴体前部組立部と胴体後部組立部を結合しています。もちろん、縦通材及び外皮は第9円框で分割されています。




一式戦闘機「隼」ニ型の青図「胴体全体組立」。胴体の主体は円框、縦通材、外板から出来ているセミモノコック構造であり、主体他は高力アルミニュウム合金第二種つまり、アルクラッド24STから出来ていることが当時のメモ書きによって残されています。



■風防(キャノピー)

風防(キャノピー)は空中勤務者を外界の風圧や寒暖から守り、視界を確保する重要な部品となります。当時のオリジナルプリント写真を見ると、キャノピー全体がくすんでいる感じに見えて、「あんなので敵機が見えるのか」と思った方も居るかも知れませんが、そうではありません。実は、最新の戦闘機の風防と同様な見え方であり、光線透過率90〜92%、屈折率1.48〜1.5とクリスタルガラスにも匹敵する数値なのです・

具体的には一式戦闘機「隼」にはヒシライトが使用されていました。ヒシライトとは旭硝子の有機硝子の商標名で別名プレキシガラスとも呼ばれ、化学組成はメタクリル酸エステルの重合体、つまりアクリル樹脂であり、硝子より透明度の高い合成樹脂です。

ヒシライトが採用された理由として、硝子より透過度が高く(良く見える)、耐ガソリン、振動耐性があり、割れても破片が剥落せず、怪我の危険性が低く、硬度、弾性率、耐熱性に優れ、硝子に対して安価という利点を有します。

風防には下図のように戦闘機一型に取り付けられた一型タイプとニ型・三型に装着された二型タイプがあります。ニ型タイプは二式単座戦闘機「鐘馗」にも取り付けされています。キャノピーのヒシライトの厚さは約3mmから5mm厚となり、複数重ねると防弾ガラスになるのですが、防弾ガラスは装備しませんでした。

もちろん、零式艦上戦闘機はもとより、現在の戦闘機も同じ組成を持ったプレキシガラス、つまりアクリル樹脂を使用しているのです。当時の風防(キャノピー)透明度を想像するには株式会社フジワラのWebページをご覧下さい。





■分割と格納・輸送

機体については、機首部である発動機架、胴体前部組立部、胴体後部組立部に各々分割し鉄道輸送、海上輸送することが出来ました。逆にこの方法以外に分割しようとした場合には縦通材などを切断しなくてはならず、その場合には強度が著しく劣ることになるため、そのような運搬は避けるべきです。



本格納方法については、「二式単座戦闘機(ニ型)説明書」つまりつまりキ44・鐘馗の
取扱説明書に記載されている方法ですが二式単戦「鐘馗」と一式戦闘機「隼」
非常に
近しい関連があるため、参考として掲載いたします。




■主翼構造(1)

一式戦闘機「隼」の主翼上反角は下図のように6度と戦闘機にしてはちょっと強めなのが特徴です。これは、飛行機が空中で横に傾くと横すべりを起こしますが、上反角があると下がった側の翼の気流に対する迎え角が、上がった側のそれより大きくなり,左右の翼の揚力に差が生じ、機体の傾きを回復させます。つまり横安定がバツグンなのです。

もっとも戦闘機として重要な効果として、空中射撃の際に禁物な横滑りも抑えることができます。大きな垂直尾翼と相俟って精度の高い射撃が可能であったため、空の狙撃兵と呼ばれる一因でもあります。ちなみに零戦の上反角は5.7度でした。



一式戦闘機三型設計原図:三面図正面となります。


また、メインページに「一式戦闘機「隼」は翼端失速をなくすため主翼取付角度2°に対して翼端で2°捩り下げしている、つまり叩いて伸ばして曲げてといった微妙なラインを持っており、プラモデルでも再現できない職人によるハンドメイドな製品であったりします。」と記載しました。

ひねり下げ構造は、低翼単葉レシプロ戦闘機の横安定にとても重要な構造で、ほどんどがこのひねり下げ構造を持っています。一式戦闘機「隼」や零戦、スピットファイアの翼がもしプラモデルのように直線翼で作られていると、巡航速度で急激に戦闘状態に入った場合に、回避行動として操縦桿を引いて迎角を増した場合、機速が不足していますから、胴体の付根から失速が発生して翼端まで止まらず、下図のように翼端部分が失速してしまいます。




翼端には機動をコントロールする重要な補助翼(エルロン)がありますが、失速により補助翼での制動が効かないことになり、機体はアンコントローラブルな状態になり、最悪、錐揉み状態に陥り墜落してしまうのです。そのため、「捩り下げ」と呼ばれる、独特な翼構造を持っているのです。一式戦闘機「隼」の場合には主翼取付角度2°に対して翼端で2°捩り下げしていのです。




繰り返しですが「捩(ねじり)り下げ」は翼端先失速を防止するために当時の戦闘機に一般的に取り入れられている手法でした。胴体付根から翼端まで同一平面に作らず翼端に行くにつれて前縁が下げ、後縁が上がる様にして、つまりねじって翼を作ることなのです。

一式戦闘機「隼」の場合には翼端より迎角が胴体付根の2°から翼端の0°へとねじり下げることで翼端より胴体付根の方が先に失速を生じるようになり極めて安定的な飛行特性を持つことができるのです。再生機では後述するように複雑な捩り下げ構造は再現していません。

実際に飛行している実機の真横斜め後方からの飛行形態で確認することが出来るでしょう。ちょうど、鳥が翼を広げ安定滑空している姿によく似ています。
このことによって、失速特性が良くなり、たとえ失速したとしても機首を下げ、失速方向に操縦桿を倒し並衝を保つならば、自然に回復することになります。




このように翼については複雑な構造を持っています。これを100%再現しようとした場合にはやはり設計図から再現する必要があります。
設計図は主翼の場合、主翼全体図、補助翼全体図、蝶型フラップ全体図、翼端全体図、桁全体図、主翼胴体結合図、燃料タンク取付図、脚取付図、ピトー管取付図、その下位に部分組立図、部品組立図、最後に部品図でワンセットでツリー構造になっており、一式戦闘機「隼」ですと主翼だけで優に1000枚以上となります。

また、設計図以外の資料群があり、NACA翼理断面理論計算モデル(実際は発展させた中島独自のNN・2改モデル)、特性図群が用意されており、数学科出身でなくては読み解くこと は難しいことでしょう。
占守島の残骸からリバースエンジニアリングで製作されたファブルケーションモデル(工場再生機)でも正確には再現することは出来ないのです。

終戦時の焼却命令により失われた、数千枚の設計図無しに翼形を再現することの難しさとして、同じくNACA翼理論計算モデルを使用しているスピットファイヤの翼を再現しようと試みているHPを紹介をしておきます。ちなみにスピットも原図は空襲時に失われており、コピーで再現したとのことです。






■主翼構造(2)


主翼については、多格子型応力外皮構造、金属製片持式低翼単葉で左右の翼は一体形成されており、前部胴体も骨組みの一部となり、分解することができません。これにより、翼組みの構造のシンプルとなり、構造材の重量を節約できる上、高い強度を得ることができました。
翼外皮については0.6mm〜1.2mmのアルクラッド24STを使用していました。

主翼は三桁式、つまり前桁、中桁、後桁を持つことになりました。3桁となったことについては、DC-3型旅客機と同様な構造で、翼に13.7mmや20mmの機関砲を設置することが出来なくなったため、ムック本等では悪評嘖々な構造なのですが、実は3桁としたメリットについては以下の三点があります。

・ 機械工作が容易

2式単戦以降の陸軍機や零戦については、2本桁となりましたが、その場合には特殊な大型押出機で精緻な加工が必要でしたが、3本桁の場合の機械工作は極めて簡単であったこと。

・ 余裕があること

桁の一部が被弾で損傷したとしても他の桁が補ってくれ生存確率を高めてくれること

・ 疲労強度が高い

箱型応力外皮構造となり、主翼のたわみは少なくなり、金属疲労が少なくなり、対疲労強度が向上している。




当時、一式戦闘機「隼」に対する要求仕様書には翼内砲の装備は要求されていなかったために、このように3本桁構造を取ったのでした。中島飛行機の小山技師が言うように翼内砲を装備しなかったのは、日本陸軍兵器部の決定によるものです。

当時、日本陸軍についてはドイツ帝国と密接に関係しており、技術将校達を盛んにドイツに送り込んでいました。ドイツの主力制空戦闘機であるメッサーシュミットMe109の武装に関する当初の設計思想は、戦闘機同士の制空戦闘に勝利するためには、機体軸の中心から発射すれば照準と相違ない直線的な弾道が得られ命中率が高くなる。そのためには、武装を機体軸に集中させるという考え方です。

したがって、機首上面の2丁の機関銃とプロペラ軸から発射するモーターカノン砲を装備で十分である、という考え方です。(後年、大型機の迎撃等弱武装を指摘され翼内砲を装備)。

昭和10年頃の日本陸軍兵器部もノモンハンでの九七戦での戦訓を含めて、ドイツの武装思想の影響を受け制空戦闘に対応するためには、旋回性能と機体軸中心からの機関銃発射で良いとして、翼内に機関銃、機関砲の多銃装備は不要と考えていたのでしょう。


特別コラム 

零戦と翼内機銃装備

昭和10年10月3日 三菱商事作成「エリコン 20粍FF 型機銃」。海軍航空本部「第2ノ598号」として空技廠(海軍航空技術廠)兵器部長行。1945年8月連合軍・米国戦略爆撃調査団(United States Strategic Bombing Survey, USSBS "uzz-buz"(ウズブーズ))が海軍航空本部から接取した資料。

この資料群にあるように、エリコンFF機銃のライセンシーについては三菱商事がパリ支局を使って航空本部との仲介しています。なお、エリコン社(Oerlikon AG)は、スイスのチューリッヒ州に本社があります。当時の海軍航空本部長は山本五十六。このエリコンFF機銃は後の零戦に搭載された九九式一号及び二号二〇粍機銃となります。

資料を確認すると海軍がFF 20 mm 機銃を導入した目的は対戦闘機戦用ではなく、対爆撃機用を目的としたものであることが判ります。

なお、零戦は設計当初からインターセプター(迎撃戦闘機)として大型機の迎撃を行うことについても目的としていましたので翼内に20mm装備可能なように当初の設計から二本桁としていました。




■主翼上面点検窓等




@ピトー管
 ピトー管については、気流に並行な先端の全圧孔開口部と気流に垂直なピトー管横の静圧孔開口部の二箇所から全圧、静圧を取得して全圧+静圧の合計圧から静圧を引いた差圧である動圧によりベルヌーイ式を適用し速度計、高度計、昇降計などに使用し測定する重要な装置の測定管となります。

当時の精器説明書には「正確なる圧力差を生じるように、形状寸法を規定されているもので、従って、形状、寸法を変化すれば誤差を生ずる。特に静圧孔の位置、形状等はその性能と関係あるをもって取扱い上、注意を要する」としています。

当時の戦闘機用のピトー管の形状は棒状のものを使用し、海軍であれば零式艦上戦闘機、陸軍であれば一式戦に採用されています。もちろん、「プロペラ後流、翼による気流の影響なきよう設置すべし」として、写真のようにアルミ製のストレッチャーで延伸されています。

なお、このピトー管は計器毎に陸軍機、海軍機の作戦戦闘機全てに同じ形状のものが使用されており、指示器たる速度計はシーマイル表示の海軍機用速度計三型と、キロメートル表示の陸軍機用98式速度計と異なるのですが、実は同一構造を持つ精器で文字盤のレタリングが異なるのみなのです。



パプアニューギニア・ニューブリテン島のガゼル半島(ラバウル航空隊で有名ですね)に残置された零戦に付いていたピトー管。



A左舷燈

電気系構造の照明装置で解説しましたが、標識燈は主翼翼端及び垂直安定板に装備されている灯火です。現存する一式戦闘機「隼」や零戦のオリジナルの色ガラスは既に失われていますが、進行方向に向かって左翼側が赤、右翼側が緑(機首方向から飛行機に正対した場合、左が緑、右が赤になる)となります。

垂直板は白の灯火で、飛行中(タキシング中を含む)は常時点灯が義務づけられています。これは最新の旅客機であるボーイングや?エアバスと全く同じなのです。



B右舷燈

敢えて緑(点灯時)、青(非点灯時)と書きました。オリジナルの一式戦闘機「隼」取扱説明書には右舷燈は「緑」と明確に記載されています。では、青・緑の2種類の色ガラス燈火が用意されているのでしょうか。いいえ。1種類となります。

では、どういうことなのでしょうか。この話には三沢航空科学館に展示されている十和田湖に沈んでいた一式双発高等練習機のオリジナルの翼端燈に登場してもらわなくてはなりません(三沢航空科学館 翼端灯で画像検索すると出てきます)。

一式双発高等練習機の色ガラスは赤と青(青といっても透過度・明度が高く薄い青色グラスなんです)でした。なるほど、一式双発高練は零戦や一式戦闘機「隼」、エアバスの緑色と違った色ガラスが置かれていたと早合点しないで下さい。実は一式戦闘機「隼」も零戦も一式双発高練と全く同じ青色のグラスカバァが取り付けられているのです。

これはどういうことなのでしょうか。一式戦闘機「隼」も零戦も電球を使用して青色グラスを透過させるのですが、当時の電球は蛍光灯やLEDと異なり黄色の波長を多く含んでいます(電球色ですね)。

色とは物体に入射する光の波長が観測者の方向へ反射する際に、その物体の物性に応じた特定の波長が反射されそれ、目の受容器により「その物体の色」として認識されるものです。つまり、電球の黄色の波長と色グラスの青色により波長が混合させると観測者には緑色に見えることになるのです。

絵画の世界でも黄色と青の絵の具を混ぜると緑になりますね。それと同じ原理で透過度・明度が高く薄い青色グラスと黄色の波長を多く含む輝度がある昔の豆電球の組み合わせですと光源部が青みがある緑色の発光として見えるという感じでしょうか。

いずれにせよ、一式双発高等練習機のオリジナルの右舷燈のグラスカバァと当時のバルブ(一箱持っている)で再現検証してみたいものです。



C着陸燈

着陸灯は左主翼前縁部付根から翼端にかけての3/1の所に5866号機から装着されていました。翼端を切り詰めたのが5154号機以降ですから、それ以降に装備されたことになりますね。これも標識燈と同様に衝突防止のために艤装された照明で、早朝・薄暮・夜間は無論のこと、着陸時に空中勤務者が配電盤斜上面に設置された「着陸灯」のトルグスイッチを入れて点灯します。

航空法ではRight of Way (優先権)が明確に定義されており着陸機優先の大原則があります。それは戦前も昔も今も変わりがないのです。着陸灯が飛行場から見えたら離陸準備機は退避して滑走路を開けろということなのです。

では、5866号機以前どうなのでしょうか。電気系構造でも記載しましたが、主翼部後縁、左右の蝶型フラップの先端に九○式翼下照明火を設置して、着陸時に計器板にあるスイッチを押すことで、マグネシュウムが詰まった筒を花火のように焚いて、離陸準備機や他の空中にある飛行機に自機を認識させ滑走路を開けてもらうことを明示していたのです。

着陸灯の重要性については、大型機であっても衝突を安全に回避できる距離を確保しようとした場合、ボーイングやエアバスのような大型機であっても飛行機は大空の中では一点にしか見えないため、他の航空機(離陸準備機等)に着陸を認識させる事はとても重要であったからです。それは、現代の大空港でも同じことなのです。


D燃料積入口

一式戦闘機「隼」の燃料タンクについては主タンク左・右(写真主翼前方緑色)、補助タンク左・右(写真主翼後方緑色)、落下タンク左・右の合計6個あります。5665号機以降については本格的な防弾タンクを装備しているため、容量が減少しております。主タンク、補助タンクについてはタンクの大きさに合わせ主翼下部にアクセスパネルが4個設置されており、取り回しの燃料管及び固定用の皮ベルトを外すと簡単に交換することができます。


燃料容量 キ四三  一型 キ四三  ニ型
前槽(主)132立×2    前槽(ニ番)125立×2  
後槽(補)150立×2 後槽(一番)147立×2
落下槽 200立×2 落下槽 200立×2
合計   964立 合計   944立
防弾 −
5665号以降 約36立減
一番16立
二番20立



飛行中、空中勤務者はこのタンクを操縦席右側奥にある燃料計器板の主タンク油量計、補助タンク油量計を確認しながら各々の左右切り替えコックを操作して行きます。

なお、落下燃料タンクについては爆弾型をしており主翼の両爆弾懸吊に取り付けられますが、落下燃料タンクの後端には対気流整理のための水平板の鰭があり、その右鰭後部に穴が開けられそこに空落下識別用のヒモが付けられます。操縦員が落下燃料タンクの状態をそのヒモがあるか否かで簡単に視認可能としています。

一型及びニ型(三型)のタンクの名称及び容量については下表の通りです。なお、ムック本と違う表現なのは当時の資料である飛行機工術教程(一式戦闘機)に技術将校が直接筆記した原文ママで掲載したことによります。

実際の給油にあたっては、一式戦闘機の総容量は約900立(リットル)強ですから一機でドラム缶5本分(ドラム缶は55ガロン約204リットルの規格品です)を給油しなくてはなりません。そのため、TX-40給油車等タンクローリー車での給油が一般的ですが、戦地によってはドラム缶運搬用二輪車からドラム缶ポンプを手動で回して直接給油する方法が利用されていました。飛行場付大隊は大変なわけです。

給油方法については、ホースから主翼上面に4個ある直径約10cmの円いフューエルフィラーリッドオープナー(給油ドア蓋ですね)の表面下部に付いている押さえ棒(バネ式)を中点方向に押し上げてドア蓋を開けて、中にあるフューエルフィラーリッドを回転させてリッド(蓋)を取り去り給油口をセットします。


写真は陸軍航空工廠製のオイルフィラーリッド(昭和17年)です。軍用規格にて燃料リッドも同様の作りなので参考として。

【防弾タンクについて】










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